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posted 2017-11-23 01:57
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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blackcat-kat
このとき導入されたのが、交流整流子式電動機を採用した直接式機関車ED44(ED90)形と水銀整流器を用いたED45(ED91)形であり、当時はその性能が未知数であったこともあり、両方式が比較検討されることになりました。 当時の資料などを参照しますと、技術陣は当初は直接式を本命としていたようです、ただ...
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posted 2017-11-21 14:06
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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blackcat-kat
終戦、そしてGHQにより日本占領が終了した昭和27年、国鉄は輸送力増強そして動力の近代化に前向きに取組こととなりました。 海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決して...
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posted 2017-11-21 00:39
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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ローカル線と呼ばれる地方線は、元々鉄道敷設法に基づき建設されることとされていましたが、鉄道で輸送するには過剰な輸送力になるような地域もありました。 戦後、膨大な赤字を抱える国鉄とすれば、儲からないローカル線は、積極的に敷設したくないと言うのが本音でした。 国鉄はマッカーサー書簡により、公社と呼ば...
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posted 2017-11-19 13:35
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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ローカル線問題とは直接関係ありませんが、昭和25年からは、貨物輸送についてもサービス改善が図られ、小口貨物輸送専用のワキ列車が、汐留~梅田間および吹田~門司間に設定されました。 汐留~門司間が65時間から43時間に大幅に改善されたと言うお話を以前にさせていただきました。 改善の動機はドッジ・ラ...
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posted 2017-11-18 13:21
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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国鉄では、ローカル線の割増運賃を導入することを検討し、実施することとなりました。 昭和35年3月22日に開通した指宿枕崎線(山川~西頴娃間) には割増運賃として基本賃率の1.75倍を課した運賃となっていました。 この方式は4線区に導入されましたが、翌年に新線建設補助特別措置法が成立するとこの制度...
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posted 2017-11-17 14:39
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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この章では、国鉄解体問題の端緒となったとも言え、現在もその方策について広く論議されるべき対象であるローカル線問題についてお話ししたいと思います。 昨日投稿したのですが、誤って消してしまったので改めて投稿させていただきます。 古くて新しい、ローカル線問題。(特に昭和30年代を中心として) 国鉄の経営は...
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posted 2017-11-16 19:24
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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昭和36年度を初年度とする第2次5ヵ年計画は、輸送量の増加が当初予想を上回り、計画がこれをカバーしきれないことが確実となったほか、資材・用地・賃金等の高騰が当初予想の資金では不足をきたす結果となったうえ、三河島事故の発生で、安全面の投資不足が大きくクローズアップされるなど、昭和37年7月には第2次5...
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posted 2017-11-15 14:46
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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<昭和32年の監査報告書には> 国鉄監査委員会(委員長は後の国鉄総裁に石田礼介氏)が発表した、昭和32年度監査報告書の序章で、「国鉄経営理念の確立」を唱え、公共企業体審議会の答申と、産業計画会議の勧告を正面から取り上げていました。 以下引用すると 「監査委員会は、これらの意見に対し...
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posted 2017-11-14 20:06
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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〈産業計画会議の勧告〉 公共企業体審議会答申からしばらく経った、昭和33年7月には、民間組織の産業計画会議が「国鉄民営化論」を発表、新聞社・評論家をあげて賛否両論が繰り広げられました。 その際の勧告の要旨は以下のとおりです。 「Ⅰ 国鉄を特殊会社とし、その経営に完全な自主性を与えよ」 1. 現在の...
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posted 2017-11-13 15:04
国鉄があった時代、日本国有鉄道史
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昭和30年、政府は臨時公共企業体合理化審議会の答申を受けて、運輸大臣の諮問機関として『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建の方法を諮問したのです。 その背景には、戦時中から戦後にかけての酷使で輸送施設は全体に老朽化し、慢性的な輸送力不足と労使関係の悪化に伴う職場の荒廃などが取り沙汰され...