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先日の振り替え休日の日に、3つの大事な用事があり、朝早くから車で走り回っていました。午後3時ごろには3つ目の用事のため、長野県の菅平高原にある姉夫婦の家に向かっていました。
午後になると雨が降り出し、このころになると高い山の頂上は白く雪化粧をしています。ノーマルタイヤしかはいていない車のため、雪になったらどうしようかと不安に思いました。高原の入り口をすぎて山道を上り始めると、その不安は的中し、雨は雪に変わりました。でもまだ車道は車の通行が多く雪はとけ、何とかたどり着くことができました。
午後5時過ぎになって東京までの帰路に着きました。このときにはすでに7〜8cmの雪が積もっていて、道路にも真っ白に雪が融けずに積もっていました。もし上り坂だったらきっとスリップして上れなかったと思いますが、ほとんどが下り坂だったため、何回かスリップしながら高原下までだどり着くことができました。ここまでくると雪は雨に変わっており、一安心しました。この時期だと地元でも車のタイヤはまだノーマルタイヤで、スノータイヤははいていないそうです。そのためか、1台も対向車に出会わなかったことが幸いでした。スリップするごとに同乗した妻と子供は大騒ぎでした。
車のヘッドライトに照らされる大粒の雪はまるで吹雪のようで、怖いながらも別世界に迷い込んだようで、何とも幻想的な気分を味わうことができました。他人より一足早い初雪を体験でき、ちょっと得をした気分にもなりました。
今年初めて体験した雪ですが、数時間後に東京にもどるとこちらはまだまだ暖かく、それが夢だったようにさえ感じてしまいました。
カーネル笠井
ある日、8人の子供達のお弁当をのぞいて見ました。O君のお弁当には形のいい大きな梅干が入っています。きっと有名な南高梅でしょう。ところがO君はその梅をお弁当箱のふたの上に出して食べ始めました。
私「どうして、梅干しを食べないの。」
O君「酸っぱくて食べられないんだもの。先生、食べてくれる。」
私「だめだよ。せっかくお母さんが健康のことを考えて入れてくれたんだから、ちゃんと食べないと。」
O君「じゃあ、あとで捨てちゃう。」
私「それじゃあ何にもならないよ。半分でも食べたら。」と言いました。
O君は4分の1ほどを箸でくずし、残りを私に手渡しました。私の苦手なタイプの梅干しですが、ずいぶんと立派で、こんなものはしばらく食べた事がありません。もしかすると美味しく食べられるかもしれないと思い口に入れてみました。が、やっぱりかなり酸っぱく、次は無理だなと感じてしまいました。
Fさんはよく市販のお弁当を持ってきます。でもそのときには必ずお菓子のコーナーで売られているカリカリ梅や甘い味のする梅干を買ってきて、お弁当のあとで食べています。
私「いつもそういう梅干しを食べるの。」
Fさん「いつも買うように言われているの。1つ食べて。」
と言って私にくれました。ハチミツ漬けのバニラ味の甘いものです。これなら私にも食べられると思いました。
サッカーをやっている男の子と女の子のお弁当には梅干が入っていて、2人とも平気でそれを食べています。勉強以外にもはげしい運動をするので、きっと体が要求しているんだと思いました。そして、残りの子供達のお弁当には梅干は入っていませんでした。
個人的には梅干の健康効果はバツグンだと思っています。何とか定期的にでも子供達に食べさせて欲しいと思います。
人間の体は不思議なもので、初めて食べたときには“まずい”と思っても、それを食べた結果体の働きが良くなると体が要求するのか無意識にまたそれを食べたくなるものなのです。そして次に食べたときにもやっぱり“まずい”と思うのですが、しばらくするとまた食べたくなるのが不思議です。ですから梅干しの苦手な子供達にも、定期的でよいので食べさせて欲しいと思うのです。
カーネル笠井
今の日本でおきている株安・円高の影響が
自分の生活にどう関係してくるのかよく分からず、
漠然とした不安感を抱いていました。
そんな中、昨日・今日と続けざまに出会った出来事に、
心が痛みます。
昨晩は塾での仕事を終えて乗った電車が人身事故をおこしました。
消防や警察がかけつけ、
線路上で停車すること45分間、
居たたまれない思いでした。
そして、今日も夕方
新橋駅で起きた人身事故のため
大幅に電車が遅れていました。
途方に暮れての選択だったのでしょうが
電車の中に重いため息が充満していました。
福井
先日の夕方、私の言うことを聞かずになかなか勉強に取り組まない小学3年生の息子とけんかして、「今日はテレビはいっさいつけない!」と宣言してしまいました。
息子「ぼくはにぎやかなのが好きなのに、これじゃあかえって勉強する気になれないよ。」
などと悪態をついています。
私は、新聞などもまだ読んでいない部分がたくさんあるし、後で読もうと取り置いたものもあるのでこれを読むいいチャンスなどと気楽に考えていました。しかし2時間も過ぎるとたいくつしてきて3時間は続きませんでした。わざと会話をしないようにしていたこともあって、部屋の中がとても静かです。いつの間にかうとうととしてきたのです。これは息子も同じだったようで、夜の9時にはさっさと寝てしまいました。私も久し振りに夜の10時には床に就きました。
そして翌朝、やはり早く寝たせいか5時ごろには一度目が覚めてしまいました。さすがに今から動き出すのは早過ぎると思い、眠れなくてもしばらくは布団の中にいようと考えているうちに、また眠ってしまったのです。
ここからは夢の連続でした。そして、最後に見た夢だけは、やはりはっきりと覚えていたのです。それは小学校と中学校をまとめた同窓会が行なわれた夢です。途中で転校していったクラスメイトまでもが全員参加しています。挙げ句の果てにはどうしても顔も名前も思い出せないメンバーまでが2人ほどいたのです。この辺が夢の不思議なところです。そして、これだけはっきりとした夢をたくさん見るのは本当に何十年ぶりかです。
7時過ぎに起きると、さっそくそのことを妻と息子に話しました。
妻「私もたくさん観たわ。」
息子「僕も!」
どうやら家族3人、秋の夜長をそれぞれの夢でたっぷりと楽しんだようです。
カーネル笠井
ちょっと前に目にした新聞記事に気になるものがありました。日本の農家の人が、田んぼのあぜ道で見つけたクローバー(シロツメクサ)に21葉のものがあり、これがギネス記録に認定されたというものです。それまでのギネス記録は、やはり今回と同じ人の発見した17葉のクローバーだったのです。
私が小学生のころにはすでに“四つ葉のクローバーを見つけると幸福になれる”という『四つ葉のクローバー伝説』は流行しており、私も庭のすみにたくさん生えているクローバーの中に座り込んでそれをさがしたことがあります。しかしなかなか見つけることはできませんでした。そんなとき、土蔵の横にある金属などの燃えないゴミを捨ててある場所の周辺もたまたまさがしてみたのです。すると四つ葉どころか葉が折り重なって何枚でもついているといったものがたくさんあったのです。おぼろな記憶ですが12〜17枚のものがたくさんありました。そして、その場所は残った農薬を入れた缶が捨てられている場所でもあり、“農薬の捨てられている場所”と“幸せ”というイメージが結びつかず、こんな場所では絶対に見つからない、と勝手に思い込んでいただけに不思議に感じたことを良く覚えています。そして、この記事を読んで私と同じ体験をしたことがあるという人が、何と私の身近にいたのです。
今回のギネス記録はこの出来事とは全く関係のないことなのかも知れません。でも、クローバーの葉の数は4枚までが自然の突然変異の範囲で、それよりも多いものを見つけても伝説のように幸せにはなれないのではないでしょうか。
最近は何でもギネス記録になるようで、少し権威が失われつつあるように感じてしまうのは私だけでしょうか。
カーネル笠井
以前、府中市にある多磨霊園からさほど遠くない所に住んでいたので、この霊園内の道をオートバイで走ったことが何度もあります。横の東八道路は車の行き交う道で、この道をはさんだ反対側には府中自動車試験場があります。ですから、平日でもこの道は人でにぎわっています。ところが一歩霊園内に入るとほとんど人は見当たらなくなるのです。特に夜に走ると、真っ暗闇がどこまでも続いているかのようで不気味にさえ思えました。(霊園なので、当たり前かも知れません。)ところが、春分の日や秋分の日になると、春や秋のお彼岸のお中日ということで、お墓参りの人手でごった返すのです。ふだん見慣れているのが静かな霊園ですから、お祭り騒ぎのようにさえ感じてしまいました。
お彼岸になると最近もう一つのことが思い出されます。それは、以前、地域の理事会で一緒だった人で、もうお亡くなりなった理事長さんのことです。私の担当の関係上よく行動を共にしました。初めは副理事長を担当していましたが、そのときの理事長が転居のためにすぐにやめられてしまい、誰も理事長のやり手のない中で自ら手を挙げて「私がやりましょう。」といって就任したいきさつもあります。こわ面の方でしたが、いつも笑っていました。臨時総会や日曜日の住民との連絡会で、心無いやじやわがままな注文が出されます。ついついけんか腰になってしまう私たちを横目に、そんなときでも平然としていて笑顔を絶やさなかったのです。そんな様子にずい分と励まされたものです。どんな人生を歩んできたのだろうかと興味はありますが、余計な詮索はしないで、今はあのころの笑顔だけを思い出そうと考えています。
人は他人のおこった顔は不快なのでできるだけ思い出さないようにし、自分の記憶から消し去ろうとします。笑顔は思い出すたびにこちらの気持ちをすがすがしくさせてくれるので、度々思い出して忘れずにいます。やはり、笑顔が一番ですね。
カーネル笠井
この時期にテストの試験監督をしていると、まだテスト時間が10分以上も残っているのに、何もしないでひまそうにしている子がいます。
私「もう終わったの?まだ空欄があるから、その問題を考えたら。」
A「もうやってもわからないから、あきらめた。」
私「それなら、できている問題の解き直しをしたら。」
A「なおすと、まちがえちゃうからしないんだ。」
何とももったいないテストの受け方です。大人の感覚だと、1つでも2つでもミスが見つかってそれが直せれば大もうけのはずです。ところが、6年生でも今の時期ではまだ初めの答えが正解で、解き直したときの答えの方が不正解ということが実際にも多いのです。やはり、解き直しのときには最初のときほどの集中力は出せないようです。
こうなる原因は、まだ知識が正確でないことが一番影響しているようです。ちょうど、老中の水野忠邦の行なったのは「天保の改革」なのか「享保の改革」なのかと迷うようなものなのでしょうか。そして、これからの数ヶ月でこういった知識を正確なものにし、解き直しでミスが見つけられるように集中力も持続させる訓練が必要となってくるのです。
たくさんのあいまいな知識よりも、少なくても正確な知識の方が得点に結び付きます。それは、その知識をもとに考えることができるからです。ですから、ただいろいろなことを教えても、それが覚え切れなければむしろマイナスということになってしまいます。それを使って考える習慣が身に付かないからです。知識は常にそれを使って考える楽しさとともにでなければ意味がないのです。
何かを覚えたら、すぐにそれを使って考える。それを繰り返すうちに正確な知識も、思考力も同時に養われてくるものです。それを考えると、中学受験に必要とされる知識は、その量をはるかに越えているようで心配です。何も考えずに知識の詰め込みに走る、という場面も多く見受けられるからです。ですから、子供によって必要な知識の取捨選択がどうしても必要になってきて、これが常に私たち指導員の大きな課題となっています。
カーネル笠井
病院の近くを通る時
よぎる思いがあります。
父や娘が入院した病室の窓から
見下ろした風景が
何か眩しく、鮮やかだったこと。
日々の流れの中では
気付かずに過ごしている時間が
貴重でありがたく感じたこと。
元気になって笑い合いたいと願った父は
もう亡くなって19年になろうとしています。
先日「生きる」をテレビで観た友人に聞かれました。
「もし半年の命と言われたらどうする?」
みなさんの答は何ですか。
私は・・・。
福井
先日、アメリカのテレビドラマが放送されていて、登場人物の『レベッカ』が家族や親しい友人達から『ベッキー』と呼ばれていました。アメリカでは“レベッカ”という名前がつくと必ず愛称が“ベッキー”になるそうです。日本でもテレビで人気のバラエティーアイドルの『ベッキー』の本名は『レベッカ』だそうです。
これだけ聞いた感じが違うと、2つの名前をもらったみたいで楽しそうですね。私も以前所属していた塾では“カーネル”との愛称で呼ばれていました。何だか自分が2人いるみたいで、少し世界が広がった気分もしたものです。
日本では市役所に人名を登録するときには、決められた文字しか使えないことになっています。しかし、その読みには制限がないのです。以前高校野球で有名になった投手に『宇宙』と書いて『ひろし』と読む選手がいました。これだけでも自分の世界が広く感じられたのではないでしょうか。学生時代に名前が『明一』と書いて『あきかず』と読む友人がいました。彼の愛称が“しょういち”で、みんなからそうしか呼ばれない彼もそれをいやがったり、それを否定したりすることはありませんでした。わが家でも娘を中3のころまでは“コーチェ”との愛称で呼んでいました。少し距離がおけて良かったように思います。
少子化になって、子供達も昔のようにたくさんの兄弟や友達がいる状況とはずいぶんとちがってきたように思います。いっそのこと、みんながセカンドネームを持って、それを使い分けて行動したら面白いのではないでしょうか。自分を見失いがちになる現在ですが、かえって自分のことが冷静に見られるようになる気がします。
カーネル笠井
週末になるとどこかで夏祭りが開かれる時期になりました。
浴衣姿をよく見かけます。
仕事帰りに花火や夏祭り帰りの人たちを見かけると、「やられた〜」というお思いで一杯になります。
それぐらい本当は夏祭りも花火も大好きです。
今でも思い出すと恥かしい思い出があります。
田舎の盆踊りは8月14日〜16日までの3日間行われます。そして最終日16日には恒例の仮装大会です。毎年大勢の有志が志向を凝らし盛り上げます。中には素人とは思えないほど、マニアックな人もいたものです。当時最もポピュラーなキャラクターはドラキュラとフランケンシュタイン、そしてロボットの三大キャラでした。
そしてとりあえず、そんなプロ集団に混じって小さな小僧も修行をさせていただいていたのです。
ある年、友達数人と満を持して参加した時のできごとです。
当時流行っていた漫画、「もーれア太郎」軍団に扮して登場したのです。
占いを道楽にしてるグータラ親父、×五郎に代わって、八百屋の八百×を切り盛りしているのは息子のア太郎。その×五郎が死んで天国に行ってしまい、ア太郎は一人で八百屋を続ける決意をする。ひょんなことから自分を慕うようになった弟分のデコっぱちを店員に、今日も忙しく働いているというストーリーでした。
当然、他に被るキャラの出場者はいない模様で、オリジナリティは十分だったのです。
しかし、事件は間もなくやってきたのです。
盆踊りが始まって30分もたたないうちに、八百屋をイメージして持っていたかぼちゃを、なんと落としてしまったのです。かぼちゃはここぞとばかりゴロゴロと回り続け、しまいにはどぶの中にポチャっと落っこちてしまったのでした。これには集まった大勢の人たちの大爆笑の渦でした。それはもう穴があったら入りたかったほどでした。
それ以来、うわさが消えるまでの間、町中の人たちに、「でこっぱち」と呼ばれた不屈の時代を迎えたのでした。
今年はせめて多摩川の花火大会のおこぼれにでもあずかりたいものです。
ラッコ横山
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