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昨年の9月頃のことです。電車の座席に座って居眠りをしていた私の前に立った、若い男女がこんな会話をしていました。
女性「ねえ、万座温泉って知っている。」
男性「たぶん聞いたこともないと思うけど、それがどうかしたの。」
女性「前に一度だけ行ったことがあるんだけど、それだけでそのときにあった皮膚病が全部治っちゃったの。すごくない。」
男性「本当にそれだけで?信じられないよ、そんなこと。」
女性「本当に、本当なんだから。」
こういう、何気なく耳に入ってくる情報は信頼性が高いと考えていましたし、万座温泉は車で2度ほど通ったことがあり、良く覚えていたので興味深く聞いていました。しかも、車で通ったときに目に入った谷間に積もった黄色い硫黄の光景と鼻をつく硫黄の臭いを思い出し、皮膚病がすぐに治るというのは本当かも知れないと思い、チャンスがあったら是非行ってみたいと考えていたのです。そしてこの夏、やっと行くことができました。
万座温泉は、長野県と群馬県の県境にあり、すぐ近くには有名な草津温泉があります。草津温泉は、湯畑、湯もみ、湯の花などで知られており、日本の三名湯にも入る人気の温泉です。今回は、長野市に行った帰りに寄ったので、上田市から山道に入り、浅間山のふもとに広がる嬬恋村のキャベツ畑の中を走り抜けて行きました。途中、軽井沢から来る有料道路と合流すると、そのまま直進するとすぐに草津温泉、左折すると万座温泉になります。左折して、高すぎる通行料1050円の有料道路を走ると間もなく到着しました。早速、観光案内所に行って情報を集めました。すると、ここではどこの温泉にも露点風呂はあるが、ほとんどが男女混浴なのだそうです。中でも、風呂の設備がいろいろと整っているということで、「万座プリンスホテル」の温泉に行くことにしました。
ここの露点風呂は、山の中腹というよりもがけの中腹といった場所に3つ作られていました。「標高1800mの雲上の天然温泉。」という看板があるように、たしかにここからの眺めは大パノラマで最高でした。それに、ふもとでは37℃あった気温も、湯につかって熱くなった体を冷ましてくれるのに充分なほどすずしいものでした。源泉は80℃近くもあり、湯の色は黄緑がかった濃い乳白色でした。硫黄の臭いがものすごく、帰ってきてからも2日間ほどは硫黄の臭いが抜けないほどでした。
ホテルの売店には、混浴用にワンピースのような女性用の浴衣が売られており、それを着た若い女性が1人男性に混じって入浴していました。その後も何人か女性がやって来ましたが、入り口まで来ても混浴に入る勇気がわいてこないようで、みんな戻ってしまいました。見渡せば男性ばかりで、平気で裸のまま歩き回っています。この眺めが見られずに可愛そうだけれども、これでは仕方がないなと思いました。後で妻に聞くと、ここには女性専用の露点風呂もあり、眺めもすごく良かったそうなので安心しました。紅葉の季節、雪の季節にも是非来たいね、などと話しながら帰りました。
さて、皮膚病への効果はというと、私は腰の辺りに軽いあせもがあっただけですが、その後かゆみが取れ、今ではすっかり治っています。息子には軽いアトピー性皮膚炎があったのですが、その後あまりかゆがらなくなったような気もします。にきびなど、もっと他の皮膚病の方がその効果がはっきりと現れるのかも知れません。とにかく、これ以上の殺菌効果は他では考えられないような温泉で、眺めと合わせて大満足でした。
時々、お母様向けのセミナーでお話することです。
「宿題やったの?」
「どうして勉強しないの?」
よく使う言葉です。
これは疑問形はとっているけれど
予め答が用意されてる
子ども達を追い込むための言葉ではないでしょうか。
「早く宿題やりなさい」
「自分から勉強しなさい」
現に子ども達は
「今やろうと思ったのに」
「だって・・・だもの」
言い訳や不快感をあらわすだけです。
「今日はどんな宿題がでてるの?」
少し遠回りかも知れませんが
そんな言葉かけをしてみるのも
効果があると思います。
福井
花屋さんの店先にススキの穂や桔梗が出回り始めました。
子ども達はどんな気持ちで9月を迎えるのでしょうか。
「夏はよくやったな」と感じていれば安心ですが
意外と
「夏休み、何してたんだろう」
「あーどうしよう」
「予定通り出来なかった」
不安やあせる気持ちを抱えている子も少なくないはずです。
そんな時は
「ここはちゃんとできたね」と
やってきたことやり終えたことを
もう一度声掛けします。
出来なかったことを並べて不安ばかり増幅させるより
これからの時間をどう使うかを
しっかり受けとめることが大事です。
夏さぼったことを反省し
秋以降で挽回して希望を叶えた生徒もいます。
今の状態を分析し、秋を迎えましょう。
時間は戻りません。
これからどうするか、どうしたいのか考えてみましょう。
福井
夏の思い出に『わらじ祭り』があります。毎年1回、数十メートルにも及ぶ特性のわらじを引いて市内を回り奉納するというお祭りです。あまりの長さに交差点を曲がるのも一苦労でした。
小学校5年生のとき、そのお祭りに出演する機会が巡ってきました。小学校の鼓笛隊にそのオファーが飛び込んできたのです。当時珍しい「わらじ音頭」を鼓笛隊で演奏できるようアレンジしたレパートリーを持っていたからです。そしてこのユニークな先生は新聞でも掲載され、時の人になっていたのもその理由です。
今でもその時の興奮を覚えています。当日は夕方16:00の入りでした。本番前にお弁当が配られ、目を白黒にさせながらみんなで興奮気味に食べたことをよく覚えています。そしていよいよ本番。祭りのスタートを飾る緊張の一瞬です。TV中継のカメラもあちこちに配置され照明もまばゆく鼓動が高ぶります。さらに余計なことに家族が最前列に陣取り、緊張の面持ちで今か今かとこちらを凝視している姿も目に入り、緊張はグングンうなぎのぼり。
みんな初めての経験に言葉少なくスタートの合図を待ちます。そしてついにスタートです。いつもの調子でリズミカルで観客の拍手も相まってなんとか無事に市内を巡り、数時間に及ぶパレードも終了、気がつくと全員汗だくでした。いったいどこをどのように歩いたことか、ただただ列の中の一人として夢中で演奏するだけでした。
子どもにとって緊張する場面はいくつもあります。その時、もっと緊張した親の表情を見るのはさらに煽るだけです。でも、ある場面から時計の針が急にゆっくりと刻む瞬間があります。それは何かに夢中になった瞬間です。勉強に限らず子ども達が夢中になれる瞬間を大切に見守ってあげたいと思います。
夏休みの終わりが近づくと、子ども達以上に大人が焦り始めます。感想文は終わったか?レポートは書き終わったか?など、急に確認のピッチも上がります。先週の段階では「終わった!」と言っていた子が、急に今週になって「どうやればいいのか教えて欲しい」とか、「実はまだ終わってなかった」など驚くばかり。しかし、昔自分もそうだったなと、今も昔も変わらない様子に微笑みながら手を差し出しています。
それにしても宿題があまりに多い子もいます。ほとんど毎日コツコツ取り組まなければ終わらない分量もあります。残念ながら、【元気に遊ぶこと!】と言った宿題は見当たりません
先日(日曜日)、時代劇の「蝉しぐれ」が放送されました。映像の中で何回も流された蝉しぐれが、毎日聞かされている蝉しぐれと重なって、暑くてだるい日本のどこかで、今おきている出来事のような気さえして見ていました。ドラマの後半ではエンマコオロギの鳴き声も流され、一瞬テレビから聞こえてくるのか、部屋の外から聞こえてくる本物の鳴き声なのかの区別がつきませんでした。もともとテレビでは、チャイム音の「ピンポーン」とか、電話の呼び出し音の「リリリリリーン」などの電子音は忠実に再現され、家族でもよく「あれ、テレビなの?うちの玄関なの?」と迷うことがあります。きっと、せみや秋の虫達の鳴き声も、電子音に近いのかも知れません。
以前、虫の鳴き声を日本人と欧米人に聞かせて、その反応を調べると言う実験番組がありました。その中で、日本人は虫の鳴き声を聞くときれいな音と感じ、リラックスできていやされるからもっと長く聞いていたいと反応します。ところが、欧米人は金属をこするような耳障りな音と感じ、少し聞いていると頭が痛くなるからもう聞きたくないと反応したのです。全く逆の反応でした。そこで、何がちがうのかを知るために脳波を調べる装置にかけてみたのです。すると、虫の鳴き声を聞いた日本人は左脳(言語、計算、理論を管理する)が反応し、欧米人は右脳(音楽、芸術、直感を管理する)が反応したのです。たしかに、日本人は虫の鳴き声を言語のように考え、これを「リンリンリン」とか「チンチロリン」とか「コロコロコローリ」などと言葉に置き換えようとします。ですから、日本ほど虫の鳴き声に対していろいろな言葉をあてはめている国は少ないのです。一方、欧米人はきっと音楽で演奏される何かの曲のようなつもりで聞くのでしょう。ですから、拍子も合わないし、音色も他の楽器などに比べてそれほど優秀でないものに感じてすぐに飽きてしまうのだと思います。
日本の文化は、石や木や森にも神が宿るという“自然神”を中心に組み立てられてきました。ですから、虫にも人格を与えることがあるのです。これに対して、欧米の文化はキリストなどの“人格神”を中心に組み立てられてきています。そのため、人間中心の考え方が強く、虫は人間以外の物として取り扱われるからなのだと思います。それにしても、これほど大きな違いがあることに、本当にびっくりします。
昼には真夏の蝉しぐれ、夜には秋の虫の鳴き声と、暑い今年の夏を象徴するような毎日が続いています。なのに今夜に限ってくもり空になってしまい、楽しみにしていた皆既月食も見られそうにありません。とてもうらめしく思う半面、記録的に暑かった今年の夏もいよいよ終わりになるということなのだと考えると、少しホットもします。
先日友人宅の新しい家族になった
生後2ヶ月のトイプードルの「まりも」に会いに行って来ました。
何をしてもかわいくて
トイレが上手に出来たといっては
みんなで褒め、
お座りが出来たといっては
かしこいと感心していました。
友人宅の子どもが一言、
「いいなぁ、そんなことでみんなにほめられて」
そうなのです。
あなたがそこにいるだけでうれしいと
存在承認することは
コーチングにおいても大事なことです。
どんなに反抗しようと
親の思い通りにいかなくても
あなたが我家の家族であること、
そのことが大きな喜びであることを
子どもたちに伝えてみませんか。
福井
猛暑日が多いせいか
年配の男性の帽子姿を見かけます。
パナマ帽に、麻の開襟シャツ、大きめの扇子を片手に
我家に顔を見せてくれた祖父。
麦茶をおいしそうに飲み干す姿を
鮮やかに覚えています。
森茉莉が書いた「父の帽子」も思い出に彩られた本です。
父である森鴎外と一緒に帽子屋に出かけた折の出来事、
頭が大きく合う帽子がなかなかなかった鴎外のこと。
父である鴎外を心から慕っていたことが
文面からにじみでています。
物を介して、時間をこえて
心にしみてくるものがあります。
この夏、子どもたちは
虫捕り網や浮き輪、汗拭きタオルに
思い出をたっぷりしみこませたでしょうか。
夏休みも残り一週間です。
福井
今年の高校野球もたくさんの感動を与えてくれました。しかも、スター選手のいない全員野球が力を発揮した大会になりました。優勝チーム監督のコメントが印象的です。
「この子達のどこにこんなパワーがあったのでしょうか。毎試合ごとにいろいろなことを教えられた。いつも監督自身がビクビクしていたのにも関わらず、子ども達は堂々と一生懸命にプレーをしてくれた。他のチームに自慢できることは、底知れぬ体力と甲子園で重ねてきた試合数。」
子ども達が持っている底力を痛感した大会だったと思います。実力が均衡するチームが多かった中で、確実に勝利を勝ち取ったチームは堅実なプレーと絶え間なく続けた走り込みだったようです。たくさんのことを教えてくれた大会でした。
最近、旅館や温泉あるいは飲食店に「囲炉裏」が復活してきています。昔は田舎の家では土間を上がったところに広い「囲炉裏」があったものでした。そこにはやかんかお鍋がかけられ、お湯が沸いているかあるいはお味噌汁が温められていました。また、夜になると魚を串焼きにしたり、正月にはお餅をあぶったりと、今思えばとても便利な場所でした。
しかも、寒い冬でも暖かく、なかなかそこを離れられませんでした。ある意味、キッチンでありリビングルームでありと家の中心になっていた空間でもありました。家の長は必ずと言ってよいほど一番奥に堂々と座っていたものです。そしていつも家族が集い、客人もそこでもてなしを受ける理想的なコミュニケーションの場でもありました。
また、「囲炉裏」はよく考えられていて、常に温かな空気を家中に充満させることで家屋の木の腐食を防いだり、薪から出るエタノールが防虫の役目を果たしていたそうです。小さいながらよく火事にならないなと心配したものでした。そして、ある時、野口英雄の伝記を読んでから、少し近づくのが怖くなったこともありました。
日本の伝統には深い味わいがあります。
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