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毎年恒例の6年生を連れての初詣に行きました。今年は卒業生の中1の生徒もかけつけてくれました。普段は元気な子ども達も神社に参拝するときは心なしか神妙な表情です。きっと徐々に合格したい思いが強くなっているのでしょう。心の奥では「合格させてください!」と願っていたのでしょうか。参拝が済んでもなかなか帰ろうとしないところに子ども達の祈る思いが表れています。
今月はいかに「平常心」でいられるか、親が試されるひと月です。子ども達は一心不乱に目の前の勉強に集中すればよいのですが、親の方は何をしてあげたらよいのか迷います。たとえどんなことがあっても狼狽しない心構えが大切です。そのためにもご自身の時間を保ち、心にゆとりを持って過ごしましょう。お母さんの笑顔が最大の勇気になって子ども達を包みます。毎朝、鏡の前で最高の笑顔の練習です。
ラッコ横山
あけまして、おめでとうございます。皆様にとりまして幸多き年でありますよう、心からお祈り申し上げます。
毎年元日を迎え、今年はどんな年になるのだろう、どんな年にしようかななどと考えるのですが、結局は目前にせまった中学入試のことが気になり、あと1ヵ月どう指導していこうかということに行き着いてしまいます。
親の期待が子を伸ばすといいます。それは、子供達が親の期待に応えようとがんばるからです。中学入試の場合には特にこの傾向が強く、ほとんどの子供達が自分の希望というよりもむしろ親の希望に沿ってけん命に受験勉強に取り組んでいるのです。でも、もしこの期待が大きすぎて、どんなに努力してもその期待に応えられないと感じることが続いたらどうでしょうか。子供達の心は少しずつ親の心から離れて行ってしまいます。では逆に全く期待されない方が気楽で良いのかというと、そんな子供達はこんどは不安でしょうがなくなってしまうようです。子供達にとって、親の期待に応えられたと感じたときの満足感と安心感はかけがえのないものなのです。
そんな子供達を見ていると、やはり子供達を応援せざるを得なくなります。親の期待も子供の将来を考えた合理的なものも多いのですが、なかなか子供達はそううまく行動してくれません。私達ができるのは、微力ながらそんな子供達が少しでも楽しく前向きにがんばれるように工夫してあげることぐらいしかないのです。
中学受験生を持つ親の方にはぜひ認識しておいて欲しいと思うことがあります。それは、中学受験を目指す子供達は多かれ少なかれ親の期待に応えようとしてけん命に勉強しています。そして、この勉強と努力と経験こそがその子にとって将来もっとも役に立つことであり、この時点ですでに親の期待に応えていると思えるのです。
たとえ第一志望が不合格でも、第二、第三志望の学校に合格したときには心底喜んでやって欲しいのです。そして、もしどこも合格できなかったとしても『良くがんばったね。ありがとう。』と言って欲しいと思います。それではじめて子供達も次のステップに進めるのですから。
カーネル笠井
亥年が暮れていきます。
たくさんの方々との出会いがありました。
子どもたちの笑顔と、信頼してくださるご父兄、
同僚に囲まれた一年でした。
お店では売っていない、お金では買えない
かけがえのないものに囲まれた一年を
深く感謝しています。
本門寺の除夜の鐘がもうすぐ聞こえてきます。
皆様の幸せ多き一年を祈りつつ、来る年を迎えます。
来年もよろしくお願いいたします。
福井
冬期講習が連日熱い展開が繰り広げられています。特に受験学年の健闘が光ります。朝早くから夜まで、ほぼ一日にわたって勉強に取り組んでいますが、ほんの数ヶ月前までは予想もできないほどの忍耐と集中力です。日に日に学力が身についていることも実感できます。そんな子ども達をしっかりと支えていきたいと思います。
この冬は卒業生の中1の子たちもまた何人かが戻ってきました。英語に数学に、ちょうど一年前の今頃が走馬灯のように思い出されます。今年は後輩の子ども達を応援してくれます。「去年の今頃は大変だった!」と、思い出話しをしながら後輩を叱咤激励する姿には、1年の大きな成長を感じます。
ラッコ横山
クリスマスが終わると急に師走のあわただしさを感じます。朝から銀行には長い列。年の瀬の大掃除の準備か、たくさんの買い物袋を抱えて足早に歩く人が増えました。店頭には正月飾りが並び、道行く人が立ち止まって品定め。年の暮れるのも早いものです。
今年こそは○○をするぞ!と意気込んだ正月のつもりがもう年の暮れです。反応が鈍くなったのか、あるいは動きが鈍化しているのか、なかなか思うように行動できません。結局はまたもや反省の一年だったことにさらに反省です。
ラッコ横山
【偽】
2007年を表す漢字に決まったそうです。確かにいろいろな事件や事故が起きました。その背景には人をだます行為が強く感じられて選定されたのでしょう。
しかし、この字が今年の漢字かと思うと、考えさせられるものがあります。反省の1年として来年は夢のある漢字が選ばれればと期待しましょう。
(ラッコ横山)
ある夜遅く、帰宅するとなにやらテーブルの上に一つの山ができていました。明かりをつけるとそれはたくさんの単語帳の山でした。娘が暗記のために購入してきたようです。相変わらず要領が悪いからか性格なのか、未だに書いて覚える習慣が抜けないようです。思い返せば、小学校の低学年のころから書いて覚える日々を過ごきていたようです。
昨今はゲーム機で勉強ができたり、コンパクトなデジタル式の辞書や学習ツールもたくさん市場に出回っています。しかし、自分の手で手間隙をかけて作った単語帳のようなものも愛着があるのか、それともパーソナルで自分にとって使いやすいのか、それぞれのようです。
ラッコ横山
長嶋ジャパン・王ジャパンと育んできた日の丸魂が、闘将・星野監督のもと召集された選手・コーチ・そして裏方の皆さんの力によって花開きました。
久しぶりに手に汗を握る場面を体感できました。普段は別々のユニフォームを着た選手が、日の丸を背負うことで国の威信をかけて戦う同志となりました。長嶋監督も王監督も試合後に体調を壊し入院あるいは手術を強いられるほどのプレッシャーが日の丸にはこめられているのでしょう。その過酷さは想像もできません。
たくさんの人が同じ目標に向かって力を合わせることはとても素晴らしいことです。ちょうど高度経済成長期の日本はこのような状態がずっと続いていたのでしょう。誰もが迷うことなく勉強に仕事に汗を流していたことでしょう。しかし、現代では豊かな生活背景がどんどん個人主義に流れています。自分さえよければよいという考え方が、いろいろなところで影響を及ぼしています。
先日、若い技術者の世界オリンピック「国際技能オリンピック」の特集を見ました。金型製造など製品化する前の最も大切な特殊技能を競うイベントです。20年前までは日本がダントツの強さを誇った大会も、今では韓国をはじめアジア各国が追いつき追い越す勢いを見せています。選ばれた世界の若者が4日間もの長丁場で技を競い合います。
日本はこの20年で多くの製造現場を海外へ移行しました。同時に技術も海外へ輸出しました。そのことが国内の技術力向上を抑制し、さらには有能な技術者が活躍する場を失ったのです。今では各企業の中に「ものづくり塾」なる匠の技を伝承する場を設けないと消え行く運命にあるそうです。
結局、最も重視される金型では10年ぶりに日本の若者が優勝しましたが、金メダルの数では圧倒的に韓国の勝利となりました。国家を挙げて取り組んだ結果です。国と企業そして工業高校の連携が多くの有能な技術者を育てる取り組みになったようです。
最近のOECD発表によると、日本の子ども達の理数系離れと読解力の低下が顕著でした。高い学力も高い技術力も、ともに国を支える大事な力です。国を挙げての取り組みが急務なようです。まずは家庭でできること、自ら学ぶための訓練や創造するゆとりを大切にしていきたいものです。
10年ぶりに金メダルをもたらした若者を育てたコーチのコメントです。「全ての技術を教えることはしません。結局は自分で悩み工夫して考え出せてこそ、有能な技術者なのです。」
ラッコ横山
制限コード、精密コードとは、知人がよく保護者会などで話していた、子供、特に幼児の知力を伸ばす上手な子育てに関することです。制限コードとは、「あれ」「それ」などの代名詞を多用する会話のことで、精密コードとは、代名詞をあまり使わずに、常に主語と述語をはっきりさせる会話のことです。たとえば、精密コードだと「昨日買って来たオレンジジュースはまだ残っている?」としっかり話します。制限コードだと「昨日のあれ、まだある?」になってしまいます。良く会話のできている間柄であればこれで通じてしまい、“あ・うんの呼吸”のようで良いことのように思われがちです。ところが、こういう会話をしていると幼い子供の知力を伸ばすのには大きな障害となるのだそうです。できるだけ代名詞は使わずに、常に主語と述語をはっきり使う会話に心掛ければ、子供の知力は自然と大きく伸びるのだそうです。
若い頃はほとんどそんなことは何も考えずに子育てをしていましたが、最近になりだいぶ状況が変わってきていることに気がつきました。
妻「おいしいケーキをいただいたの。今食べる?」
私「今食べると胃がもたれるから、夕食のときに出して欲しいんだけど。」
妻「じゃあ、そうするね。」
私「ところで、昨日たのんでおいたトレーナーの洗濯はできている?」
妻「もう朝から干してあるから、すぐに出すね。」
---数分後---
私「あれ、出してくれた。」
妻「あれは夕食のときって言っていたのに、もう食べるの?」
会話をしていても、考えていることは自分の興味があることが中心になってしまっているのです。お互いの“あれ”はちがっていて、お笑いコンビのアンジャッシュがよくする漫才のようになっていたのです。
孫と言われても不思議のない年令で子供ができたことを機に、私の提案で精密コードの会話をしようと妻と約束しました。ついでに、あんまり幼児語は使わずに育てることも同時に約束したのです。初めは、妻が私に注意されることがほとんどでした。
妻「あれ、してくれた?」
私「何のことか、さっぱりわからないよ。」
妻「夫婦なんだからそれくらいのこといちいち説明しなくたってわかるでしょう。そんなことまで説明しなくちゃいけないなんておかしいわよ。」
と逆切れしていました。それでも、子供のためだからと言うと何とかおさまっていました。しかし最近ではこの逆が多くなってしまったのです。
私「あれは何でいつまでもあんな所に放ってあるの?」
妻「主語を言ってくれないと何のことかわかりません。」
などと冷たく言われて、ついムカッときてしまうのですが、言い出しっぺは私です。じっとがまんして言い直すことが多くなってしまいました。この精密コードの会話に気を使うようにすると、もう一つの約束事であった幼児語の方は自然と使わなくなっていました。
さて子供の方はと言うと、はじめから大人の会話の中で育ったせいか、言葉に対する興味は上の兄弟達よりもかなり進んでいるようです。しょっちゅう「救急って何のこと?」などと説明を求められて答えるのがなかなかやっかいです。まだまだこの先のことはわかりませんが、この精密コードによる会話は多少なりとも子育てに効果があるようです。チャンスのある方はぜひ試してみてはいかがでしょうか。くれぐれも夫婦げんかにならないように注意をしながらですが。
カーネル笠井
明日から12月、今年も残り1ヶ月となりました。
このことをコーチング的視点でいうと
「まだ1ヶ月も残っています」
前向きで建設的な見方です。
先日もセミナーで、
「やろうと思って未完了なことはありませんか」と問いかけました。
情報を得たり、足掛かりをつけることは
まだまだ間に合います。
たとえばパンフレットを取り寄せたり、電話で問い合わせたり、
来年につなげる行動を起こしておくこと。
下準備をして年の瀬を迎えれば、
来年のフットワークが増すでしょう。
このことは子ども達の勉強にもいえます。
子ども達は千差万別です。
入力と出力が同時に出来る子、
全部入力が終わってからでないと出力できない子、
自分の充電器が見つからない子
同じ学年ということでは括れない違いがあります。
自分の得意と不得意を知り、
また理解している点、不明瞭な点を明確にして
来年につなげられるといいですね。
福井
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