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岩魚太郎の何でも歳時記

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逝く

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逝く
この言葉は人の『死』を意味する言葉である。
12月の師走になると、今年逝った社会的に著名な方々の訃報が報道される。
2008年には71歳にならんとしている東北岩魚太郎としては、人ごととは思えないのである。そして『逝く』についての感想である。


母親の子宮他力本願で命の鼓動を誕生してから10月10日、この世に誕生してから人生が始まる。人生の目的は何なのか?物心がついたときから「将来の夢」が目的になる。
しかし神が与えた人生の目的は別のことにある。夢はその別のことを達成するための生きることの補助的な手段である。
夢がある人、夢を抱けない人、貧困と言う境遇に生まれた人、大富豪の家庭に生まれた人、
生まれた環境は千差万別だが、生きることの命の鼓動は、神は公平に与えている。
生まれながらに難病の人も、生きようとする命の努力を神は与えた。
生を受けた本来の目的は、命の継承である。赤ん坊が大人になって生殖活動をして子供を産み育て死を迎える。そのことが全能の神が与え人生の究極の目的なのである。


命を育む生き物は必ず命の終焉を迎える。そのことは全能の神が命を育むものに与えた仕組みである。人生50年、最近は平均年齢男性が78歳程度、しかし神の目的は老人の死を求めている。男性は子供を産む性器の勃起が終わって精子の生産機能が終わった時点、
女性は廃経になった時点で、命の鼓動を止める仕組みになっているのである。
この生理的現象をもって、命の誕生の生成が終わると判断、その後は死を待つのみである。
その仕組みを人々は命の定めと言う。

逝く
私こと東北岩魚太郎は、『天然岩魚と山女魚が釣れるHome Page』と言う渓流釣り場のHome Pageを公開している。秋田県、青森県、岩手県と現在福島県を掲載中である。東北6県の渓流釣り場のHome Pageを作業中だが、残り宮城県と山形県である。
私が『逝く』前に果たして完成を見るのか?

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