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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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日本国有鉄道誕生 第1話

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はじめに

国鉄を鉄道国有化の明治時代まで遡るか、戦後の昭和24年以降とするかは、議論の分かれるところではございますが。 ひとまず、昭和24年以降の日本国有鉄道以後の内容ということで、記述を進めたいと思います。 なお、国鉄に関する労使問題や、車両の動きなどといった専門的と思われる分野は、別の機会ということで、ここでは、概要のみを伝えることにしたいと考えております。

日本国有鉄道の誕生前史

日本には、かって鉄道省という役所(さらに古くは鉄道院)という役所がありました、戦時中は逓信省(現在の郵政公社の前身) と統合され、運輸逓信省に、さらには運輸省になり、空襲激しくなる中でも、兵員輸送に、また武器弾薬輸送など貨物輸送にと全力を持って、鉄道員の方は、苦労されました。
 特に、昭和も20年になると本土決戦が叫ばれるようになり、鉄道員も軍人とほぼ同等の扱いを受けることなり、組織もそれに見合った形に改変されました。
 しかし、広島・長崎に原爆を投下された日本は、その国力にも限界を感じ、善戦むなしく敗戦。
 原爆投下の際にも、多くの人々を病院に運んだのも国鉄を中心とした鉄道であり、また昭和20年8月15日、終戦が国民に知らされたときも、現人神(当時)である天皇陛下の放送すら聞かずに黙々と安全輸送に邁進していたのも国鉄職員でありました。
 さらには、翌日以降、国民が虚脱感に打ちひしがれているときでさえも、正確に時を刻みつけていたのは、やはり国鉄であり、車両を動かす国鉄職員の人々でありました。

復員輸送と国鉄

国鉄にとって、終戦後のもっとも大きな作業は復員作業でした、陸海軍省は解体改組され、それぞれ第一復員省、第二復員省と改組され、多くの海外からの兵を国内に輸送する仕事が始まったのです。
 特に、長崎南風崎や、舞鶴などは、復員船の港となったため多くの臨時復員列車が設定され、また多くの人がふるさとへと帰っていきました。
 国鉄に課されていた使命は、武器弾薬から人材という宝を無事ふるさとに運ぶことでありました。
 ここに、以前読んだ雑誌の中にその当時の話を語った一文を思い出します。
 大阪駅では、長時間停車があり、そこで多くの兵員はホームにうずくまるそうであった、何ゆえか?
 それは、排泄のためであり、駅の便所まで行くまでに力も残っていない、そしてそれを誰も止めはしない、やがて時間が来て列車はふるさとに向け旅立つ、そして駅のホームには多くのお土産が・・・(食事中の方がいたら申し訳ないです。)
 駅員は、黙々とホームを清掃し、次の列車を待つ。
 そして、それの繰り返しが・・・・

 人心も乱れ、すさみきった中で国鉄職員は戦後の日本を支えるのは我々であるという強い信念で立ち向かわれたのだと思います。
 その背景にあったのは、鉄道国有化の頃から採られた、国鉄一家主義の延長にあったのではないかと思うのは考えすぎでしょうか。

部内でも検討された経営形態

戦後の混乱の中、公共輸送を担う国鉄では復員者の受け入れ、復員者輸送などに忙殺される中、経営は赤字を続け、政府部内にも官営方式を止めるべきではないかといった議論がでてきました、政府は昭和21年6月に、鉄道会議官制を改正し、民間人を含めた運輸大臣の諮問機関として発足しました。
  そこで、国鉄(当時は運輸省鉄道総庁)は独立採算制を採用することが必要であると言う答申が行われました、昭和23年1月のことです。
 そこで、経営悪化が顕在化していた国鉄バスについて思考が実施されました。
 現在の中国ジェイアールバス広島営業所の広浜線横川自動車区で昭和24年1月から試行、同年4月から全国の国鉄バスで自動車区単位の独立採算制となるなど、部内からも変わっていこうと言う動きが出てきましたが、いまだ決定打は出ませんでした。


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