講和条約と国鉄 第4話 特需景気にわく国鉄
Oct
28
特需によって輸出は大幅に増加し、外貨保有高も昭和24年末の2億ドルから、昭和26年には9億4200万ドルへと大幅に急増し、荒廃した日本経済は急速に立ち直りを見せました。
生産水準は、昭和25年には既に戦前のそれを上回りました、これに伴い交通機関も相当の輸送力が要求されました。
旅客輸送についても、在日アメリカ人軍の朝鮮半島への出動開始とともに大量の兵力を短期間に輸送する任務が国鉄に課せられることとなり、国鉄は全力を傾注してこれにあたりますが、これは国鉄始って以来の規模となり、太平洋戦争中の日本軍兵士の輸送量をはるかに上回るものでありました。
貨物輸送は、朝鮮戦争勃発の翌日6月26日から弾薬輸送が開始され、その後も火薬庫のある陸前山王・逗子などから瑞穂・筑前芦屋・小倉等への火薬輸送、赤羽からは戦車輸送が開始されるなど臨時貨物列車は日を追うごとに増加しました。
第3鉄道司令部は国鉄に対し、ある程度形式を揃え指定の地区に貨車を集結させるように指令を発し、その対応に追われた他。現地部隊から直接国鉄の現業機関に対して要求が出されるなど、個々勝手に割り込んでくることとなったため国鉄の輸送は一時期大混乱となりました。
特に兵器・弾薬の出港駅であった横浜港や、物資積出の小倉・博多駅など、兵員出港駅の門司・佐世保駅などは収拾不可能なほどの混乱状態となりました。
7月下旬になるとようやく落ち着きを見せ始め混乱は次第に収まっていくのですが、朝鮮戦争は中長期戦の様相を見せ始め、軍需輸送は恒常的なものとなっていきました。
このため、国鉄では昭和25年10月1日にダイヤ改正を行い、貨物列車の輸送力増強を図るとともに「貨物輸送能率向上運動」を展開していきます。軍需輸送は、昭和27年の休戦交渉から漸次減少し昭和28年7月の休戦でようやく終了となりました。
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