交流電化の夜明け 第1話 商用電化の実用化
Nov
21
海外に目を向けてみると、昭和26(1951)年フランスが商用周波数による交流電化(それまでは16 2/3と言う特殊な周波数を使っており、変換装置などが大掛かりなものとなり、決してコスト的に安いものではなかった)が完成したとのニュースは、日本における交流電化に向けて大きな励みになりました。
早速日本でも、昭和28年、交流電化調査委員会が設けられ、研究が開始されました。
当初は、実用実験に入るため、フランスから試作機を購入することを打診しますが、継続した車両の購入などを要求されるなど諸般の事情から、結局は輸入ではなく、国鉄を中心として車両メーカーが試作することとなりました。
当時、国鉄では経済復興に伴う輸送力の増強が求められており、さらなる輸送力の基盤整備を求められることとなり動力の近代化と幹線の電化は喫緊の課題となっていました。
電化も推進されることとなりましたが、交流電化という新しい方式が注目されたことも事実で、その理由を列記してみたいと思います。
1. 交流電化方式は、直流電化と比較して地上設備が簡単安価。
2. 機関車の粘着性能が直流機関車と比して有利。
3. 列車本数の少ないローカル幹線などでは貨物輸送も、旅客輸送も行える機関車方式が有利
等の経済的メリットがあったと言われています。
しかし、これは既設の直流電化と交流電化の接続を考慮しないことを前提としており、実際に、交直接続をどうするのかという点がその後大きな問題となってくるのでした。
仙山線では当時、作並~山寺間が既に直流1500Vで昭和12年に電化されており、新たに北仙台~作並間を交流電化することとしました。
作並で交直切換設備を設けることで試験も出来ると考えたからでした。
交流電化は、変電所などの地上設備を少なくすることで、建設費用が安くなるとして、メリットがあると言われましたが、地上設備が安くなっても、機関車の価格が高くなってしまいました。
さらに、旅客列車は動力分散化列車(電車)が主流となってくると、結局車両設備が高くなってしまうという矛盾が顕著になってきました。
最近では、それほど交流電化のメリットが考えられないことから、北陸線の米原~敦賀間のように、交流→直流に戻す例も出てきました。
話を、交流電化に戻しましょう。
昭和28年7月に設立された交流電化調査委員会は、初代委員長に副総裁の天坊氏、副委員長に、技師長の藤井松太郎氏(昭和48年から第7代国鉄総裁)が就任しました。
実験線に仙山線 北仙台~作並間を選び、昭和29(1954)年9月から地上設備の試験が行われました。
翌昭和30(1955)年8月10日には、交流化試験線として、仙山線「陸前落合~熊ヶ根間」が交流20kV・50Hzで電化、さらに、9月5日には、仙台~陸前落合間、熊ヶ根~作並間が電化され。仙台~作並間交流電化で営業運転が開始されました。
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