新性能電車の幕開け第4話 特急電車151系の誕生
Dec
7
特に、運転台が低くなることが万が一の事故の場合どうするのかとか、見通しが悪くなると言う問題提起がなされたと言います。
また、連接台車に関する保守も保守部門からは不安が有ったそうです。
また、、お役所以上に固い(融通が利かない)と言われた国鉄ですが、この高速試験は結果的には大成功であり、最終的に3000系で培われた軽量化の技術は、国鉄の車両設計にも大いに影響を与えたようです。
なお、高速試験は、101系も試験に供されました、台車を試作の空気ばねに変更し、歯数比を変えた特別仕様で135km/hを記録しました。
最初は物議をかもした、小田急3000系の借り入れですが、結果的には多くの貴重なデータを提供することになりました。
連接台車については、国鉄では591系誕生まで持ち越されることになりましたが、こうしたデータは新幹線建設のための基礎データを提供したと言われています。
また、昭和33年には国鉄としても101系に搭載されたMT46モーターを搭載した日本初の特急電車として151系を誕生させることになりました。
151系は小田急の車両を参考にしたと言うよりも、国鉄独自の軽量設計の集大成と言うべき存在でした。
特に、それまでは食堂車・展望車など1等車の一部にしか設置されていなかった冷房装置を3等車にまで広めた功績は大きく、車両に取り付けるユニットクーラーをサロ85に設置して試験が行われた他、101系には試作空気ばねでの試験などが行われ、10系客車なで採用された軽量車体を含めて、当時の国鉄における技術の延長線上にあった車両でした。
また、高速運転を考慮して運転台を上げた独特のボンネットスタイルはヨーロッパのTEEなどを参考にしたとはいわれていますが、優雅にまとめられており、国鉄の黄金時代を彩る列車として、また戦後の復興のシンボルとしても評価に値する列車と言えましょう。
当初は、特急「つばめ・はと」を置換える予定はなく、あくまでもビジネス特急としての計画であったことから、3等車のみの編成で計画していたそうですが、途中からやはり2等車は営業上必要であると言われて設計変更がなされその格差に苦慮したと言う記述が星晃氏の回想録などで出てきます。
その時に試作されたものの一つにシートラジオがあったそうですが、当時はイヤホンを一つ一つ消毒していたそうで(持ち帰り式の安いイヤホンではなかった)その手間が邪魔だったことや携帯式のラジオが普及したことで廃止になったと言われています。
当初は、あくまでもビジネス特急としてのスタートであり、当初は8両編成でスタートしますが、完全冷暖房の車内は好評を持って迎えられ、昭和34年には増備が始まり、編成は12両まで拡大、その後本格的に特急「つばめ・はと」も客車ではなく、電車で置き換えようと言う話となり、それまでは優等列車は客車による機関車牽引と言う意見は姿を消し、電車による置換えが検討されることになるのですが、その辺りはまた別の機会にさせていただきます。
80系試作車による冷房試験に関しては、下記も参照ください。旧型国電と冷房
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