国鉄VS東武 日光観光客争奪戦 第1話
Dec
12
現在でこそ、JR東との相互乗り入れが行われていますが、かつて国鉄時代は国鉄と東武双方が競争していました。
昭和31年、東武が1700系特急車と呼ばれるロマンスカーを導入、国鉄も負けじと同年10月10日から、準急用気動車として開発したキハ55を投入します。
160PSのエンジンを2基搭載した強力型とはいえ、東武の1700系と比べれば見劣りする車両であり。
決して有利な戦いとは言えませんでした。
その後、昭和34年には、日光線も電化されることとなり、東武と競争条件がほぼ同じとなりましたので、ここで積極策に出ることになります。
攻める国鉄と追われる東武
国鉄は日光線の電化工事を行い、電車列車並びに一部列車は客車に戻して機関車牽引とし、当時地方で要望の多かった気動車は地方線区に回す措置が取られたそうです。
観光輸送列車である「日光号」に関しては、キハ55に代えて、157系と呼ばれる特別準急電車が製作されました。
157系電車は、既に多くの鉄道雑誌などで紹介されているのでご存じの方も多いと思いますが、当時としては珍しく列車名によって始発駅が異なっていました。(東京起点で)
1)日光号 東京~日光
2)中禅寺号 新宿~日光
3)なすの号 上野~黒磯
となっていました。
当時から、新宿発の設定があったことも興味を持たされるところです。
157系電車の特徴は、準急電車とはいえ当時の特急とほぼ同じ設備を持っていたことであり、3等車(後の2等車)は電車特急こだまの3等車と同じ回転クロスシートであり、2等車(後の1等車)もリクライニング装備となっていました。
当初は冷房装置の搭載も計画されたそうですが、そうなると特急列車との格差が無くなってしまうと言うことで冷房装置取り付けは見送られたものの、準備工事が行われていました。
冷房を設けない代わりに窓は開閉式とされ、下降窓が設けられましたが、この下降窓の設備に不備があり結果的に車体寿命を縮めてしまったことも皆様よくご存じだと思います。
157系の登場で焦ったのは、東武の方でした。
今まで優位性が157系の登場で大きく崩れてしまったからです。
157系がDRCを誕生させた
157系の登場で焦ったのは、東武の方でしょう。
今まで増備されていた1700系の製造を打ち切り、マイナ^チェンジ版として1720系(DRC)が誕生するきっかけとなりました。
151系を意識しつつも、独自のデザインの車両でした、製造はナニワ工機(後のアルナ工機)が製造を行いました。
阪急の2000系以降に見られる、窓枠にアルミを巻く独特のスタイルを関東で見ることが出来ました。
また、当時の車両としては珍しく、4号車にはジュークボックスを備えたサロンカーを設けるなど、国鉄の157系をかなり意識した車両でした。
明日は、東武1720系登場以降の様子をアップします。
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国鉄があった時代 JNR-era
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