高度経済成長と輸送力増強 第5話 鶴見事故
Jan
8
一昨日は、三河島事故のお話をさせていただきました。
三河島事故の場合、国鉄の事故報告書では本線への合流前に信号を無視したことで機関車が安全側線に進入、本線を支障した、となっています。
当時の部内誌などを見ますと、出発信号並びに場内信号のいずれも無視したと言う記述も見られます。
二回の停止現示をいずれも見落としたと言うことになります。
おそらく、当時の国鉄線などという雑誌に書かれているように、出発信号機を見落とした上、場内信号機を通過したという可能性は捨てきれないと思います。
こうした事故が起こった場合、それまでに潜在的な問題があったと思われます。
いわゆる、ハインリッヒの法則という言葉を聞かれたことがあるかと思いますが、この伏線は単純に信号を見落とした・・・だけではないと思います。
また、事故後5分間の乗務員の行動も問題視されました。
列車防護が出来なかったのでしょうか・・・。
こうした問題がクローズアップされ、ATS【列車停止装置】の導入を前倒しで背導入することとなり、昭和41年には、新幹線を除く全線にATSが設置されることになりました。
実際には、確認ボタンを押すとATSが実質解放されてしまうという潜在的な問題があり、追突事故は起こりました。
国鉄の信頼は地に落ち、信頼回復に向けて十河総裁以下精力的に取り組むことになりました。しかし、翌年の昭和38年5月では、再任されず辞任することになりましたが、これは三河島事故の責任ではなく、新幹線建設費が当初予算よりも高騰したことに対して責任を取らされた形でした、この辺は後述しますが、当初から過小に見積もっていたという意見もありますが、それ以上の物件費上昇が大きかったのではないかと思います、ただし、当時は新幹線の成功自体が疑問視されていたため、体よく追い出したというのが現実ではないかと思います。
実際、新幹線開業式には十河総裁は呼ばれなかったことがその証左と言えます。
十河総裁の後を継いだのは、十河総裁当時監査委員長を務めていた石田禮助氏でした。
石田氏が就任して半年後の11月9日、国鉄は大事故を引き起こしてしまいます。
死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事の鶴見事故が起こります。
三河島事故の異なるのは、貨車が突然脱線して、隣の線路を支障、そこへ横須賀線の電車が90 km/h程度の速度で接触して脱線、ほぼ同時刻に走っていた対向列車の4両目に突き刺さる形になり、後続の電車に押される形で4両目を破壊、5両目の半分で停止した事故で、4両目は台枠以外は原形を残さない状態でした。
この事故では、主たる原因は、ワラ1形が突然脱線したことが原因でしたが、当初は国鉄の過密ダイヤが原因だと指摘されたりしました。
実際には、この当時は国鉄のダイヤはかなり逼迫していたのも事実でした。
当時の世論としては、国鉄の事故に対する批判もさることながら安全対策や輸送力の不足が、国鉄だけではなく国全体の問題としてクローズアップされることになりました、
鶴見事故の詳細については、後日監査報告書を参照して詳細をアップさせていただきます。
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