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国鉄があった時代、日本国有鉄道史

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講和条約と国鉄 第3話 講和発効に向けて動く政府と組合運動

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三池争議 wikipediaか... 三池争議 wikipediaから引用
講和条約発効に向けて、政府は労働法規の改定や新しい治安体制を確立すべく行動に出ました。
 特に破壊活動防止法等は、その際たるものでありました。→ 公安審査委員会設置法 公安調査庁設置法 などの制定でした。
総評では、これら政府の動きに対抗すべく労働法規改悪反対闘争委員会(労闘、以下略す)が組織され、昭和27年には活発な活動が行われ、4月12日には、第一波の労闘が組織されました。
 これは最初の政治ストであり、従来の本来の労働運動としてのストとはその意味合いを異ならせるものでありました。
 その後公務員等のストには、こういったストライキが増えていきますので注目しておいてください。
4月18日にも同様の第2派のストライキが実施されました。
 その後5月にはメーデーに参加した労働者と警官隊が衝突した血のメーデー事件が起こっています。
その後政治的運動は影をひそめていき、炭労(炭鉱労働者)や、私鉄などから職場闘争が展開されて本来の労働運動の形が整えられていきました。

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講和条約と国鉄 第2話 朝鮮戦争の勃発前夜

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昭和28年2月の時刻表から、そ... 昭和28年2月の時刻表から、その後「西海」の愛称が付与される。
朝鮮戦争と講和条約

朝鮮戦争は、アメリカとソ連の代理戦争というか、資本主義VS社会主義(マルクスレーニン主義)の戦いとして、朝鮮半島を舞台に繰り広げられたことは皆さん良くご存知のこととは思います。
先にも記しましたように、この戦争は日本の戦後を大きく軌道修正させるものとなりました。
終戦当初のGHQの方針は、日本には軍備を一切認めないで、また経済復興もそこそこにという程度にしておくという方針でありました。
しかし、朝鮮戦争勃発後は、日本を防共の砦としての役割をを持たせることにその方針を大きく変更せざるを得なくなりました。
(既に中国は革命が成功し、大陸は社会主義国家が成立していました。)、それが警察予備隊の創設であり、共産党の再度非合法組織としての弾圧などという形であらわれたのです。
また、朝鮮戦争は国内において、朝鮮特需を発生させ、国内は活況を呈していきました。
日本国内は、朝鮮戦争のアメリカ軍の前線基地としての役割を持つこととなり、物資の補給と輸送、兵器類の修理などが日本で行われることとなり、空前の朝鮮特需を受けるとともに、共産党の弾圧が実施されました。
そんな中、 昭和26年1月、社会党(現・社民党)は大会を開き、左右両派の大論戦の後「講和三原則」を採択しました。
 「講和三原則」・・「全面講和」・「中立堅持」・「軍事基地反対」の方針でした。そして、それを受ける形で総評は同年3月の第2回大会で、「再軍備反対」を合わせた平和4原則を採択、政府が再軍備を進める中で、次第に左傾化していく総評の姿がありました。
朝鮮戦争は、先にも記しましたように日本の世論を二分することとなり、あたかもこのためだけに革命が起こりかねない雰囲気であったことも事実でした。
講和条約自体は、全面講和の声を無視して、昭和26年9月にサンフランシスコで対日講和会議が開催され、部分講和の条件のもと、講和条約と、日米安全保障条約が結ばれました。
このときの会議には、中国は招かれず、ソ連、インドは調印しませんでした。
講和条約は、11月18日、日本の国会で批准され、昭和27年4月28日は批准書も交換されて発効、これにより日本は7年ぶりに自主独立を果たすこととなります。
これに先立ち、悪評高かった民間運輸局(CTS)の廃止、進駐軍特別列車等の特殊列車化(条件付ではあるが日本人の乗車も可能)などがおこなわれましたが、まだまだ日本人が自由に旅行できるといった雰囲気ではありませんでした。
なお、国内に目を向けてみると、経済の復興を最優先に(これは日本の望んだ道でもあり、アメリカも期待していた方向)した講和条約ですが、社会党(現・社民党)の中では、部分講和に賛成するものと、あくまで全面講和にこだわるもの。これにより社会党の中には社会党左派と社会党右派(これは後に分裂し、社会党右派は、旧民社党を結成します。)とに分裂する事態となりました。



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講和条約と国鉄 第1話 朝鮮戦争の勃発前夜

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C62 戦後D52を改造して製... C62 戦後D52を改造して製作された日本最大の旅客用機関車
占領軍の日本に対する政策は、経済の復元を限度としており、積極的に復興を支援するというものではありませんでした。
 あくまでも、昭和の初め頃程度まで復興することを念頭においたものであり、過度の経済力が一点に集中しないようにすることが主たる目的とされたため、財閥解体や農地解放(これは戦前からも運動としてはあった)等が行われたことは周知のとおりです。
 GHQは、インフレーションを抑制し経済を安定化させるため、ドッジ公使を迎え、収支均衡を保つ超縮小均衡予算を打ち出し、インフレは収束に向かっていきましたが、消費の抑制と産業資金供給の縮小は、体力の弱い中小企業を直撃し、安定恐慌から失業者の増加による社会不安が増大されました。
これにより失業者は昭和25年6月には43万人にもなりました。
このときは、国鉄でも新車の導入などが大幅に抑制されたのは周知のとおりです。
また、当初は日本の軍事産業を含む軍関係は全てを撤去する予定であったのが、次第にその様相が変化してきました。それは朝鮮戦争に代表される米ソの関係の悪化です。
中国は、昭和24年10月蒋介石率いる国民党軍が毛沢東率いる紅軍に敗れ、社会主義国が誕生します、アメリカとしては、日本にその地理的条件などから戦略的価値を見出したのかもしれません。さらには昭和25年6月25日に突如勃発した朝鮮戦争は日本の進むべき方向を完全に180度転換させることとなりました。
これにともない、GHQの政策は大きな変化を遂げていきます。
 すなわち、経済復興を大幅に認めアメリカの防波堤にすべき構想に変化したのです。具体的には、軍需施設関係工場の保存と重工業の復興を認めたことでした。
 また言論・集会の自由も抑圧されていきます。
 さらには、昭和25年7月、日本政府に警察予備隊の創設を指令するとともに、国内の政治労働運動に際しても共産党を中心に弾圧を行うなど共産党に対する態度も硬化させていきます。
 共産党幹部の一部が公職追放され、「アカハタ」や「前衛」が発行禁止処分され、さらには共産党系の組合の集合体であった、全労連への解散命令が出されました。
マスコミ関係などでもレッドパージのあらしは吹き荒れていました、そして世間では講和の機運も高まっていったのですが、全ての国と講和条約を結ぶ、全面講和と、ソ連など講和に反対する国を後回しにする、片面講和で、国内世論が二つに分かれてしまいました。
これは国鉄内部でも同じで、国労内で「全面講和派」と「片面講和」で分裂の危機を生むこととなりました。
なお、この点はまた後ほど詳しくお話したいと思います。

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労働運動と国鉄 第6話 機関車労組誕生

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日本初の国産電気機関車 EF5... 日本初の国産電気機関車 EF52
国労の分裂
  
かっては、鬼の動労と恐れられ、国鉄末期に労使協調路線に翻意した動労という組合のついて記述していきたいと思います。
 動労は、元々は国労の中にあった機関車乗務の組合員が中心になって昭和25年に分裂した組織であり、当初は「機関車労組」と名乗っていました。
その後電車列車や気動車列車などが増えてきたことから、名称をより実態にそった「動力車労組」と変更しました。
  何ゆえ、国労から、動労は分離したのでしょうか?
 それは、戦前にまで遡らなくてはなりません。元々、機関車乗務員は開業当時に外国人機関士を雇い入れた経緯からと思われますが、駅長と同じ判任官待遇(官吏としては最下級、軍隊では下士官が相当)でしたが、戦後は民主化の中で位階勲等は廃止、(その後勲章などで勲等は復活しています)されたこともあり、機関士の賃金も他の職種と同一賃金となったことに不満を感じた機関士などが、「戦前・戦中の優遇回復」を第一の目的として分裂したものでした。
そのため、国労と思想的には全く同じです、社会党(現・社民党)を支持し、総評に加盟するというわけですから。
 その後に発足する、鉄労は全く思想的に別物だったのですが、鉄労と動労が急接近し、国労から一線を引くというのも不思議な気がしますね。
なお、組合の分裂には、国鉄当局の運転局が裏で支援しており、昭和28年の参議院選挙で当選した国鉄運転畑の大御所的存在であった、輸送局・理事を歴任した木島虎蔵氏を組織内として精力的に応援、木島氏も「俺の組合」などといっていた。
ただ、素朴な疑問として、組合運動に当局側が積極的に(直接的では無いとしても)分裂を応援すると言うのはおかしなことだと思います。

格差賃金の獲得

国労から、分離した動労は、当初は非常に穏健派であり、当局とも非常に良好な関係を続けていた。昭和32年には動力車乗務員の賃金は300円ではあるが高くなりました。

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労働運動と国鉄 第5話 2・1ストが残したもの

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2.1ゼネスト 画像 wiki... 2.1ゼネスト 画像 wikipediaから
2・1ストは、GHQの圧力で中止されたが、その結果は労働運動の再編という形で実現されました。 3月10日には、総同盟・産別会議・国鉄総連合など28組織、446万人が参加した、全国労働連絡協議会(全労連)が結成された、これは当時の組織労働者の84%を包含するものでした。
 ただし、全労連の運動は、運営において、全員一致制などの制約から運動体としての役割は十分ではりませんでしたが、二つのナショナルセンター(「総同盟」、「産別会議」)を含む、組織労働者が単一組織に統一できたことの意義はきわめて大きかったといえます。
 ただし、総同盟は昭和23年6月には全労連を脱退しています。
また、2・1ストは賃金面でも大きな成果をあげることとなりました、それは大幅な賃上げに成功したことです。 1月の交渉時に、官公労働者の平均賃金600円に対し、5月には一挙に3倍弱の1600円という大幅賃金を獲得しました。
また、国労、全逓などは組合側に有利な包括的団体協約などを勝ち取りました。(ただし、この包括的団体協約がその後の組合運動の微妙な影響を及ぼしていくことになるので注目していただきたいと思います。)
  このように、当初は純粋に賃上げ闘争等、食べること、生きることから始まった労働運動は、共産党の思惑、GHQの思惑を絡ませながら次第に左傾的、政治的な色合いを帯びていくのですが、これはまた後ほど章を改めて


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労働運動と国鉄 第4話 2・1ゼネストの中止

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NHKでゼネスト中止宣言をする... NHKでゼネスト中止宣言をする伊井弥四郎委員長 wikioedia参照
戦前は、認められていなかった労働者の権利が労働組合法や、労働基本権を確立する労働基準法などが整備されるなかで労働組合運動は急速に発展しました。21年8月には、日本社会党系が中心となった、都道府県単位で結集した日本労働組合総同盟と、共産党が指導する21の産業別労働組合会議が発足したことは前述のとおりですが、その中で目立った行動をとっていたのは、共産党が運動の中心にあった産別会議です。産別会議は民間労組の賃上げや団体協約の締結等の要求を中心とする10月闘争を行いました。この戦いでは東芝を中心として行った電産労協が、電産型賃金と呼ばれる生活給を確保することに成功しています。
 この成功を受けて官公労組も同様の闘争を組織していく事となりました。官公労で中心的存在だった国鉄総連合、全逓(現・JPUであるが。組織は全く別物と考えた方が良い。)、教職員組合等の諸組合は、全官公庁労組共同闘争委員会(以下、共闘委と略す)を結成しました。このときの委員長は国鉄総連合の伊井弥四郎でした。
 昭和22年年頭吉田首相は、ラジオの放送で「労働左派一部指導者を指して、「不逞の輩」と発言」、この発言が労働者の怒りを買うことなり、争議は賃金闘争から、政治闘争へと変容していきました。これを受けて社会党・共産党も内閣打倒の方針で組合の支援を決定。共闘委のゼネスト宣言拡大共闘委員会は、1月8日、2月1日午前零時に無期限スト突入と宣言しました。
 いわゆるゼネラルストライキと呼ばれるもので、官公労働者260万人を含む400万人と言う空前の規模のストとなるはずでした。1月22日、GHQ経済科学局マーカット少将は、「ストライキを実施しないよう警告。」理由は経済的要求でストを行うのは認めるが、政治的に結びつけることは認められず、占領目的に違反する行為であると言う理由からでした。しかし、共闘委はこれを勧告程度に受け止めていたためストの準備を進めていきました。
 1月30日になって、GHQは、口頭でゼネストの中止命令を発しましたが、これを拒否。さらに1月31日には再び文書で中止命令が出され、伊井共闘委員長はGHQの監視のもと、スト中止の全国放送を行い、「1歩前進、2歩後退」の名言を残し、ストはあっけなく中止となりました。
 このストの挫折は、労働運動にとっても大きな転機となりましたが、これによる成果も大きいものがありましたがこれについては項目を改めたいと思います。



併せてご覧ください  国鉄労働組合史詳細解説7
https://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2015/02/14/121126

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労働運動と国鉄 第3話 国労誕生とナショナルセンター発足

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国労マーク 国労マーク
国労の誕生

統合組織への機運が高まった昭和21年、2月27日には北陸の片山津で「国鉄労働組合総連合会」の結成大会が開催され、同年3月15日、東京の飛行会館で第一回の国鉄総連合中央大会が開催されました。これが国労の前身となる国鉄総連合です。
 この大会で発表された組合員数は50万8,656人で、国鉄全従業員の96%に達しました。
 これは、省電闘争のために、全国鉄単一労組準備会が東京の地方協議会から除名されていたためです。

ナショナルセンターの発足

昭和21年8月全国には、単位労働組合を都道府県別に結集した、戦前の総同盟の流れを汲む日本労働組合総同盟(略称「総同盟」)、21の産業別単位労働組合連合組織として共産党の影響力の強い、全日本産業別労働組合会議(略称「産別会議」)が発足しました。
 政党的に見ると。「総同盟」が社会党(現・社民党)系、「産別会議」が共産党系という棲み分けとなっていました。
 そういったなか、戦時中に多くの人を採用した海員と国鉄では人員整理の方針が政府から発表されました。
 国鉄の場合戦時・戦後直後に受け入れた人員及び、復員兵等受け入れで膨れあがった人員を整理するため、約75,000人が対象となりました。
 当時の国鉄職員が約51万人ですから、いかに大量であったかとわかっていただけると思います。
 ただし、その内訳は戦時中に採用した女子職員や、年少者(戦時中は満14歳で国鉄に就職した人も多数居ました。)が対象でした。
 国鉄総連合は闘争委員会を組織し反対闘争を開始します。一部に反対はあったものの国鉄総連は9月15日ゼネストを予定、9月14日当局側が整理案を撤回すると言うことで妥結。この問題についてはひとまず終止符が打たれました。しかし、この問題はここで解決したわけではなく、当時のハイパーインフレの中、運賃収入に対する支出が1.7倍さらに、戦争で破壊された設備の復旧や連合軍専用列車の運転などの負担などで収支は全く取れていませんでした。
 当然、これがその後の大幅な人員整理の対象となっていくのですがこれは後にお話したいと思います。

動画でも配信中


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労働運動と国鉄 第2話 戦後の労働運動

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進駐軍が持ち込んだ野戦用機関車... 進駐軍が持ち込んだ野戦用機関車、後に、国鉄が購入しDD12という制式番号を与えられる。
戦後、労働運動は民主化の旗印の下、合法化されました。
 昭和20年12月には労働組合法(昭和24年6月施行)が公布され、(実際には昭和20年に制定された労働組合法を全部改正すると言う手続きを経て公布施行されました。)
 そこで、雨後のたけのこのように組合は結成、発展していきました、当初はGHQも民主化のためということで、日本共産党(以下「日共」と略す)の活動についても静観を決め込んでいきます。
 さて、ここで国鉄(当時は運輸省鉄道総局)の動きを見てみましょう。
 運輸当局は、戦争中に結成された国鉄奉公会が解散した後、鉄道委員会の組織化を開始しました、これはいわば御用組合のようなもので、労働基本権も保障されないもので、結局昭和20年12月には国鉄内部からの批判も強く、消えていきました。
 しかし、水面下では戦前からの日共の流れを汲むグループが国鉄従業員組合準備会を結成し組合結成を呼びかけました。これが後に国労と呼ばれる組合に発展していきます。
 この動きは、水面下、各現業機関(機関区・電車区等)の単位で結集が進み、やがて鉄道管理局単位で統合組織が出来上がるに連れて組合の全国組織化の機運も高まっていきました。

参考 http://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2015/02/02/134555

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労働運動と国鉄 第1話 労働運動前史

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国鉄7100形蒸気機関車 (弁... 国鉄7100形蒸気機関車 (弁慶号の愛称で親しまれる)
戦前にも労働組合は存在しましたが、労働組合の存在は非常に弱いものであり、使用者に対しては請願という形で行われるのが一般的でした。
 実際には戦前にあっても、ストライキなどを実行する会社もありましたが、ことごとく労働者の敗北に終わっていました。
 特に太平洋戦争(大東亜戦争)中は、全ての組織が翼賛会に再編されたこともあり、労働運動はひとまず姿を消します。
 鉄道においても、同様で鉄道及び連絡船航路は軍人に準ずるものとして、連絡船航路の従業員は一足先に海軍軍属に、またその他鉄道従業員も、陸軍軍属とされていきました。
 戦前の労働運動に関しては、資料も未だ十分ではないので今後の機会にしたいと思いますが、第1次大戦後から大正デモクラシーにも後押しされて、労働運動が活発化しました。

参考 http://whitecat-kat.hatenablog.com/entry/2015/01/03/112818

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日本国有鉄道誕生 第3話

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客車用バッテリーの点検風景 竜... 客車用バッテリーの点検風景 竜華客車区 天鉄局のアルバムより
国鉄の誕生

GHQの見解を聞いて頭を悩ませたのは時の政府でした。
GHQの命令は絶対であり、マッカーサーからの書簡(指示)という事になれば尚更でした。
 前項に書きましたように、政府としては鉄道総局をどうすべきか考えた結果、政府の意向ができるだけ通る、すなわち政府が公共企業体を支配できる体制を考え出しました、これが後々まで国鉄を苦しめる結果となりますので、よく覚えておいてください。
 そこで政府は、3つの案を考え出します。
 (1) 国務大臣を総裁とする鉄道総庁
 (2) 運輸大臣の監督下に置く特別法人国鉄公庁
 (3) 特別の管理機関をもつ特殊法人国鉄公社
政府は、(1)の形で決着を着けたかったのですがこれは認められず、(3)を採用せざるを得ませんでしたが、政府は影響力を行使できるやおうに、(2)案を加味した線が固守されました。・・・・日本国有鉄道法(廃止)衆議院のhpから引用
 この背景には、陸上輸送をほぼ独占していた国鉄は、国営の企業であり、引き続き国が保有すべきものであるという認識が強かったためであり、これは政府も鉄道省(後の国鉄)も同じような理解でした。当然最初から政治の介入を招く下地が最初から出来ていたと言えます。
 特に、給与総額制や、運賃法定主義など国鉄当局の当事者能力を制限するに及ぶと、国鉄の持つ権限は限りなく小さいものとなってしまいました。→日本国有鉄道法
 こういった、必要以上の足かせが、国鉄としての不幸の始まりになるのですがこれは後の機会にしたいと思います。
何とか、国鉄は昭和24年6月、日本国有鉄道として発足しました。当初4月発足だったのですが、国家行政組織法や運輸省設置法の立法が遅れるなどで、運輸大臣の権限において意見対立があり準備が遅れ6月からの移行となりました。

 日本国有鉄道の誕生は、政府にとっても国鉄本体にとっても多くの問題を内包したままのスタートとなりました。
 国鉄の中には、戦時中に採用した女子職員や、元鉄道省の職員、満州鉄道職員も含め50万人近くの人が働いており、独立採算制を最重要課題にされた国鉄にとって、人員整理が最も最初に行うべき仕事となりました。
 実は、人員整理は鉄道省(運輸省)時代にも実施しようとしたのですが、国労の反対で撤回されました。
 国鉄発足直後の人員整理は当時の鉄道省の輸送力を考えると避けて通れない問題であり、でした。
 やはりもっとも、国鉄にとって不幸だったのは、GHQの指示した公共企業体という概念を国鉄(当時は運輸省)も政府も理解していなかったことに起因でしょう、これは国鉄財政が悪化する40年代まで変わらず、結局56年のローカル線廃止問題をくずぶらせる原因にもつながっていくのですがそれは後の機会にでも。

追記
戦後すぐに、政府内でも毎年赤字を計上する国鉄の赤字に対して、独立採算による仕組みなどが検討され、自動車事業に関して、独立採算制が昭和24年1月から試行され、同年4月からは、本格的に移行しました。ただしこれは、決定打と言うことは無く、同年6月にはマッカーサー指示による、国有鉄道が誕生することになりました。(2021/1/5 加藤追記)

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