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読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る(Japanese Newspaper featured Journal return in Hyogo Prefecture )

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読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る... 読売新聞/戦死の祖父 手帳戻る...
戦死の祖父 手帳戻る2022/06/08 05:00

姫路の岡崎さん 「沖縄の慰霊碑に報告を

太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した第2野戦築城隊付の陸軍少佐・岡崎梅太郎さん(姫路市出身)の手帳が7日、姫路市に住む孫・公一さん(64)の手元に戻った。戦争終結から77年。この日、姫路護国神社で手帳を受け取った公一さんは、会ったことのない祖父に思いをはせ、「大切に保管し、いつか、沖縄の慰霊碑に『返ってきたで』と報告に行きたい」と語った。(北野浩暉)

戦後77年 米兵が保管

県遺族会姫路支部などによると、梅太郎さんは1904年に生まれ、38年に入隊。45年5月20日、戦火が激しくなった沖縄県の首里で死亡した。

手帳は沖縄戦に参戦した米兵が戦地から持ち帰ったもの。戦後、米オレゴン州で保管していたという。

戦利品として持ち帰られた日章旗や日記などの様々な遺品返還事業を行っている同州のNPO法人「OBONソサエティ」に米兵の息子が提供。今年4月、同支部が調査を行って返還されることになった。

当時、従軍者に配られていた手帳で、表紙には「従軍手 帖ちょう 」の文字。従軍履歴のほか、「軍紀風紀の維持」などの行動規範、計算式といった梅太郎さんがつづったとみられるメモなどが残されている。

公一さんの手元には梅太郎さんの写る当時の写真がある。祖父にあたる梅太郎さんについて、父親らからあまり話を聞いていないものの、公一さんは、これまでに計3回、沖縄の慰霊祭に参加したという。

77年の時を超えて〈帰国〉を果たした手帳を前に「祖父のことや(手帳が)返ってきた経緯についてもっと詳しく知りたい。この次に沖縄へ行く時には手帳を携えて行きたい」と話している。https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20220608-OYTNT50017/?fbclid=IwAR2dfUQ_haqvwRGOnnHTeMtoImots7XYPwFWt4uKYeJ7gaPPDmyzofTisFg
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #兵庫 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #姫路 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #沖縄 #沖縄戦 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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【動画/video】黄前 典夫 命「遺霊品返還式」(Mr. Norio Omae "Yosegaki Hinomaru" Returning Ceremony)

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【動画/video】黄前 典夫... 【動画/video】黄前 典夫...
【動画/video】→→ https://www.youtube.com/watch?v=H7AOD5yxuz0
提供:与謝野郡役場CATVセンター

〜77年の時を経てお父様が帰郷を果たされました〜

令和4年5月15日

京都府宮津市与謝野郡生涯学習センター知遊館にて黄前典夫命「遺霊品返還式」が行われました。
After 77 years passed, Father finally came home in Kyoto to see his son and daughter.
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #soldier #ww2 #京都府 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #沖縄 #沖縄戦 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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OBON捜索班手記/京都府与謝郡与謝野町で戦没者遺霊品を返還(Returning the remains of the war dead in Kyoto)

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左 山本洋子さん 中央 黄前国... 左 山本洋子さん 中央 黄前国忠さん 返還された遺霊品 返還された遺霊品 左写真軍服 黄前典夫 命 右写... 左写真軍服 黄前典夫 命
右写真 最前列中央 山本洋子さん 2列目男児 黄前国忠さん
与謝郡与謝野町の山添町長から返... 与謝郡与謝野町の山添町長から返還を受ける黄前国忠さん ビデオメッセージを寄せるOBO... ビデオメッセージを寄せるOBONソサエティ共同代表 レックス&敬子・ジーク OBON捜索班手記/京都府与謝... 会場では府内遺族会の会員約50... 会場では府内遺族会の会員約50人が返還を見届けた 返還の後、京都霊山護国神社へ無... 返還の後、京都霊山護国神社へ無事に返還式を終えたご報告と多くの英霊の御霊に哀悼の誠を捧げた OBON捜索班手記/京都府与謝... OBON捜索班手記/京都府与謝... 日本三景「天橋立」 日本三景「天橋立」 左上 与謝郡遺族連合会 江原会... 左上 与謝郡遺族連合会 江原会長 右上 与謝野町 山添町長
左下 日本遺族会 重井主幹 右下 京都府遺族会 吉里副会長
OBON捜索班手記/京都府与謝...
OBON捜索班の工藤です。令和5月15日、京都府与謝郡与謝野町へ同郡奥波見出身の日本陸軍兵士「黄前典夫 命 」の遺霊品返還の為、同町「知遊館」に寄せて頂きました。兵士が戦没して77年、うちOBONがご遺族の捜索を開始して約2年、ようやくにご遺族へ遺霊品を返還する事が出来ました。

兵士「黄前典夫命」の故郷、与謝郡は日本三景で有名な「天橋立」を近くに阿蘇海を望み、地元では丹後ちりめんが織られ、俳人「与謝蕪村」や歌人「与謝野晶子」がこの地に魅せられその名を名乗ったほどの風光明媚な土地にして「神々の遊湯」と言われる温泉の沸く土地でした。

昭和19年6月にこの地の奥波見地区から「黄前典夫 命」は日本本土防衛の最前線「沖縄」へ向かいました。銃後に幼い息子と娘を残しての出征でした。黄前典夫命の所属した独立歩兵第13大隊 (石部隊)3594は沖縄戦の中でも日米両軍激戦の地、宜野湾市の嘉数高地でぶつかり、その戦闘は実に16日間に及びました。米軍からこの渓谷は「呪われた罠」「忌々しい丘」などと呼ばれ恐れられていたそうです。嘉数の集落を背に部隊は文字どおりの死闘を繰り広げ多くの軍人がここで命を散らされたのです。黄前命もその中の一人でした。

この嘉数高地は現代では公園が整備され、両軍の戦没兵と現地で戦闘に巻き込まれた住人の御霊を慰める為、世界平和を願う地球を模した展望台が作られています。
旗の提供者である米国ニューメキシコ州在住のロバート・ヤング氏のお父様、エルマー・ヤング氏もまた米陸軍兵士としてこの地で従軍されました。氏の記録からこの地で玉砕した日本軍部隊の様子や、黄前典夫命の最後の姿が明らかになりました。返還式ではその様子をご遺族へお伝えし、当時エルマー氏が母国へ持ち帰り77年間大切に保管されていた「黄前典夫 命」の所持品を返還させて頂きました。

返還式には日本遺族会から重井主幹が、京都府遺族会からは吉里副会長はじめ、伊藤女性部長、梅原青年部長、宮津市遺族会や与謝郡遺族連合会からは山口会長と江原会長、そして丹後広域振興局上原副局長、与謝野町からは山添町長と参列して頂きました。そして何よりも多くの府内戦没者のご遺族たちが会場へ駆けつけてくれました。50名以上の関係者に見守られ遺霊品は「OBON」から「日本遺族会」へそして「与謝野町長」からご遺族の「黄前国忠さん(長男)」と「山本洋子さん(長女)」へと手渡されました。兵士「黄前典夫命」が銃後に残した子供たちが時を超えて父親との魂の再会を果たされました。

返還を受けご遺族の黄前国忠さんは「こんな日が来るとは夢にも思っていなかった。旗に父や祖父の名を見てからどうしたって涙が止まりません。署名を残した叔父(御年90)にも見せてあげたいです。米国のヤングさん、OBONソサエティや遺族会の皆さん本当にありがとうございました」と涙をハンカチで拭いながらお話してくださいました。会場の皆様もその場に自身の戦没した肉親を想い涙されていました。京都府遺族会の吉里副会長は式の後に「黄前さん同様感激の1日でした。家に帰るまで親父と一緒でした」とメッセージを寄せられました。参議院議員で日本遺族会の水落敏栄会長からは「この返還式を契機として世界の恒久平和実現への思いがたくさんの皆様の心にともることを祈念します」とお手紙を頂きました。

この返還式が多くの方々の胸に平和の大切さや先人たちの尊い犠牲の上に今の私たちがある事を今一度思い出させてくれた事は本当に有意義であったと感じています。OBONソサエティは今後も日本遺族会、各都道府県や支部遺族会、そして厚労省と協力して1枚でも多くの寄せ書き日の丸や兵士の残した手紙や遺霊品をご遺族や所縁の地に返還し、この平和が戦火によって二度と侵されないように後世に語り継いでいかれるように活動していきたいと思っております。黄前典夫命の遺霊品はこれらの日章旗、仏画入れ、煙草入れの他に「銃剣」があります。これは銃刀法などの制約で今回の返還式には米国から持ち込むことが出来ませんでしたが現在所定の手続きを始めましたので暫くの後に同じくご遺族への返還が叶う事と思います。その時はまたご報告できればと思います。
最後に捜索にご協力くださった皆様、返還式開催に向けて尽力くださった皆様にお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございます。
そしてご遺族様、この度の遺霊品返還 誠におめでとうございます。

返還式の後に京都霊山護国神社へ赴き、戦没者の遺霊品を無事にご遺族へ返還出来たご報告と、大戦で散華された多くのご英霊に哀悼の誠を捧げて来ました。
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読売新聞/日章旗 80年ぶり古里に(Japanese Newspaper featured flag return in Kyoto Prefecture )

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読売新聞/日章旗 80年ぶり古...
日章旗 80年ぶり古里に 旧養老村出身・黄前さん遺品

第2次世界大戦の沖縄戦で戦死した旧養老村(現・宮津市)出身の日本兵、黄前典夫さんの持っていた寄せ書き入りの日章旗が、保管されていた米国から遺族に返還された。日本兵の遺品返還活動に尽力している米オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」と、日本の遺族会の協力で約80年ぶりに古里に戻り、地元の家族の涙を誘った。

米から返還 子どもら「感激」

NPOによると、典夫さんは1915年生まれ。沖縄戦に兵士として赴き、45年4月に爆風で飛んできた金属片を受けて戦死したという。
日章旗はニューメキシコ州の米軍兵、エルマー・ヤングさんが戦地で見つけて保管していた。ヤングさんが亡くなり、家族のロバートさんが2020年4月、NPOに対し、持ち主に返すよう依頼。協力の依頼を受けた与謝郡遺族連合会などが典夫さんの遺族を捜し出した。

与謝野町の知遊館で15日に返還式があり、典夫さんのそれぞれ長男、長女で、織物業黄前国忠さん(83)(与謝野町)と、山本洋子さん(81)(宮津市)に、たばこ入れと仏画入れとともに返された。ロバートさんは「戦場で遺留品を取得し、敬意を込めて大切に保管した。返還が慰めをもたらしますように」とのメッセージを寄せた。

旗には「武運長久」「心身健全」などと書かれ、多数の署名もあった。国忠さんは幼かったため父の典夫さんの顔を覚えていないといい、「この日を迎えられ言葉に尽くせないほど感激している。(旗を)見ただけで涙が出る」とハンカチで目頭を押さえていた。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220516-OYTNT50082/?fbclid=IwAR1inBR8WUBlEhHzlENsBW8QEs0UqaECo3SRtsKdZj403bDHKoApWYvv_JQ
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京都新聞/沖縄で戦死した父の形見、京都の故郷に 日章旗など、米から遺留品返還(Japanese Newspaper featured flag return in Kyoto Prefecture )

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京都新聞/沖縄で戦死した父の形...
5月15日に京都府与謝郡与謝野町にて執り行われました、同郡奥波見出身陸軍兵士「黄前典夫命」の遺霊品返還式について京都新聞が記事を掲載してくださいました。
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毎日新聞/ルソン島へ「出征」日章旗、米国から遺族の元へ(Japanese Newspaper featured flag return in Saitama Prefecture )

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返還された日章旗を手にする遺族... 返還された日章旗を手にする遺族の根岸信明さん(左)と小林哲也・熊谷市長=埼玉県の熊谷市役所で2022年5月13日午前9時31分、中山信撮影
太平洋戦争が終わる2カ月前の1945年6月、フィリピンのルソン島で23歳で戦死した元日本陸軍兵長の根岸愛三郎さん=旧大里郡吉見村(現埼玉県熊谷市)出身=が戦地に持参した日章旗が13日、77年ぶりに遺族の元に戻った。

「祈武運長久」などの文字とともに、家族や地域の人々ら約80人が名前を寄せ書きした日章旗は元米兵が戦地から持ち帰り、テネシー州在住の米国人が大切に保管していた。保管者が戦没者の遺留品を日本の遺族に返還する活動をしている米国の非営利団体「OBONソサエティ」に返還を依頼。日本国内の遺族会組織が調査した結果、根岸さんの弟の子で、実家を継いでいる元熊谷市職員の根岸信明さん(71)らの遺族が判明した。


13日に熊谷市役所であった返還式では栗原健昇・同市遺族連合会会長から根岸さんに横約1メートル、縦約70センチの日章旗が手渡された。栗原会長は「保管していた方は『この旗の返還によって皆様方のお心が少しでも慰められるよう望んでいます』とコメントを寄せています。80年近くたっても戦後はまだ終わっていないという気がします」とあいさつした。

根岸愛三郎さんは妻と2人の娘を残して亡くなった。おいの根岸信明さんは「話を聞いた時は大変驚きました。出征した伯父、寄せ書きをした人たちの気持ちはどうだったのか。戦争の悲惨さを感じます。供養のうえ、後世に引き継ぐ資料として市立図書館に寄贈したい」と話した。

https://mainichi.jp/articles/20220513/k00/00m/040/124000c?fbclid=IwAR1HbVj0pEyizeTcHJclA0xdkdjM-ok-PLGCqFfanIoptaLCAURC_fil4Cw
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京都府遺族会/与謝郡遺族連合会/OBONソサエティ 合同プレスリリース

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京都府遺族会/与謝郡遺族連合会...
来たる5月15日(日)に京都府与謝郡にて執り行われる日章旗返還式について本日「京都府庁記者クラブ」にプレスリリースを出しました。

追記:水落会長の参列は代理者になりました。
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北國新聞/亡き叔父の日章旗帰還(Japanese Newspaper featured flag return in Ishikawa Prefecture )

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北國新聞/亡き叔父の日章旗帰還...
4月8日石川県能美市にて同町出身の海軍兵士「田端秀雄 命」の日章旗が石川県遺族連合会から兵士の甥である「田端駿一」さんに返還されました。返還の様子を北國新聞が記事にしてくださいました。
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OBON捜索班手記/北海道美深町で戦没者遺留品を返還(Returning the remains of the war dead in Bifuka-cho, Hokkaido)

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右近恒雄命の義理の息子にあたる... 右近恒雄命の義理の息子にあたる市名豊治さん 子供たちを想いカタカナで綴られ... 子供たちを想いカタカナで綴られた葉書
捜索班の工藤です。令和4年4月3日、硫黄島で散華された日本海軍兵士「右近恒雄 命」の遺留品をご遺族へ返還する為、北海道の美深町を訪れました。

遺留品は「右近恒雄 命」が郷里に住む5人の子供たちへ宛てた葉書でした。葉書には幼い子供たちに「仲良く、病気や怪我に気を付け勉強に励み叔母さんの言う事を聞くのですよ」と全文がカタカナで綴られてありました。

返還を受けられたのは兵士の末娘、御年83歳になられる「恒子」さんでした。しかしながら恒子さんは返還の数日前に怪我をされて入院されており、代わりに恒子さんのご主人が葉書を受け取られました。ご夫妻の住まわれる高齢者施設へは昨今のコロナ過という事もあり、入室が制限されてあるため返還は施設の玄関風除室で行われました。職員さんが風除室に椅子を用意して下さりそこで膝を突き合わせ、風呂敷の上で行われた小さなセレモニーでした。

風呂敷から取り出した葉書を見られたご主人は「子供たちが読めるように全部カタカナで書いたんですね」と義理の父の、子を思う優しさを感じていたようでした。OBONからは当会からのメッセージと、遺留品の提供者である米国フロリダ州在住の「マージョリー・ダネヒー」さんからのお手紙についてお話しました。

この時期の北海道は4月とは言え外気温は7度ほど、風除室も外とたいして変わらない温度なので長居は出来ないと判断しなるべくショートカットで進めました。私からは恒雄さんが硫黄島警備隊に配属されており葉書に記された記号などから、恒雄さんは摺鉢山での戦いに参戦されていたであろうこと。戦没日の3月17日は日本軍が上陸した米軍に対し総攻撃を開始した日である事。遺留品の葉書は恒雄さんが郵便としてだされた後に接収された事などOBONの調査で判明した事をお話しました。ご主人はずっと葉書を手に持ち見つめながら話を聞かれていました。私から「恒子さんはこの返還について何かおっしゃてましたか」とお聞きしました。「きっとこの葉書を手にしたら話してくれると思う」と仰ってました。またご主人はゆっくりと口を開き「5人兄妹でね、戦争でお父さんをなくしてからはお母さんが一人で布団屋さんを切り盛りして子供たちを育てたんだよ。布団の修理とか打ち直しなんかをね一人でやってね。。お父さんが硫黄島で戦死した。。。」ここから泣き崩れてしまいその言葉は聞き取れませんでしたが、きっと恒子さんから幼い頃の話を聞いておられたのでしょうか、それともこの世代の皆さんが一様に経験した戦争という悲劇を思い返されていたのでしょうか。そんな色んな感情の混ざった涙だったと感じました。

恒雄命の子供たちは恒子さんを含め3人がご存命で、この返還を待ち望んでおられると仰ってました。色々と落ち着いたらきっと皆で集まりお披露目したいとお話されていました。

この度の返還、誠におめでとうございました。
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OBON捜索班手記/北海道津別町で戦没者遺留品を返還(Returning the remains of the war dead in Tsubetsu-cho, Hokkaido)

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返還された政雄命遺留品 返還された政雄命遺留品 政雄命の甥「大東邦博」さんと奥... 政雄命の甥「大東邦博」さんと奥様 大東政雄命 大東政雄命 大東家(本家)のお仏壇 大東家(本家)のお仏壇 返還へ 返還へ
OBONソサエティ捜索班の工藤です。令和4年3月6日に硫黄島で散華された日本帝国海軍上等兵【大東政雄 命】の遺留品をご遺族に返還する為、北海道は津別町へ行って来ました。この度の遺留品は、兵士の従弟が政雄命に宛てた【手紙】でした。手紙には戦地へ向かった政雄命を励まし、政雄命のお父様が普段と変わらずに仕事をしている様子や、共通の友人の近況などが綴られていました。

一ー留守宅の父上始 皆健匠(健勝?)ですよ 此の点大安心下さい小生も君の留守中叔父様の身体に付いて心配していましたが精神力の更止(向上?)のためか 殆ど休んでいられる様子は有りません 相変ず一ヶ月七十束からの発送品を一手に引き受けて大いに頑張っていられます。此の様を見るに付け 政雄君のあのたくましい体で毎日元気で製材出しをして居た様子が目に見へます。

ーー自分達の原木□も益々勇壮で毎日十台から二十台位の到着原木で駅のホームを賑ぎやかにして居ります。自分達の班より過日 日原 田中の両名が海軍へ入団しました。何れも□□の年輩者です。松下工場も益々拡張され第二工場 製材工場等も建築されました。□身隊の寮も立派に出来上りました。原木は電気ウインチで物凄く髙巻きして居ります。二□酉の市も過ぎ二頭共最高で売りました。戦争は刻一刻吾本土に近づいて参りましたーー※「□」は判読不明の文字

兵士と手紙の差出人の大東剛さんは故郷では年も近く大変仲の良い間柄だったのではと読み取れます。大東家は北海道に移住してきて政雄命の代で四代目となられ、家業の林業に従事し町の発展に大きく寄与されてきたそうです。8人兄妹の長男として生まれ、当主となるべく成長した政雄命ですが、昭和16年に海軍に入隊。昭和20年に激戦の地【硫黄島】の警備任務に就かれました。きっとこの銃後からの手紙を肌身離さず、故郷を思って戦われたのだと思うとこみあげるものがあります。記録では政雄命の戦没日は昭和20年3月17日とあります。これは栗林中将が硫黄島に残る残存兵力を集結し、米軍に最後の攻撃を仕掛けた日です。水も食料もない中、手紙に書かかれた「~戦争は刻一刻吾本土に近づいて参りました~」これを阻止すするために戦われたのだと。

政雄命には年の離れた弟さんがいらっしゃいますが、ご遺族のご意向で「手紙」の返還を受けたのは本家の8代目を継がれた甥御様「大東邦博」様でした。邦博さんは「叔父(兵士弟)ともよく話し合って、この手紙は墓も仏壇もある本家で丁重に受取り、伝えていきたい」と仰っておられました。「当時政雄さんの遺骨や遺品は何も戻って来ず、石ころだけが白箱に納められて帰ってきたと聞いています。この手紙を叔父の遺骨として納骨しお寺で法要してもらう事になっています」との事。

この度の返還誠におめでとうございます。 https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/4849117658474787
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