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米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還 (Sankei Newspaper featured Our Stories)

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米NPO法人「OBONソサエテ... 米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還
2022/12/2
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
先の大戦で元米兵らが戦場から持ち帰った日本兵の遺留品を遺族に返還する取り組みを行っている米NPO法人「OBONソサエティ」(本部・オレゴン州)は2日、東京都内で日本遺族会とともに記者会見し、同法人が所持する240枚の日章旗を公開した。今後、遺族会が所有者を調査し、遺族への返還を目指す。
記事の続きは下記リンク先をご覧ください。
https://www.sankei.com/article/20221202-IR7CSCNEFVLCDLXHH7PAXUH2LM/?
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #共同記者会見 #大東亜戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊

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佐藤守男命「寄せ書き日の丸」返還式動画メッセージ Sincere Video message from OBON SOCIETY

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ニューメキシコ軍事博物館にて:... ニューメキシコ軍事博物館にて:
日章旗返還依頼をされた米国関係者らとOBONソサエティ・スタッフ
10月11日(火)午前11時から、佐藤守男命「寄せ書き日の丸」返還式が出身地である佐賀県脊振町にて行われました。
ご英霊が長い年月を経て、ようやく日章旗と共にご遺族のお手元へ戻れることとなり、本当に感慨深い思いでおります。
この佐藤守男命「寄せ書き日の丸」は、アメリカで初めて軍隊が返還を決意された非常に特別な旗です。関係者と共に訪日をして旗を手渡せるように希望していたのですが、コロナ禍などの事情によりこの度の訪日は叶いませんでしたが、ニューメキシコ州兵軍と全米バターン・コレヒドール防衛兵の会ら関係者と共に動画メッセージを作成しました。日本の皆様にもお届けしたいメッセージです。是非、ご視聴ください!
https://youtu.be/taSLGqV8v0c
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #ニューメキシコ #佐藤守男命 #佐賀県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #脊振町 #英霊 #軍事博物館

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OBON SOCIETY was invited for Keynote Speaker by ADBC Memorial Society / OBONソサエティは全米バターン・コレヒドール防衛兵の会に招待され基調講演を行いました

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OBON SOCIETY Pr... OBON SOCIETY Presentation / OBONソサエティの基調講演 Jan Thompton, p... Jan Thompton, president of ADBC Memorial Society and Rex Ziak, co-founder of OBON SOCIETY
ジャン・トンプソン代表とレックス・ジーク代表
OBON SOCIETY wa... Widow of US Vet... Widow of US Veteran, Jean (93 years old) and Rex
故米国退役軍人の妻ジーンさん(93歳)とレックス
OBON SOCIETY wa... From Left; Keik... From Left; Keiko Ziak, Bethany Glenn, Jan Thompson, Margaret Garcia and Rex Ziak
左から:敬子ジーク、ベスニー・グレン、ジャン・トンプソン、マーガレット・ガルシア、レックス・ジーク
OBON SOCIETY wa... OBON SOCIETY wa...
OBON SOCIETY was invited to give the keynote address to the annual meeting of the survivors of Bataan. The surviving veterans are too feeble to travel these days, but approximately 60 of their wives, sons, daughters and grandchildren attended to keep their memory alive. We spoke about the love everyone in the world has for their family members and gave examples proving the family never forgets.
On October 11th OBON SOCIETY will fulfill the Return of a Yosegaki Himomaru flag arranged by the American Defender of Bataan and Corregidor Memorial Society in conjunction with the New Mexico National Guard. This will be the first Yosegaki Hinomaru returned to Japan that had previously been on display in a US Military museum.
Related video you can watch below link:
https://youtu.be/tb2RPVXlWfQ

OBONソサエティは、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会の年会合に招待され基調講演をしてまいりました。国境、言語、文化、歴史認識の違いを乗り越え世界共通の「家族を愛する気持ち」をテーマに話をしました。コロナ禍により3年間延期となっていた会合は、今年初めて元米国退役軍人が参加されなかったそうですが、戦争の記憶を次世代へ継承し「平和」や「友好」「和解」を考える機会になるよう参加者全員で合意しました。
10月11日(火)には、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会のメンバーとニューメキシコ州軍関係者が、同州軍事博物館で展示されていた「寄せ書き日の丸」をご遺族と地元関係者へ返還する予定となっています。
下記YouTubeリンク先は、全米バターン・コレヒドール防衛兵の会のメンバー、マーガレットさんが「秘話」(日本語字幕付)で「寄せ書き日の丸」返還について語られています。
https://youtu.be/9SQQxzTq8M0

#ADBCMemorialSociety #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #全米バターンコレヒドール防衛兵の会 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #日章旗返還

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日高日報/南方ガ島で戦死から79年 千人針帰る(Japanese Newspaper featured 「Sennin-Bari」 return in Chiba Prefecture )

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日高日報/南方ガ島で戦死から7... 日高日報/南方ガ島で戦死から7...
太平洋戦争で南方・ガダルカナル島に出征し、1943年(昭和18)1月6日、32歳で戦死した旧白崎村(現由良町)大引出身で陸軍伍長だった中谷正廣さんの「千人針」が見つかり、26日、町役場でめいの福田優子さん(79)=大引=に引き渡された。元米兵の家族が保管し、80年近くの時を経て日本、そして遺族の元に戻った遺品。

関係者は英霊の冥福を祈るとともにあらためて恒久平和を願った。

千人針は1000人の女性が一針ずつ縫って結び目をこしらえた白木綿の布。これを肌につけて戦争に赴けば戦苦を免れて無事に帰還できるという風習があり、太平洋戦争まで日本で盛んに行われていた。

中谷さんは5男5女合わせて10人きょうだいの4番目で三男。「大引 中谷正廣」と書かれた千人針は腹に巻いていたとみられている。元米兵が戦地から持ち帰り、アメリカ・ミネソタ州に住む子どもが保管。アメリカで寄せ書き日の丸(日章旗)をはじめ遺品返還活動に取り組んでいる団体「OBONソサエティ」を通じて返還の希望があり、日本遺族会、県遺族連合会、日高郡遺族連合会に連絡があって遺族を探していた。

引き渡しは県、日高郡両遺族連合会の杉本正博会長から福田さんに行われた。中谷さんのおいの東一美さん(88)=大引=らも同席し、山名実町長、日高郡遺族連合会や由良町遺族会の役員らが立ち会った。

千人針を保管していた家族からの「心からお詫びを申し上げますとともに、ご家族に安らぎが訪れますようお祈り申し上げます」というメッセージや写真も紹介され、杉本会長は「戦争は二度としてもらいたくない。体は戻らずとも遺品を見て昔をしのんでもらえれば」。福田さんは千人針に「実物を見るのは初めて。ここに名前がありますね」と感慨深そうに手を伸ばし、「正廣さんのことは家に出征時の写真が1枚あるだけ。よくとっておいてくださった。お手紙で感謝を伝えたい」と話していた。

※千人針(Sennin-Bari) 1000-stitch belt; soldier's charm with stitches by a thousand women.

https://hidakashimpo.co.jp/?p=83602
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千人針 #和歌山 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #日高日報 #由良町 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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産経新聞/旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される(Japanese Newspaper featured Flag return in Chiba Prefecture )

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返還された日章旗。左側に持ち主... 返還された日章旗。左側に持ち主である松丸泰介さんの名前が大きく記されている=16日、千葉県市川市(前島沙紀撮影)
旧日本兵の日章旗、千葉・市川市が遺族に返還 米で発見される
2022/8/16 20:07

千葉県市川市は16日、同市から先の大戦に出征し、令和2年12月に老衰で亡くなった松丸泰介さんの日章旗を長男の裕一さん(71)に返還した。返還式には裕一さんやその家族、田中甲市長らが参加。日章旗は17日と23~31日、同市役所第1庁舎1階で行われる戦没者追悼行事と平和展で展示される。

泰介さんの日章旗は、国による戦没者の遺留品調査で米マサチューセッツ州で見つかり、今年1月に日本に届いたという。同州のビル・ブシーさんが1993年に父の遺品の中から発見し、保管していた。ブシーさんからは、「泰介様が第二次世界大戦から生還され、その後も長生きされたと知り、ほっとし喜んでいる。この先二度と同じことが繰り返されないよう願う」とメッセージが送られた。

裕一さんは日章旗が見つかったことについて、「ただただ驚いた。父が日章旗を携えていたと知らなかった」と話した。泰介さんはガダルカナル島やペリリュー島で米軍と戦ったという。裕一さんは、「99歳になる1週間前に亡くなった父は、戦争以外は本当に幸せな人生だったと思う。優しく運の強い人だった」と感慨深げに話した。

田中市長は、「幸せな国をつくるんだという思いが日章旗に込められていると思う」と指摘した。

裕一さんは「日章旗は大戦の遺物だと思うので、一家庭にとどめておくよりも皆さまの目にとまるところに置いてもらいたい」と、市に日章旗を寄贈する意向で、市歴史博物館で保存される予定だ。

https://www.sankei.com/article/20220816-YT2KJKWCVFKBPKMZ55GBMLD474/photo/GOUBK6FYB5LDNBRC6NJHX2FE24/
#flagreturn #navy #nhk #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #産経新聞 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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【NHK動画】太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還(NHK News TV featured Flag return in Chiba Prefecture )

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泰介さんの息子の裕一さん(71... 泰介さんの息子の裕一さん(71)右 【NHK動画】太平洋戦争で日本...
太平洋戦争で日本兵が持って行った日章旗 家族のもとに返還
2022年8月16日 16時21分

太平洋戦争で日本兵が戦地に持って行った日章旗がその後、アメリカで発見され、終戦から77年を経て、16日、千葉県市川市の家族のもとに返還されました。

返還されたのは、市川市出身で、船舶工兵としてニューギニアなどで戦い、おととし、98歳で亡くなった松丸泰介さんの日章旗です。

この旗は、29年前に亡くなったアメリカ軍の元海兵隊員、オリバー・ブッシーさんの息子でマサチューセッツ州に住むビル・ブッシーさん(75)が保管していたもので、遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」(オボン)を通して市川市役所に届けられていました。

16日は泰介さんの息子の裕一さん(71)らが田中甲市長から旗を受け取りました。

旗は縦66センチ、横83センチで、破れたり色がにじんだりしていますが、勝利を祈ることばや泰介さんの妻など家族や地域の人とみられる名前が寄せ書きされています。

返還式では、「この旗を家族のもとへ戻せることを大変うれしく思います」というビルさんからのメッセージも紹介されました。

裕一さんは「父の苦労のあとが伺える旗で、アメリカから戻ってきて本当によかったです。より多くの人の目に触れ平和の大切さを考える機会にしてもらうため市に寄贈したい」と話していました。

“戦うよりも生きるために食糧を探す日常だった”
松丸泰介さんの息子の裕一さんによりますと、泰介さんは大正10年生まれで、宮城県の石巻市から南太平洋のニューギニアなどに向けて出征し、船舶工兵として戦ったと聞いているということです。

泰介さんはおととし98歳で亡くなり、裕一さんは「前向きで地域のためにいろいろやる人でした。戦争については、戦うというよりも生きるために食糧を探すのが日常だったと聞いたことがある。あとは、足をやられたら置いていかれるからダメだと話していた」と振り返っていました。

16日に返還された旗は、破れや色あせ、インクのにじみがあり、かなり傷んだ状態ですが、「松丸泰介君」と大きく書かれた周りには、泰介さんの妻、百合子さんなど50人以上の名前があります。

返還式のあと、裕一さんは「戦争についてほとんど語らなかった父ですが、この旗を見てどんなに悲惨な戦争だったんだろう、語ることができなかったのではないかと思いました。日の丸の赤の中に血がにじむ思いがあると分かってくれて、大事にしまってくれたのだろう。ありがたい気持ちでいっぱいです」と話していました。
ビルさん “松丸さんも父も戦争を生き抜いた”

今回、返還された旗は、太平洋戦争中、アメリカ軍の海兵隊員としてガダルカナル島やパラオに赴いたオリバー・ブッシーさんが長く保管していたものでした。

オリバーさんの息子、ビルさんによりますと、オリバーさんが1993年8月に亡くなったあと10年以上たって家を売ることになった際、クローゼットから軍服や勲章などの記念品とともに箱の中に入っているのを見つけたということです。

今回、オンラインで取材に応じたビルさんは、旗を見つけたときのことを「ワックス紙で包まれていて、ガーゼのように薄く、すぐに壊れそうでした。何度も広げたら壊れてしまうと思い、一度だけ開きました」と振り返り、「父がこの旗を持っていたことすら私は知らなかったんです。太平洋戦争については決して多くを語らない人でした。ただ、少なくとも捨てなかったということは、敬意を持っていたのではないでしょうか」と話していました。

ビルさんは、友人に相談したり自分で調べたりする中で、日章旗など遺留品の返還に取り組むNPO「OBONソサエティ」のことを知り、団体を通じて旗を返還することになりました。

ビルさんは「松丸さんも父も戦争を生き抜き、それぞれ家庭を築くことができました。本当によかったです」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220816/k10013773061000.html?fbclid=IwAR2T2oQPg6G032oJFdJRSJ9HvaCslQgBjZhoDcZdO9dQmt3FzDUQs2ll0pw
#flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #日章旗返還 #英霊 #護国神社

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NHK/Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family

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Taisuke's son Yuichi (71) Taisuke's son Yuichi (71)
Japanese flag taken by Japanese soldiers during the Pacific War returned to family
2022/8/16 12:45:51


[NHK] The Japanese flag that Japanese soldiers brought to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and on the 16th, 77 years after the end of the war, a house in Ichikawa City, Chiba Prefecture...

The Japanese flag that Japanese soldiers took to the battlefield during the Pacific War was later discovered in the United States, and was returned to his family in Ichikawa City, Chiba Prefecture on the 16th, 77 years after the end of the war.

The flag that was returned was that of Taisuke Matsumaru, who was born in Ichikawa City and died at the age of 98 after fighting in New Guinea as a ship engineer.


This flag was kept by Bill Bussey (75), who lives in Massachusetts and is the son of Oliver Bussey, a former U.S. Marine who died 29 years ago. It was delivered to Ichikawa City Hall through the NPO "OBON Society" (Obon).


On the 16th, Taisuke's son Yuichi (71) and others received the flag from Mayor Kou Tanaka.


The flag is 66 centimeters high and 83 centimeters wide, and although it is torn and the colors are blurred, it contains words of prayer for victory and the names of family members and local people, such as Taisuke's wife.


At the handover ceremony, a message from Mr. Bill was also introduced, saying, "I am very happy to be able to return this flag to my family."

Yuichi said, "I'm really glad that I came back from America with the flag that shows the traces of my father's hardships. I want to donate it to the city so that more people can see it and have an opportunity to think about the importance of peace." was

https://www.tellerreport.com/life/2022-08-16-japanese-flag-taken-by-japanese-soldiers-during-the-pacific-war-returned-to-family.Hkeug75dAq.html?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
#NHK #flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #千葉県 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #市川市 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #靖国神社

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読売新聞/日章旗返還 紡ぐ友好(Japanese Newspaper introduced OBON Society's activities.)

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「今も返還を待つ日章旗が多数あ... 「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供
日章旗返還 紡ぐ友好
2022/08/17 05:00

「今も返還を待つ日章旗が多数ある」と活動を進める夫妻(米オレゴン州で)=OBONソサエティ提供

府出身女性ら米で活動

 「生きた証し 家族に」

 第2次世界大戦中、日本軍の兵士が身につけていた寄せ書き入りの日章旗を遺族に返還する取り組みを、京都ゆかりの女性らが米国で進めている。「戦争で命を落とした人たちが生きた証しを、故郷の家族に届けたい」。戦後77年の夏、時と海を越える活動に思いを新たにしている。(松田聡)

 女性は京都市出身の敬子・ジークさん(54)。米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」の共同代表を務め、現地で集まった日章旗を国内の遺族会などの協力を得て返還につなげている。

 敬子さんは、ビルマ(現ミャンマー)に出征した祖父を戦争で亡くした。「お墓には、戦死通知と一緒に届いた小石が一つ入っているだけなのよ」。子どもの頃から祖父の墓参りに行くたびに、母からそう聞かされていた。

 2007年、カナダ人から突然の連絡を受けた。やがて届いたのは、多くの人の寄せ書きが記された日章旗。「武器も食料もなく、マラリアにやられ、ジャングルで倒れたのか」と 偲しの んでいた祖父のものだった。終戦から半世紀以上たったとは思えない状態で、「祖父の魂が奇跡を起こした」と感じた。

 日章旗について、夫で歴史学者のレックス・ジークさん(68)が調べると、米国には多くが残っていることがわかった。

 「日本にいる遺族に届けることで、平和と友好の心をつなぎたい」。そんな思いで返還活動を始めた。

 魂が帰ってくる盆と同じように、遺族は旗を「お帰り」と迎えてくれるはず。そう願い、NPOの名に「OBON」を入れた。


 活動は当初、手探りだった。声をかけても怪しまれ、遺族捜しに難儀することもあった。それに、日章旗は苦しい戦闘の末に得た戦利品という考えで持ち帰った米国人兵士が多かった。

 講演やインターネットで敬子さんらは、寄せ書きの旗が兵士の無事を願って作られた大切なお守りであることを強調した。

 次第に活動の輪は広がり、国内でも遺族会や厚生労働省の協力が得られるようになった。

 中には訪日し、返還式で遺族と対面する米国人もいた。ともに戦争で対立した父親を持つ者同士。互いを思い合い、涙する姿もあったという。

 敬子さんは「国は違えど、返還を申し出る人は、国や家族のために戦った兵士、その子どもらという同じ立場。日本兵にも尊敬の念を抱き、返された遺族の心の一区切りになるよう願っている」と話す。

 これまでに日章旗のほか、手紙や名札、帽子、軍刀など約500件の遺品を46都道府県で返還した。府内でも、沖縄戦で戦死した宮津市出身の男性の日章旗が、5月に故郷へ戻った。

 遺族が見つからない場合でも、何かの手がかりや平和学習に役立ててほしいと、出身地の公民館や遺族会などに託している。

 今、返還の依頼を受け、遺族を捜している遺品は1800件以上。うち府内出身の兵士のものと絞り込んだのは16件ある。

 「遺品は魂が宿った『遺霊品』。過去、現在、未来をつなぐ縦の糸と、国、言語、文化の違いを乗り越えた横の糸をつなげる役割がある」と敬子さん。「一人でも多くの魂を、家族の元に戻していきたい」と力を込める。

https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220816-OYTNT50072/?fbclid=IwAR3OCdsNpX8OSKbaTFsRG0HTtmlaG0dI5jo5cnZ4spEriOEuj4GeDRHcbOE
#USA #flagreturn #navy #obonsociety #obonソサエティ #soldier #veteran #ww2 #京都 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #新聞 #日章旗返還 #英霊 #読売新聞 #護国神社 #靖国神社

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【日刊SPA!】戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ(Nikkan SPA! published an interview with OBON Society co-founder "Keiko & Rex Ziak".)

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OBONソサエティ共同代表 レ... OBONソサエティ共同代表 レックス&敬子・ジーク 寄せ書き日の丸 寄せ書き日の丸 日章旗の返還を希望したマービン... 日章旗の返還を希望したマービンさん 日章旗は兵士遺族へ 日章旗は兵士遺族へ 【日刊SPA!】戦地に散った日...
【P1】

戦地に散った日本兵の「寄せ書き日の丸」。戦後77年経った今も海外から遺族の元へ
今日は77回目の終戦記念日。その中で、外国にある日本兵の遺品を、日本の遺族に返還している「OBONソサエティ」(以下、OBON)という非営利団体がある。返還の中心となるのは「寄せ書き日の丸」と呼ばれる、出征する兵士に向けて家族や友人が名前やメッセージを書き込んだ日の丸の旗だ。その活動を通して、これから先の未来の平和を考えたい。代表のジーク敬子&レックス夫妻に話を聞いた。

「寄せ書き日の丸」に込められた意味

――「寄せ書き日の丸」は、当時の人にとってどんなものだったんですか?
ジーク敬子氏(以下、敬子):お守りのような物で、出征する人の心の支えとなってほしいという願いが込められたものです。先の大戦中、兵士が召集された際、家族や友人は「もしかしたらこの人は帰ってこないかもしれない」と考えます。その上で、心を込めたメッセージを日の丸に書いて渡しました。

――旗に「武運長久」の文字が多く見られます。

敬子:戦場での武運が長く続いて欲しいという思いが込められた言葉です。その裏には、実際には書けなかった「なんとか生きて帰ってきてくれ」という強い祈りも感じられます。「寄せ書き日の丸」を懐に携えて戦った兵士さん達は苦しい時も、一人じゃないと思えたでしょう。

――寄せ書きした国旗を渡して送り出すのは日本独特の慣習なのですか?
敬子:そうです。第二次世界大戦からではなく、日中戦争のあたりから存在が確認されています。

なぜ海外で長く保管され返って来るのか

――「生きて帰ってこないかもしれない」という思いもあるんですね。日本人にとっては大事な遺品ですが、なぜ敵国であった海外で何十年も保管されているのですか?
敬子:昔から、戦いで勝利したら敵国の旗を勝利のシンボルとして持ち帰るという風習は世界各地にありました。

そして、先の大戦では日本兵は部隊ごとだけではなく、ひとりひとりがお守りとして「寄せ書き日の丸」を持っていたので、米軍の兵士らは恰好の戦利品として持ち帰ったわけです。勇敢に戦って勝利した証として、終戦後も大事に持っている人が多くいます。

――それを「日本に返そう」という考えに至るにはどんな経緯があるのですか?
敬子:そもそも旗を持って帰る米国兵士達は、旗に書かれている日本語は読めません。
なので、多くの人は日本軍の指令や計画が書かれた軍所有のものだと思われていたようでした。

そこで、OBONを2009年に立ち上げてから、旗には、軍の指令などではなく、家族の願いや祈りが込められている、ということを広める活動をしてきました。
そうして世界へ発信するうちに「まさかそんな大切なものだったなんて!」と驚かれて、返還を申し出てくださる方が増えていきました。

【P2】

自身に起こった奇跡がOBONの始まり

――なぜこの団体を立ち上げようと思ったのですか?

敬子:私自身の体験によるものです。私の祖父は、兵士としてビルマ(現ミャンマー)へ出征し、帰らぬ人となりました。ですが、他の多くのご遺族と同様に、遺骨も遺品も何一つ返ってこなかったんです。戦死通知書と小石がたったひとつのみ送られてきただけだと、母から聞かされていました。

ですが、戦後60年以上がたったある時、祖父の寄せ書き日の丸が見つかりました。旗は戦後、カナダのとある古物収集家の手に渡ったそうで、その方が亡くなる寸前に「この旗を、日本の遺族に返して欲しい」という遺言を残されたようです。

その言葉を受けた息子さんが、日本に来た際に成田空港近くのホテルのコンシェルジュに事情を話して旗を託されたそうです。そこから約8か月後、まさに奇跡が重なって我が家に旗が帰ってきたんです。

――多くの方の思いがつながったのですね。

敬子:「もうおじいちゃんのことは心の中だけに」と思っていた中、祖父の名前やよく知っている近所の人の名前が書かれた旗が帰ってきて、本当にびっくりしました。

母は「おじいちゃんが諦めず、長い年月をかけて帰ってきてくれはった」と泣きながら言うんです。

――敬子さんはその時はまだ、「寄せ書き日の丸」という風習はご存知なかったんですか?

敬子:はい。なので「これは一体、何なのだろう」という思いでした。この旗が返ってきた経緯を考えると、奇跡が起こったとしか言いようがないとその時は思っていました。

その後、レックスと結婚することになって、この話を彼にしたんです。

歴史家である彼はこれに大変驚き、調べてみようということになりました。

すると「寄せ書き日の丸」は我が家の1枚だけでなく、まだまだたくさん海外に眠っているということがわかったんです。それならば、他のご遺族にも私たちが経験した奇跡を届けることができればと思ったのが始まりです。

それぞれの遺品にそれぞれの背景

――2009年に活動を開始して、これまでにどのくらいの遺品を返還されたんですか?

敬子:返還のご依頼を受けた約2200件の中で470件ほどが無事にご遺族のお手元へ戻られました。ですが、80年以上も前に作成された旗を手掛かりに、贈られた兵士さんのご遺族を探し出すのはやはり容易ではありません。

――最も印象に残っている返還はなんですか?

敬子:米国海兵隊として日本兵と戦ったマービンさんのものです。マービンさんは戦地から旗を持ち帰り、長年大切に保管されていました。そしてOBONの広報活動を通して「寄せ書き日の丸」の意味を知られ、ご遺族へ返還したいと希望されました。その後、日本のご遺族捜索の末に、旗の持ち主だった戦没兵士の弟さんと妹さん2人が見つかったんです。

――ご遺族も、まさかお兄様の遺品が70年以上経って返って来るとは思いませんよね。

敬子:ご遺族は、お兄様と別れた日のことも鮮明に覚えていらっしゃいました。サイパンで戦死したという通知のみが届き、どのように亡くなったかもわからず「苦しい最期でなければいいな」とずっと思われていたそうです。

――なるほど、そしてどのように返還なさったのですか?

敬子:マービンさんは「日本へ行って、この手で返したい」と希望されました。

ですが、93歳というご高齢のため体力面などの心配もあり、事前にお会いしてみることにしました。ご自宅を訪ねると、心身ともにお元気でいらっしゃることが分かり、一緒に日本へ行っていただくことにしたんです。

――アメリカの元兵士と会うご遺族の気持ちは、どのようなものだったのでしょうか。

敬子:マービンさんの、返還したいという思いと、はるばる日本に行って直接渡したいという誠意が伝わったようで、大変歓迎されました。弟さんはマービンさんをひと目見ただけで以心伝心したようで、二人は手をとりあって返還式典の会場まで一緒に向かわれるほどでしたね。

マービンさんは、戦地で旗を手にして持ち帰った時の様子をはっきり覚えていらして、ご遺族へ話されました。弟さんは記憶に残っている兄の匂いがするかもと思われたそうで、旗に顔を埋めて涙されていました。長年の心の終止符となったのか、マービンさんと固い握手を交わされていました。

【P3】

寄せ書き日の丸の返還が伝えること

――戦後77年、ご遺族がご高齢となる中で残り時間がないという感覚はありますか?

敬子:確かに、一番優先度の高い「兵士さんを直接知る方が存命のうちに返還する」という観点では、時間は差し迫っています。しかし、私たちが見ている展望はもう一つあります。

私自身、戦争は体験していませんし祖父とも直接会ったことがなく、旗が帰って来るまでは、祖父のことも戦争のことも他人事のように思っていました。しかし、返還をきっかけに戦争のことをしっかりと考えるようになりました。旗が帰って来る前と後では、戦争や平和、それからご先祖さまに対する考えが180度変わりました。

ですから、戦死された兵士さんを直接知る人ではなくとも、お孫さんやひ孫さんに返すことで戦争のことを考えるきっかけになります。さらに、旗が返って来る背景にある、かつては敵国であった国の人が「この旗をご遺族に返したい」と願われたことにも思いが至るわけです。

――私も今回の取材で、初めて海外の方の気持ちを知り、感動しています。

敬子:「寄せ書き日の丸」のメッセージは、「国を越え、時を経てもなお消えない家族を思う気持ち」だと思うんです。これからもさらに活動を広げていきます。

レックス氏からのメッセージ

最後に、敬子氏の夫であり同団体の共同代表であるレックス氏にも思いを語ってもらった。(通訳:敬子氏)

「すべてのアメリカ人は、国に仕える兵士に感謝と敬服の気持ちを持っています。 それだけでなく、ご遺族へ寄せ書き日の丸の返還を希望される方々は、アメリカ兵を思う気持ちと同様に、日本兵に対しても心からの敬意を払われています。

先の大戦が終わって75年以上。日本兵とそのご遺族を想い、寄せ書き日の丸を返還することが未来の平和へつながります」

 家族や友人が心を込めて書いた「寄せ書き日の丸」が、長い年月と国境を超えて返還される背景にある思い。私たちはそれを受け止めながら世界中の人と心で繋がり、未来の平和への誓いを新たにしなくてはいけない。<取材・文/Mr.tsubaking>
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中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺書 米で発見(The Chunichi News paper published an article about the will of a Japanese soldier.)

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中日新聞/妻に宛てた日本兵の遺...
中日新聞がOBONソサエティが現在捜索を進めている岐阜県の旧下石町(現・土岐市下石町)出身の日本陸軍兵士 【髙木直市 命の遺書】について記事を掲載して下さいました。

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「今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」 妻に宛てた日本兵の遺書、米で発見

太平洋戦争の戦地で死亡した日本兵の遺書が米国で見つかり、返還に向けて岐阜県土岐市の遺族連合会が遺族を探している。遺書を戦地から持ち帰った米軍の軍医の孫が、遺品返還に取り組む米オレゴン州のNPO「OBON(オボン)ソサエティ」に託した。孫は「少しでも早く遺族が見つかれば」と返還を心待ちにしているという。

「三人ノ子供ハ絶對(たい)他人ノ手ニテ育テサスナ」「今日カラハ體(からだ)ヲ皇國ニ捧ゲ第二ノ國民タル三児ヲ守レ」

日本兵の遺書は妻宛てで、便箋三枚。子どもの養育や財産の分配などについて書かれ、妻に子どもたちの将来を託した内容となっている。

「俺ガ今日迄何ノ虞(おそれ)モ無ク常ニ安心シテ一途ニ御奉公ノ出来タノモ心秘(ひそ)カニ節子ヲ信ズレバコソダ 今初メテ心カラ礼ヲ言フゾ」と感謝を伝える言葉もあり、「今戦ノ中場デ斃(たお)レルハ誠ニ残念ナルモ俺ハ笑ツテ死ヌ事ガ出来ル」ともつづっている。

続きはこちら→ https://www.chunichi.co.jp/amp/article/526309
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