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【遺品の帰郷 旧交戦国から相次ぐ 広がる「和解の証し」 なぜコロナ禍も一因に?】
と題して北海道新聞(東京報道センター/酒井聡平 記者) から戦没兵士の遺霊品返還についての記事が掲載されました。今年1月にOBONソサエティを介して兄の日章旗を受け取られた北海道斜里町のご遺族のインタビューも掲載されております。
後半6項/全項11がOBONソサエティに関する記事です。
戦没兵士の遺霊品返還を行う団体は当会以外にもありますが、OBONソサエティでは遺霊品のオークションなどによる売買は行うべきでは無いとの立場で活動をしております。どのような理由であれ、遺霊品に価格をつけ、結果市場価値を生み出してしまう恐れを危惧しております。また、厚生労働省でも「寄せ書きのある日章旗や千人針は、戦時中、出征する人が、その家族や身近な人々から贈られ大切に身に付けていたものです。御遺族の中には、戦没者の遺品や御遺骨がない方もおられ、日章旗などの遺品が唯一の形見になる場合もあります。こうした遺品がインターネットオークションで売買されていることは、御遺骨や遺品の帰還を待つ戦没者の御遺族にとっては耐え難いことであり、御遺族のこうした気持ちに御配慮いただきますようお願いいたします。」との指針を示しております。
関連資料をコメント欄に置いておきます。
【記事全文】北海道新聞のウェブサイトから (無料登録あり) https://www.hokkaido-np.co.jp/article/717042/?rct=n_war
またOBONソサエティではYouTubeチャンネルにてたくさんの動画を公開しております。https://www.youtube.com/c/OBONSOCIETY/videos
太平洋戦争の激戦地だったソロモン諸島のガダルカナル島で、1942年に戦死した郡山市出身の 宇南山うなやま 民男さん(当時23歳)の所持品だった日章旗が22日、保管されていた米国から遺族に返還された。80年ぶりに古里に戻り、遺族も感慨深げだった。
郡山市遺族会や宇南山さんの遺族などによると、民男さんは1919年生まれ。42年1月、広島県の宇品港から戦地に向かい、同年11月、ガダルカナル島で腰と腕に砲弾の破片を受けて戦死したという。
日章旗は43年1月、ガダルカナル島に滞在していた米軍のチャールズ・マーコットさんが、現地の住民から受け取って持ち帰り、保管していた。受け継いだ息子のロバートさんが、日本兵の遺品返還活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」に提供し、日本遺族会などの確認作業を経て返還が実現した。
この日は、宇南山さんのおいの妻・宇南山洋子さん(80)が郡山市役所を訪れ、市遺族会の渡辺守久・副会長から「武運長久」などの寄せ書きが入った日章旗を受け取った。洋子さんは「お墓の家族に、日章旗とともに民男さんの 御霊みたま が戻ったと報告したい。皆が喜んでいると思う」と話した。
同席した品川万里市長は「日章旗の返還は、日米の善意のリレーによって実現した。世界で戦禍が絶えない中、一日も早く平和と秩序が保たれてほしい」と語った。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220723-OYT1T50130/
OBON SOCIETY visited the Prime Minister Mr. Abe in August 4th, 2015
Our thoughts are with the family of former Prime Minister Abe and all of Japan.
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戦死の祖父 手帳戻る2022/06/08 05:00
姫路の岡崎さん 「沖縄の慰霊碑に報告を
太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した第2野戦築城隊付の陸軍少佐・岡崎梅太郎さん(姫路市出身)の手帳が7日、姫路市に住む孫・公一さん(64)の手元に戻った。戦争終結から77年。この日、姫路護国神社で手帳を受け取った公一さんは、会ったことのない祖父に思いをはせ、「大切に保管し、いつか、沖縄の慰霊碑に『返ってきたで』と報告に行きたい」と語った。(北野浩暉)
戦後77年 米兵が保管
県遺族会姫路支部などによると、梅太郎さんは1904年に生まれ、38年に入隊。45年5月20日、戦火が激しくなった沖縄県の首里で死亡した。
手帳は沖縄戦に参戦した米兵が戦地から持ち帰ったもの。戦後、米オレゴン州で保管していたという。
戦利品として持ち帰られた日章旗や日記などの様々な遺品返還事業を行っている同州のNPO法人「OBONソサエティ」に米兵の息子が提供。今年4月、同支部が調査を行って返還されることになった。
当時、従軍者に配られていた手帳で、表紙には「従軍手 帖ちょう 」の文字。従軍履歴のほか、「軍紀風紀の維持」などの行動規範、計算式といった梅太郎さんがつづったとみられるメモなどが残されている。
公一さんの手元には梅太郎さんの写る当時の写真がある。祖父にあたる梅太郎さんについて、父親らからあまり話を聞いていないものの、公一さんは、これまでに計3回、沖縄の慰霊祭に参加したという。
77年の時を超えて〈帰国〉を果たした手帳を前に「祖父のことや(手帳が)返ってきた経緯についてもっと詳しく知りたい。この次に沖縄へ行く時には手帳を携えて行きたい」と話している。https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20220608-OYTNT50017/?fbclid=IwAR2dfUQ_haqvwRGOnnHTeMtoImots7XYPwFWt4uKYeJ7gaPPDmyzofTisFg
【動画/video】→→ https://www.youtube.com/watch?v=H7AOD5yxuz0
提供:与謝野郡役場CATVセンター
〜77年の時を経てお父様が帰郷を果たされました〜
令和4年5月15日
京都府宮津市与謝野郡生涯学習センター知遊館にて黄前典夫命「遺霊品返還式」が行われました。
After 77 years passed, Father finally came home in Kyoto to see his son and daughter.
日章旗 80年ぶり古里に 旧養老村出身・黄前さん遺品
第2次世界大戦の沖縄戦で戦死した旧養老村(現・宮津市)出身の日本兵、黄前典夫さんの持っていた寄せ書き入りの日章旗が、保管されていた米国から遺族に返還された。日本兵の遺品返還活動に尽力している米オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」と、日本の遺族会の協力で約80年ぶりに古里に戻り、地元の家族の涙を誘った。
米から返還 子どもら「感激」
NPOによると、典夫さんは1915年生まれ。沖縄戦に兵士として赴き、45年4月に爆風で飛んできた金属片を受けて戦死したという。
日章旗はニューメキシコ州の米軍兵、エルマー・ヤングさんが戦地で見つけて保管していた。ヤングさんが亡くなり、家族のロバートさんが2020年4月、NPOに対し、持ち主に返すよう依頼。協力の依頼を受けた与謝郡遺族連合会などが典夫さんの遺族を捜し出した。
与謝野町の知遊館で15日に返還式があり、典夫さんのそれぞれ長男、長女で、織物業黄前国忠さん(83)(与謝野町)と、山本洋子さん(81)(宮津市)に、たばこ入れと仏画入れとともに返された。ロバートさんは「戦場で遺留品を取得し、敬意を込めて大切に保管した。返還が慰めをもたらしますように」とのメッセージを寄せた。
旗には「武運長久」「心身健全」などと書かれ、多数の署名もあった。国忠さんは幼かったため父の典夫さんの顔を覚えていないといい、「この日を迎えられ言葉に尽くせないほど感激している。(旗を)見ただけで涙が出る」とハンカチで目頭を押さえていた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220516-OYTNT50082/?fbclid=IwAR1inBR8WUBlEhHzlENsBW8QEs0UqaECo3SRtsKdZj403bDHKoApWYvv_JQ
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