「 泣く子には勝てぬ 」
昨年暮れ、ある有名漫画家が、たまたま泣き⽌まない乳児と同じ⾶⾏機に搭乗した際、「うるさい」と航空会社にクレームを⼊れ、さらにその一部始終を記事にして問題提起した つもりが、逆に彼のほうが著名人らを中心に各方面から集中砲火を浴びてしまったことがあったが、その内容が実に興味深い。
脳科学者の茂⽊健⼀郎⽒は「1歳の⾚ちゃんのふるまいを、コントロール出来ると思っている⼤⼈がいることが信じられない」と言えば、弁護⼠の落合洋司⽒は「気持ちはわかるが⾚ちゃんが泣くのは仕⽅ないのでは。昔から、泣く⼦と地頭には勝てぬ、いうくらいで」と発言。 さらに、音楽プロデューサーのつんく氏のコメントが胸を打つ。「15年前⾶⾏機で離陸から着陸まで泣いてた⾚ちゃんのママと⽬が合った。『すいません。疲れてはるのに居眠り出来なかったでしょ』って。『いえいえ、2時間泣いてたこの⼦が⼀番がんばった。エライエライ』って⾔ったらママさんが涙しはった。今ならこのママさんの涙の意味がわかる。⼦供は泣くさ」と。作家の⼄武洋匡氏も「大人が我慢するか、子供に我慢させるかではなく、その光景を微笑ましいと思える大人になりたいな」とも。
最後にキリストの話。
「さて、イエスに祝福していただこうと、人々が、
子供たちを連れてやって来ました。ところ
が弟子たちは、邪魔だとばかり、彼らを追い返そうとしました。
それをごらんになったイエスは、弟子たちをひどく叱りつけました。
『子供たちを、自由に来させなさい。
神の国はこの子供たちの様な者の国なのだ。
追い払うなど、とんでもない。』(中略)それから、
子供たちを抱き上げ、頭に手を置いて、祝福されました。」
マルコの福音書10章13-16節:LB。
子供は祝福であり愛すべき存在であるのに議論の余地はないが、イエスはさらに一歩進める。何と、天国と子供に対する大人の態度とは関係があるのだ。実は神から見れば我々人類全てが子供であり、いつも愛しておられる。だからこそ神は人類に救い主を送って下さった。したがって、我々も子供たちや弱い人たちを愛さなければならないということだ。
2013-2-24
第22話「ついに法人化 成る」 武曽氏シリーズ最終回
さて、教会のアカウントの立ち上げと同時に非課税認可の申し込みをIRS(歳入庁:日本の国税庁に相当)へ送ってから数カ月したある日、ワシントンDCから多くの書類が入った分厚い封筒が届いた。「ゲッ!」嫌な予感は当たり、これまでに送った資料では全く不十分で、特に規約と綱領に関しては全部初めからやり直せと言う。その他にも教会内の礼拝所やトイレなど使用施設の写真をはじめ私自身に関する記録など、提出すべき資料が満載されてる。
さっそく武曽氏に調べてもらったところ、「これはヒドイ!古林さん、これは無茶苦茶だ!はっきり言ってこれは“いちゃもん”ですよ。まるで認可を取らせたくないみたいですね。」と彼。以前は宗教法人の非課税認可など楽勝で取れたのだが、それゆえ詐欺に使われることが増え ここ数年急に厳しくなり、さらにはリーマンショック直後の不景気でもありNPOへの課税法案まで議会で飛ぶ出す始末で、宗教関係の認可は難しいのだと言う。
「何とかしないといけない! 今までは基本的にアシスタントに任せてきましたがここからは私がやります!」と武曽氏は仕事に取りかかり、私も指示された資料を集めた。礼拝所などと言うものなどなく、当時はただ時間割サブリースの事務所を借りてただけだったが、ウソを言うわけにもいかないのでそこの写真を撮り、たまに信者らが泊まり込む自宅アパートのリビングルームを”寮“として説明するなど出来るだけ多くの資料を載せ、最後に丁寧な英文を作成して再トライ。
約1ヶ月後、やや薄めのA4ファイル封筒がワシントンDCから届き、中に「ここにSo Cal Bible Church(南カリフォルニア聖書教会)の設立を認可する。国務長官:デボラ・ボーエン」とあり驚いた。ついにやった! ハレルヤ! 急いで武曽氏に連絡したところ、「おめでとうございます!本当に良かったです!一時はどうなることかと思いましたが、『この人だけは何としても助けなきゃ!』と思って頑張りました!」 後で知ったことだが、彼の顧客は大企業が多く初期手数料だけでも1万ドル近くにもなるそうだが、今回の多大な労にも関わらず1000ドルぽっちの支払いで済んだ。それでも彼は「教会からお金をいただいてごめんなさい。」と何度も仰られたので恐縮した。本当に主は彼を通して大きな御業を成された。
「見よ。わたしは、使いをあなたの前に遣わし、
あなたを道で守らせ、
わたしが備えた所にあなたを導いて行かせよう。」
出エジプト記23章20節
この後、武曽氏は当教会の発足式に往復200キロかけて参加されたり、クリスマスには中華料理をご馳走してくれたり、献金もして下さった。しかしまだイエスを信じてはいない。10年たった今も武曽ご夫妻の救いを毎日祈っている。
2-4-2020
「 インフラ崩壊元年 」
昨年12月2日、山梨県の中央自動車道笹子トンネルで、天井のコンクリート板が約130mにわたって落下し、複数の走行中の車が巻き込まれ、日本の高速道路上での事故としては、1979年に発生した日本坂トンネル火災事故などを死亡者数で上回る最悪のものと なったことは記憶に新しい。実はこの事故の10ヶ月前の毎日新聞において、東洋大学経済学部の根本祐二教授は警告を発していた。その内容はずばり “朽ちるインフラ” だ。
「道路、橋、上下水道、学校など、全国に老朽化している社会インフラが多くあり、これらは高度経済成長期の60年代から80年代に造られたもので、これから続々と寿命を迎えることになり、例えば、老朽化により通行規制中の橋だけでも全国に1400もある」。
この事実は80年代の米国とソックリだ。1930年代に当時のルーズベルト大統領が大恐慌の大量失業を解消するため、全米でダムや橋などの公共事業を実施したが、その後50年を経て老朽化し事故が続発、多数の施設の崩壊や使用停止が相次ぎ、中でもニューヨーク市ウェストサイド・ハイウェーで起こった、走行中のトラックが高架崩落により転落した事故は有名だ。
奇しくも来年は東京五輪50周年だが、このままでは“インフラ崩壊元年“ になると根本教授は言う。ちなみに老朽化インフラの維持更新費の総額は今後50年でざっと330兆円ほどになり、これは毎年8・1兆円必要とのことだが、現在の予算配分はせいぜい9000億円でお話にならない。
「すべての人は草、その栄光は、みな野の花のようだ。
主のいぶきがその上に吹くと、草は 枯れ、花はしぼむ。
まことに、民は草だ。 草は枯れ、花はしぼむ。
だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
イザヤ書40章6-8節 。
と聖書は、人には終りがある、はかないものであることを警告してきた。しかしながら、神は決して人類の崩壊を望んではいない。実は「永遠に続く神の言葉」こそが救い主キリストなのだ。今一度、永遠に続く神の力に目を向け、思いを馳せてみてはいかがだろうか。 2013-2-5
第21話「アメリカで教会を法人化する」Part 5 武曽氏との問答③
それからも武曽氏は話を続け、彼の口から衝撃的な言葉が飛び出した。
カレ:実はボク、サンフランシスコに不動産を持ってるのですが、その物件を教会に貸してるんです。
ボク:何ですって?! 教会に? 真宗のあなたが?
カレ:ええ、まあ。
ボク:日本人の教会ですか?
カレ:いえ、黒人の教会です。
ボク:えー! 日本人で真宗のあなたが黒人教会に物件を貸す?! それはスゴイ!
彼らはどんな人たちなんですか?
カレ:とても素晴らしい人たちです。貧しいにもかかわらず、困った人たちに手を差し伸べ、
ホームレスの人たちに食事や住居を提供するなど、本当に良い人たちですよ。
ボク:ん~、そんなんで家賃をちゃんと払って貰えてますか??
カレ:(頭をかきながら)それがぁ。。ここ6カ月ほど滞納してるんです。
ボク:えー! やっぱりそうなっちゃったんだ。大変だ そりゃ。じゃどうするんですか?
カレ:いやぁ、分かんないですぇ。とにかく良い人たちなので追い出したくないんですよ。
ボク:いや本当に素晴らしい! 武曽さん、あなたは神さまに本当に祝されてますよ!
カレ:いえ、僕なんかとても。初めて古林さんにお会いして、あなたが困っている人を助けた
りしてるのをお聞きした際に、「何だか彼らと似た事をしてる人がいるな~」と思った
んです。しかもこんな近所で日本人の方がそうしてるのを聞いて驚きましたね。
そう言えば、彼と初めて会って法人登記や税法上の説明を受けた際、法人化に必要な情報、つまり教会と私個人の具体的活動を色々聞かれたことがあった。彼はそれを覚えていたのだ。
そして彼は、「だから私は、『この人だけは何としても助けたい』と思ったんです」とポツリ。
ああ何と恐れ多い評価だろうか。思わず天を見上げ涙ぐんだ。あの頃の教会は何もまだ整っていない状態であるにもかかわらず、無料で葬式の奉仕をしたり(5話参照)、ホームレスの日本人男性が転がり込んで来たり、教会予算を賄うために新しい鮨屋で働き始めたりとバタバタしていた。何も実がならない鬱陶しい日が続いた。しかしその全てはこのためだったのだ。人に仕えることが神に仕えることであることを今さらながら思い知った。ここで前回の1/10献金の“使い道“問答について もう一つ重要なことを思い出す。それは
「その年の収穫の十分の一を全部持ち出し、あなたの町囲みのうちに置いておかなければならない。あなたのうちにあって相続地の割り当てのないレビ人や、あなたの町囲みのうちにいる在留異国人や、みなしごや、やもめは来て、食べ、満ち足りるであろう。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」 申命記14章28-29節
ことだ。献金というのは決して団体の維持や職員の給料だけに使われるべきものではない。人を助けるためのものでもあるのだ。そして喜んで捧げる者を神は豊かに祝してくださる。 1-18-2020
イエスさまへ、
私の価値や存在意義を揺るがそうとする人に対して、
常に主の愛を思い出し、穏やかに応答できるようにお助け下さい。
「 指導者松井 」
昨年の引退以来、原監督はじめ白石興二郎オーナーはもちろん、何かと物議をかもし出す渡辺恒雄球団会長までが“巨人ぐるみ”で松井氏にラブコールを送り続けている。 目的はただ一つ、彼に指導者として戻って来てくれというわけだ。
松井氏に対する指導者への期待は今に始まったことではない。ボヤキで有名な野村克也氏は「将来は監督になれる器だ 」と絶賛していたし、松井氏がヤンキースに加入した2003年から5年間を共に戦った、米大リーグ機構副会長でヤンキース前監督のジョー・トーリ氏 も「 彼はチームで何をすべきかを理解できる。いいコーチになれる 」と評価している。
そんな彼の石川県星稜高校時代の指導者である同校野球部名誉監督の山下智茂さんは常々、「人間性を豊かにし、精神力と忍耐力を同時に高めるための指導法がある。」と言っていたが、何かと言えば意外にもそれは「読書」。だから野球部員にいつも「本を読め」と指導し、定期的に本を生徒らに手渡す。それをまともに受けて立ったのが松井選手だった。過酷な野球練習の後も、片道1時間の電車通学を利用し、彼は
本を読み続けた。各種教養書、福沢諭吉、二宮尊徳、アリストテレス等々。「松井君は 僕が知る中で最も本を読んだ高校生です」と山下さんは振り返る。 なるほど
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、
教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」
2テモテへの手紙3章16節
と、思わずひざを打った。実は聖書/バイブルとは、ギリシャ語で「本」の意味である。さらに日本の国語辞典を引けば、聖書とは「その分野で最も重要かつ権威ある書物 」とある。何のことはない、聖書はまさに指導者を養成するためにある「本/バイブル」なのだ。日本人よ、聖書を読もう!
2013-2-2
さまざまな試練に会うときは、
それをこの上もない喜びと思いなさい。
信仰がためされると忍耐が生じるということを、
あなたがたは知っているからです。
ヤコブの手紙1章2⁻3節
第20話「アメリカで教会を法人化する」Part 4 武曽氏との問答②
武曽氏にはそれからも用事があるたび彼のオフィスで伝道した。ある時、彼は「ところで古林さんの教会では献金はどうなってますか?信者さんたちはどれくらい教会に寄付してるのでしょう?」と聞いてきた。
ボク:「え、と言いますと??」
カレ:「実は私は門徒なので何十年も寺に金を払ってきたのですが、
家族一人当たり300ドル、妻と息子2人合わせて1200ドル
ですよ!
いい加減高すぎるので、息子たちは手も離れたことだし
最近は彼らの分を払うのをやめましたが、それでも600ドルです。
教会でもそんなことやってるんですか?」
ボク:「ガッハッハ!!そんなに払っていただけたら嬉しいなあ!
道理で真宗さんはリトルトーキョーのど真ん中に大きな寺を
お持ちな分けだ!ウチにそんなことする人いませんよ。
そもそも献金は無理やりやらせることじゃない。
まあ聖書には一応 収入の10%というのがあり、私も長らく
そうして来ましたが、無理やりすることではありません。」
カレ:「10%!それ知ってます!
それってタックス(Tax/税金)なんですよね?
あれって良いアイデアですよね。
団体を運営するには合理的だなぁ。」
さすが会計士。着眼点が違う。などと感心したが、
ボク:「よくご存じですね。
厳密にはタックスと言うより祭儀の運営費に近いです。
規定が明文化された頃イスラエルはまだセオクラシー
(Theocracy/神権政治)だったので誰かがややこしい祭儀を
色々やらないといけない。
それで選ばれたのがレビ人という人たちで、
彼らを養うために10%が使われました。
今はもうイエスが十字架で犠牲になったので祭儀は不要となり、
10%はやや形式的です。」
カレ:「ほう?」
ボク:「以前 私は「聖書を“キリストを中心にして読む“よう勧めましたが、
実は献金も”十字架にかかり全て
を捧げたキリストを表す”もので、イエスが私たちの罪を赦す
ためにご自分の命を捧げられたので、
彼を救い主として心から信じた者もまた彼に大事なもの(金、時間など)
を喜んで捧げることが出来るんです。
なので無理に献金する(させる)必要はないし、
仮にしても負担になるだけです。
言い換えれば、献金や奉仕をしたくない人は、まだイエスが
彼らの罪のために死んだことが曖昧にしか分かっておらず、
心から信じてない。結果あなたのように“無理やり頑張る宗教“に
なっちゃう。逆に確信がある人にはイエスの力である聖霊が働く
ので喜んで捧げることが出来る。今の私がそうです。
でなきゃ無給で牧師なんかしようとしませんよ(笑)!」
カレ:「いやぁ本当に古林さんはスゴイ。
僕も人のためにやってるけど金も貰ってるからなぁ。。」
ボク:「いえ、スゴイのはイエスさまです。私を救うために死なれた上に、
しかも彼のために働けるチャンスを下さった。
これを“めぐみ“と言います。私が頑張ってこうなったんじゃない。
以前の私は人を人とも思わないヒドイ人間でした。いや、
今も罪人です。でもそのような者を神は愛して下さるので、
かえって私は喜んで奉仕が出来るんです。」
まさか献金の話から始まり私個人に関する恵みの証しが出来るとは思わなかった。真剣に聞いておられた武曽氏の表情が印象的だった。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
エペソ人への手紙2章8‐9節
そしてこの後、彼の口から驚くべき事実を聞くことになる。
つづく。。。 1-11-2020
第62話「 零戦の栄光 」
所沢にて「日本の航空技術100年展」 が開催中であるが、最大の目玉は、1944年に サイパン島で米海兵隊に無傷で鹵獲された「零式艦上戦闘機/ゼロ戦」の特別展示である。 米航空博物館所蔵の同機は、製造当時のエンジンを搭載したものとしては「世界で現存する 唯一飛行可能なゼロ戦」として知られ、今回が3度目の来日となり、昨年の12月にエンジン始動見学会が行われた際には数百人の航空ファンから歓声が上がった。
今なお日本人の心を惹きつけて止まないゼロ戦。その美しいフォルムからは華やかさよりも 枯山水の様なわびさびと、落ち武者の様な哀愁が漂う。戦争中約10000機製造された零戦が、真珠湾攻撃の1年半前に初めて実戦配備された当時、その速度、運動性、火力、航続距離などにおいて「奇跡の名機」と呼ばれ、欧米の航空専門家らは「この様な戦闘機は航空力学的にありえない。」とまで言わしめた。 世界中でベストセラーとなった「大空のサムライ」の著者、坂井三郎や、「最強の零戦パイロット」と評された 撃墜王、岩本徹三などの英雄譚に事欠かないのもこの機の特徴であろう。
しかし何と言っても零戦を零戦たらしめているのは、「日本にとっての零戦は戦争の運命の 象徴であり、その戦闘機が優勢であった時は日本の国民もまた幸福だった」と、かつて英航空戦史家 W・グリーンが語ったとおり、その栄光の盛衰ではなかろうか。
実は聖書にはこれとよく似た人物が出てくる。ずばりキリストだ。彼が登場する700年前に
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむける ほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。
誠に、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。
だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。」
イザヤ書53章3-4節
と、彼の将来についての預言があるが、何とそれは栄光ある神でありながら、人類の罪を背負って “殺されるために生まれてくる“ という恐るべきものであった。そして彼は事実その預言どおり壮絶に散った。しかし、彼はゼロ戦と違って3日後に復活したゆえに、単なる英雄譚や過去の栄光ではない、今も我々を救う「ゴスペル/福音」なのである。
2013-1-13
第19話「アメリカで教会を法人化する」Part 3 武曽氏との問答
「私は浄土真宗なんですよ。」と切り出した武曽氏に、「と言うことは”他力“ですよね?」と返すと「え!? 他力をご存じですか?」と驚かれた。「もちろんです。他力とは、己の力ではなく”他の力(阿弥陀仏)”に頼ることですが、実はコレ聖書で言ってることで、”他“とはキリストのことなんです。」彼は「そうなんですか?!」と驚き身を乗り出してきた。
私「ええ。我々はみな罪人なので、己の力で悟ることなど無理。
イエスの聖霊の力でやるということですね。
特に新約聖書に詳述されてます。」
彼「何だか真宗と似てるなぁ。。。」
私「はい。似てます。
実は親鸞の師である法然の妻は秦氏だと言われてますが、
彼らは古代からユダヤ民族と関わりのあった渡来集団で、
日本に大きな影響を与えました。例えば島津家、
そして西郷の「敬天愛人」や、土佐の長曾我部、能の世阿弥などなど。
したがって法然も新約聖書から影響を受けた可能性がある。」
彼「いや初めて聞きました。不勉強でスイマセン。
興味深いですねぇ。。。」
私「それだけじゃありません。
聖書は世界最古の本なので世界中の様々な宗教や哲学、
法律や文化に影響を与えました。そして聖書が伝わった
地域では土着の文化や宗教を背景に人々が理解したので、
似たような宗教が生まれることになる。これを「シンクレティズム」
と言い“複数宗教混合主義”とも言えるもので、特に日本で
顕著ですね。日本仏教は人類史的に新しいので。
空海の”真言宗“ともなるとモロに「真の言葉」ですからね。
つまり「イエスの言葉」であり、ヨハネによる福音書1章の世界です。
だから当然 似てるし、と言うより聖書が原本であり、
諸宗教が聖書を真似てますね。」
などと この後も福音を語りまくり、いつのまにか教会法人化の話から脱線し個人伝道大会になっちゃった。横では百合子さんもニコニコして聞いておられ大いに盛り上がる。そうすると武曽氏は急に「実は私、聖書を持ってるんです。ほら。」と後ろの棚から聖書を持ち出してきた。「えっ、何ですって!」見ると英語のNIV(新国際訳)だ。
彼「でも内容が難しいんですよ。英語だからかな。。。」
私「そうかも知れませんが、聖書を文学として読むと難解です。
コツは「キリストを中心に読む」こと。
まず新約のマルコの福音書から読むと分かりやすいですよ。
イエスの感情の描写がよく出てるので。」
彼は「なるほど、そうでしたか」と頷き、「ぜひもっと聖書を知りたい」と言われた。ビックリ!今日は法律など堅い話になると思い恐る恐るここへ来たが、又しても神の不思議な導きにより祝福の時となった。
「私は心を尽くして主に感謝します。
あなたの奇しいわざを余すことなく語り告げます。」詩篇9篇1節
12-1-2019
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