Search Bloguru posts

freespace

南加聖書教会ホームページ: http://wdx.socalbiblechurch.com/ 南加聖書教会フェイスブック: https://www.facebook.com/SoCalBibleChurch/

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA  第8話

thread
牧師、バイカー、鮨職人として。...
第8話「独立伝道開始」

  めでたく茂子さんは救われたが予想通り色々問題が出て来た。入居施設へは遠く毎週の礼拝への出席は叶わない。しかも彼女は単独では外出できず常にトムさんが付き添わないといけない。無理して来れたとしても献金や奉仕が出来るわけではないし、洗礼するにも先に学びをしないといけない。当時の私は小さな教会で伝道師をしていたのでとりあえず主任牧師に事の次第を話したところ、彼は茂子さんの救いを喜ぶどころか「その施設にはチャプレンがいるはずだからその人に任せろ」と言う。牧師というのは”自分の教会へ来てくれる人”には優しいがそうでない人には冷淡な場合が多い。

いっぽう、その施設のチャプレンは常駐しておらず、礼拝もなく、仕方なくトムさんは周辺の日系教会の門を叩き始めた。実は施設はリトルトーキョーの近所なので周辺に10件以上の日系教会があるが、どこも日曜の朝以外は空っぽ。50キロ離れたOCで日曜礼拝を守っている彼は誰とも接触できなかった。さらに私自身は鮨屋をクビになったのをきっかけに1日十数時間かけて神学生として猛勉強中で余裕がなく、何も出来ないまま時間が過ぎ焦りは募った。

しかしある日、ひょんなことからモヤモヤを吹き飛ばす奇蹟が起こる。何と私のオヤジが約50年前にテキサス州のダラス神学校で学んでいた時の“日本人クラスメート“がこのLA在住であることが分かった。リトルトーキョー近くのLAバプテスト教会引退牧師の山田和明師である。親父より一回り上の80過ぎの見知らぬ爺さん。会いに行ったら私には初対面だが彼には”再会“で、私がダラスで生まれた時、彼は私を腕に抱いてくれたそうだが私はそのことを全く知らなかった。その時の赤子が今ガラの悪いオッサンになって50年ぶりに突然バイクで現れたわけだが、彼は大声で「神よ。あの時の赤ちゃんが今、目の前に主の僕として現れてくれたことを感謝します!」と主を称え、2人で神の不思議な導きを分かち合えたのだった。

彼に今回のシゲコさんを巡る教会の問題などを打ち明け これからの進路などについて聞いたところ、「君は単立教会の出身だろ?じゃあ“単立の神学”を継ぐべきじゃないのか?!」とはっきり言われた。大きな衝撃を受けた。当時の私は伝道師として小さな教会の”お手伝い“であり、独立して開拓する気など全くなく、その度胸もなく、ましてや日本にいたころ私の両親は自宅を使って開拓教会を始めたために散々な目に会い言わば「単立教会なんかこりごり」だった。それにどうやってアメリカで教会を一から始めるのだろうか?

などと一瞬考えたが、次の瞬間、怒涛のような聖霊の波動を感じ「そうか!」と我に返った。困っている人が目の前にいるのに何もしない牧師、施設の名ばかりで役に立たないシステム、いつも空き家の教会。これらの問題を解決するにはまず自分が動けばよい。なのに私は矢面に立つことを恐れ中途半端な働きしかしていなかった。考えてみれば私は教会から給料を貰わず自分の経費で動いているので端からもっと自由に行動できたのだ。今更ながら自分の器の小ささと不信仰を恥じた。「独立しよう!」 腹は決まった。これからは“教会のボランティア”ではなく教会の矢面に立ち、十字架を担ぎ、持てる全てを使って主にお仕えしよう。

「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」
                     ヨハネ15章16節
                           つづく。。。

People Who Wowed This Post

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA  第7話

thread
牧師、バイカー、鮨職人として。...

第7話「トム、そして茂子さん」

その後、ドーソンの紹介で彼のクリスチャン友だちである日系3世のトム・オオシタさん(当時65歳)に会った。彼のお母さんであるシゲコ・オオシタ(大下茂子)さんが84歳で痴呆症を患い、おまけに足が悪いので施設に入院中で、まだ救われていないと言う。トムさんが伝道し始めた矢先に茂子さんは病気になり、困ったことに英語をすっかり忘れてしまい日本語しか話せなくなってしまった!実は茂子さんは、私と同じ米国生まれで日本育ち、再び米国へ戻った“帰米二世”なので、若い頃は日本語で生活していた。おかげで英語しか話せないトムさんは伝道どころか自身の母との会話が出来なくなった。

1週間後、トムと2人でLAの老舗の引退者施設「Keiro(敬老) Home」を訪れ彼女と対面。この施設は3つの部門からなり、①介護が不要な人、②割と元気だが要介護・要医療の人、③重篤で入院状態の人 に分かれており、①の人は自由に生活し、②と③の人は厳重な監視下に置かれ、茂子さんは②だった。自殺や事故防止のためか小さな窓が天井近くに一つだけの狭く薄暗い部屋で彼女はポツリと座っていた。変な”闖入者“が来たからか予想通り彼女は怪訝な顔でボーっと私を見てる。トムに紹介されても反応なし。どうしようもない絶望感に襲われた。

かつて神学と一緒にカウンセリングも勉強したものの、当時の私は若く老人伝道や介護など全く未経験。まして20年ぶりにミニストリーに復帰したばかりの私に出来ることなど何もない。重い空気が流れ、トムは横で刺すような目で私を睨んでる。こんな若造に何が出来るかと言わんばかりに。私は心の中で神さまに「タスケテー!」と叫びつつ、「四つの法則」を示しながら恐る恐る福音を語り、最後に「イエスさまは茂子さんを愛してますよ。一緒にに祈りませんか」と尋ねた。すると「その話は以前トムから何となく聞いたことがある。」と意外な答えが。そして「私は教会へは行かない!」とキッパリと言った!「え?!」驚く私たちを尻目に彼女は堰を切ったように語り出した。

実は以前、彼女が二人部屋にいた時、同室の人のネックレスが無くなり、何と茂子さんが犯人にされてしまい、しかもトムさんはそれを真に受けて相手の人に弁償までしてしまったと言う。「何でそんなことしたの!私がそんなことする分けないでしょ!!」とトムさんに対し烈火のごとく怒ったが、周りの人は何もせず、自分をこの個室へ移送しただけで、それ以来、誰にも理解してもらえずいつも一人で泣いていたと言う。

そうかあ!!だから彼女は心を閉ざし、英語を話せなくなったんや!とたんにメラメラと霊の炎が私のうちに燃え出した。そして「茂子さん!良く分かったよ!今まで辛かったね!独りぼっちだったんだよね!?でも もう大丈夫だよ!ボクはあなたが盗みなんてしないことは良く分かってるよ。そしてね、何よりもイエスさまはご存じだよ!彼はね、皆に裏切られて、十字架にかかったんだよ!でもね。神さまだからよみがえったんだよ!そして皆の罪を赦してくれたんだよ!ボクの罪も茂子さんの罪も。だからもう前向いて行こうよ!イエスさまを信じましょう!」

とまあ私は彼女がちゃんと理解したのかどうかも分からないまま調子に乗ってまくしたてちゃったけど、何と「そうなの?」と彼女は聞き返してきた!「そうだよ!!じゃ 一緒にイエスさまに祈ろうね?」「はい。」え、マジで?と彼女の素直さにビックリ。共に祈った。彼女はイエスを受け入れた。喜びに包まれると同時に、私は軽率だったトムを厳しく叱責もした。奇蹟の街道が幕を開けた。

「闇の中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
 死の陰の地に住んでいた者たちの上に、光が照った。」 
             イザヤ書9章2節       つづく。。。

People Who Wowed This Post

もの言う牧師のエッセー 傑作選    

thread
もの言う牧師のエッセー 傑作選...
第38話 ロンドン5輪小話 「 ブルーサンダー 」

   屋根の上の地対空ミサイル、テムズ川に浮かぶヘリコプター空母。オリンピック前夜のロンドンはまさに厳戒態勢だ。第二次大戦以来と言われるその物々しい防衛体制を見て、1983年のハリウッド映画「ブルーサンダー」を思い出した。

映画のストーリーは、1984年のロス五輪に向けてのテロ対策と警備強化を名目に、カリフォルニア州当局が、陸軍と合同で秘密裏に攻撃ヘリコプター“ブルーサンダー“を開発しLAPD(ロサンゼルス市警察) に配備する、というものであった。

この武装ヘリの特徴は、防弾使用の機体を始め、赤外線暗視装置、室内の人物をカーテン越しに撮影可能なサーモグラフカメラ、飛行時のローター音を消す消音技術など色々あるが、一番の特徴は機首下部のガトリング砲の照準がパイロットの視線に連動して砲塔が追尾する”ディレクターサイト方式”となっていることである。つまり人の目線に合わせて砲が動くわけだが、驚くべきことにこれらの “未来技術” は今日では “SF” ではなく全て実現しており、前述のサイト方式も、同様の技術がゲーム機Xbox360などで見受けられる。

実に人間の持つ創造性や知恵は素晴らしく進歩するが、聖書は意外に“人間の知恵” に関しては冷静だ。

「人は暗黒の果てまでも行き、死の闇の奥底をも究めて鉱石を捜す。猛禽もその道を知らず、はげ鷹の目すら、それを見つけることはできない。(中略)だが人は、硬い岩にまで手を伸ばし、山を基から掘り返す。岩を切り裂いて進み、価値あるものを見落とすことはない。(中略)では、知恵はどこに見いだされるのか、分別はどこにあるのか。その道を知っているのは神。神こそ、その場所を知っておられる。」
                ヨブ記28章:共同訳

とある。何のことはない。人間の知恵がすごいのは、知恵の根源である神が授けてくれたのだから当然だと言っているのだ。神 を恐れよう。
                        2012-7-19

People Who Wowed This Post

もの言う牧師のエッセー 傑作選 

thread
もの言う牧師のエッセー 傑作選...
第31話「 これぞスポーツマンシップ! 」

     6月5日に行われたオハイオ州の陸上競技大会女子3200m決勝レースにおいて凄いことが起こった。事の起こりはゴール約15m手前で走者の一人であるアーデン・マクマス選手が力尽き倒れてしまった時に始まる。

するとその時、すぐ後ろを走っていたライバルのメーガン・ボーゲル選手が素早く駆け寄り、なんと、倒れた“ライバル”であるアーデンさん抱き起こし、さらに彼女に肩を貸し、一緒にゴールを目指したのだ。

これは決して“草レース“ではなく州の公式戦のしかも決勝である。普通なら少しでも高い順位目指してゴールまで走り続けるに違いない。しかしメーガンさんのとった驚くべき行動に会場の全観衆は感動し、割れんばかりの拍手喝采が巻き起こった。そして彼女たちが一歩一歩ゴールに近づくにつれて拍手の音は大きくなっていく。

しかしこのことはそれだけでは終わらなかった。2人がゴールライン手前まで来た時、なんとメーガンさんはアーデンさんの体を押して先にゴールさせたのだ。通常は選手が他の選手を助けた場合、2人ともレース失格となるところだが、あまりにも感動的な話のため大会関係者らは彼女らのレース参加と順位を認定したほどである。

助けられたアーデンさんは言う。「頭の中が真っ暗になって倒れてしまった時、そこに彼女がいた。そして『あなたが先に行きなさい』と言ってくれた」と。キリスト曰く、

「恵みの時に、わたしはあなたに答え、
 救いの日にあなたを助けた。わたしはあなたを見守る。」
             イザヤ書49章8節  

と。我々の日々の生活において苦しい時、倒れてしまった時、神であるキリストは”そこにいて“助けて下さり、前へと押し出してくださる。 この”救い主“であるキリストを信頼しよう。          2012-6‐14

People Who Wowed This Post

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA

thread
牧師、バイカー、鮨職人として。...
第6話「鮨屋にて。ドーソン登場」

    日系3世ドーソン・イシノ。今から10年前、彼はふらりと鮨屋にやって来た。まさか俺たちが主に在る兄弟になろうとは、そして共にミッションを10年に渡って続けていくことになろうとは、まだ知る由もなかった。当時彼は60歳弱で、私が45歳。一回り上の兄貴みたいな存在だが、今振り返ると、これは教会設立に関して主が下さったギフトだったのだとハッキリ確信できる。

カウンターに座った彼は、「何か健康に良い物が欲しい」と言う。聞けば健康が思わしくなく、医者に日本食を勧められたそうな。50年代から70年代にかけて「ジャップ」と罵られ差別された世代の日系人は、日本語や日本文化を学ぶのを避ける人が多く、その結果、日本食を食べない人も多い。彼は寿司を食べるのもこれが初めてだという。“初心者“でも食べやすいウナギなどを勧めたらペロっと平らげ、色々話が盛り上がった。そして私が日本人伝道師(当時)であることを告げたところ、「何!? 君はクリスチャンでしかも日本語が喋れるのか!?」と身を乗り出して来た。「当り前じゃないか。俺は日本人だよ。」と答えると、実はどうしても頼みたいことがあると言う。

彼の年輩のクリスチャンの親友でトムさんという人に80代の未信者のお母さんがいるのだが、日本語しか話せないので、日本語で福音を説明し伝道して欲しいとのこと。「いいですよ。」と快諾したものの、彼は「実は。。」と言葉を濁し、「彼女はLAの施設にいるんだよ。それでも行ってくれるかな?」と申し訳なさそうに聞いてきた。

ここはディズニーランドや大谷翔平クンが所属するアナハイムエンジェルスで有名なOC(Orange County:オレンジ郡)なので往復100キロ。しかもLAとOCを結ぶフリーウェー5号線は大動脈でいつも渋滞しており下手すれば何時間もかかる“一日仕事“だ。それに宣教は一日で終わるものではなく継続して行うものだ。果たして?などと一瞬、脳裏をかすめたが「やろう!」と即決。「そうか!やってくれるか!」とドーソン。すぐにこの店を再訪することを約束し「さっそくこのことをトムに知らせる」と言って喜び勇んで帰って行った。が、この後とんでもないことが起こる。

待てど暮らせど一カ月たっても彼は戻って来なかった。実は電話番号を貰うのを忘れたので連絡しようがない。そして、「ミッキーさん、この店もう閉めるから。」と店のオーナーから突然の知らせが(当エッセー3話参照)。「え?!いつ?」「2週間後。」 えー!じゃドーソンは?トムさんは?お母さんは? モヤモヤする中ついに閉店日の前日を迎えた。「もう会えないかも知れないが、主に全てを委ねます。」と祈っていたら、「キター!!」 その日の午後ついに彼がやって来た。思わず「アンタ今まで何やってたの?!」と聞くと「いやぁゴメンね。体を壊して療養してたんだ。え?明日に閉店??えー?!スゴイね!神さまが僕を今日ここに送ってくれたんだね!じゃあ明日も来るよ!息子を連れて!」と言って“最終日“にもやって来た!大学生の息子さんを連れて。ついに彼とミッションが始まった。

「あなたの道を主に委ねよ。主に信頼せよ。
 主が成し遂げてくださる。」         詩篇37篇5節

People Who Wowed This Post

牧師、バイカー、鮨職人として シェア from LA

thread
牧師、バイカー、鮨職人として ...
第5話「無料葬式」

    まだ教会を始めたばかりで宗教法人を取得する前のこと。出来たばかりの教会の宣伝の意味も込めて地元の日系新聞で奏楽者やボランティアを募集したことがあった。で、かかって来た電話が、「あの~、ミッキー先生でいらっしゃいますかぁ?」と頼りない感じの日本人の初老のオッサンの声。「はい。そうですけど。。」と応じると、「あの~、ボクの母さんが94歳で先日 死んだんですけどぉ、先生、すいませんがタダで葬式してもらえませんかね~。ボクぅ、お金ないんです。実はホームレスで仕事もなくて、今は彼女の家に転がり込んでる次第でして。。。」 教会を運営してると こんなのばっか。以前の私ならともかく今はイエスさまにお仕えする身。やらな しゃーない。場所を聞いたところ、何と往復100キロはある。もちろんガソリン代もこっち持ち。

聞いたところ、すでに火葬して骨壺だけあり、LAの とある場所で埋葬される手続きなっているのだが、埋葬の際に葬式を行い、その後すぐにその骨壺を”埋める“とのこと。と言うことは野外であり、夏の猛暑の中、私は真っ黒のガウンを着て炎天下で司式せねばならない。でもブツブツぼやくことは控え、神を信頼した。なぜなら、こんな”アホ“なことは神の御心でなけれ起きないからだ。そして、これが私にとって初めての葬式の奉仕となった。奏楽用のMidiキーボードとその台、聖書やガウンを車に積み込み、祈りつつ現場に向かい初めて“オッサン“と対面。もちろん彼はキリスト者ではなく、彼の母が教会へ通っていた時に”運転手“をしてたので礼拝に出ていただけとのこと。

列席者は”オッサン”と彼の若い彼女と彼女のお姉さん、奉仕を手伝ってくれた私の教会のメンバーの男性と私の5人だけ。墓地は東京ドームが数個入るほどの巨大な場所。雲一つない真夏の青空。水を持ってくるのを忘れ、喉がカラカラになるなかキーボードを設置し「アメージンググレース」を全員で賛美。続いて詩篇23篇の朗読と説教、ほどなく終了した。「先生、ありがとうございました。金を工面したら真っ先に献金します。」などと言っていたが、彼が教会に来ることは一度もなかった。よくある話だ。

何でこんな事が起こったのかとしばらく思い巡らしていたが、数か月後にその理由がはっきりした。教会の法人化である。アメリカで教会を法人化するには、まずビジネスライセンスとNPO(非営利団体)の許可をもらう。それは容易いが問題は献金に関する「非課税認可」だ。認可するのは市や州政府ではなくIRS(国税庁)であり、首都ワシントンDCにある連邦政府だ。最近の日本でもそうだが、NPOの休眠枠がヤクザや詐欺師に使われることが多く、今は認可を得るのが相当難しい。こちらが正当な教会であることを証明させるために様々な質問があったが、何とそのうちの一つが「葬式の経験の有無」であった。まだある。その半年後、ある方から大きな葬式を依頼されたが、”オッサンの母さん”の葬式時の式順などが役立ち大いに感謝された。全てに意味があった。アホではなく収穫となった。

「こういうわけですから、兄弟たち。
 主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。
 農夫は、大地の貴重な実りを、秋の雨や春の雨が降るまで、
 耐え忍んで待っています。」  ヤコブの手紙5章7節

葬式は無事に行われ、教会の法人化も出来たが、まだ大きな仕事が残っている。”オッサン”の救いだ。忍耐しつつ祈る日々は続く。貴重な実りを期待しつつ。     5-16-2019

People Who Wowed This Post

牧師、バイカー、そして鮨職人。。。シェア from LA

thread
牧師、バイカー、そして鮨職人。...
第4話「ディズニー・ホール前にて。ジョセフ」

    私は建築物を見るのが好きだ。高層ビルや巨大な橋、古い家屋などなど。ここLAには、映画やミュージックビデオに出てくる名所が満載で、ロサンゼルス川にかかる一丁目の橋や、そこからのダウンタウンの眺め、ジェームズ・ディーンで有名なグリフィスス・パークや、映画“ブレードランナー”で知られるブラッドベリー・ビルなど見てるだけで楽しくなる。辛い時、悲しい時、ガックリ来た時、よくそれらの周辺をバイクで流したり、ブラブラ歩いたりする。 

6年ほど前のクリスマスシーズンも、教会の状況は本当に厳しかった。開拓中とは言え誰も来ない日が多くあり、その日もかなり気が落ち込んでいた。ふとディズニー・ホールを見たくなりダウンタウンまで出かけた。同館がオープンした2003年以前、この辺りはスラム同然で、ゴミゴミして暗く汚かったが全く生まれ変わった。

トコトコ歩いて行くと、おー出てきた、銀びかりする巨大ホールが。「ええなあ。」さすが世界百大建築物に入るだけのことはある などと見上げてると、ちょうどそこに信号待ちをしている地味な感じの丸顔のおっちゃん(たぶん私ぐらいの歳)がいたので、「すいません。写真撮ってもらえませんか?」と尋ねた。「いいですよ。」と心よく応じてくれた。「いやあ、この辺りもずいぶん変わったね~」と話しかけると、「そうだね。以前この辺りに住んでたんだけど、全く変わっちゃった。」 彼の名はジョセフ。すでに信号は青になったがオッサン2人で立ち話が始まった。

  ボク:「え? 以前住んでたってことは、今日はたまたま?」
ジョセフ:「うん。さっきそこの教会の礼拝へ行ってたんだ。
      引っ越す以前に行ってた教会。懐かしくてね。
      ちょっとブラブラしてたんだよ。」
  ボク:「え? 礼拝? 私は実はパスター(牧師)です。
      午後まで礼拝してました。」
ジョセフ:「え? アンタもクリスチャン? いいね~。」
と彼は笑ったが、と突然、
     「でもあいつらはダメだ!あいつらはバカなんだ!」 
などと言い出した。
  ボク:「あいつらって??」
ジョセフ:「無神論主義者たちだよ!
      何かあればいつもクリスチャンをバカにしやがって!
      あいつらみんな地獄行きなんだよ!」
  ボク:「いや そりゃ違うだろ?」 
と思わず彼の言葉を遮った私。
ジョセフ:「え??」 と怪訝な顔で私を見つめる彼。
  ボク:「そうじゃない。俺たちも皆バカだったんだ。
      彼らと何も変わらないよ。
      俺たちも滅ぶところだったんだよ。
      でもイエスさまが救ってくれた。
      だから俺たちは福音を辛抱強く語り続けないと
      いけないんだよ。
      俺はそのために働いてる。」
彼は少し考えていたが、やがて向き直り、
ジョセフ:「アンタの言う通りだよ。俺が間違ってた。
      俺たち皆バカだったけど、
      イエスさまが救ってくれた!」
  ボク:「そうとも!AMEN!」
ジョセフ:「アンタに会えて良かったよ。じゃあな。
      God bless you(神の祝福があるように)」
  ボク:「俺もさ。良かったよ。気ぃ付けてな。
      God bless you too(あなたにも神の祝福があるように)」
がっちり握手をして別れた。ここへ来るまでのモヤモヤと打って変わった清々しい気持ちを主に感謝しつつ、

「彼らが聞いても、聞かなくても、あなたはわたしの言葉を
 彼らに語れ。」    エゼキエル2章7節

の言葉を思いつつ家路についた。“もの言う牧師”である私の真骨頂かも知れないが、ポイントは2つある。
私がコテンパンに自分の無力に打ちのめされ、主の前に砕かれていたこと。そして、ジョセフとの「御霊の一致」である。もし彼があの時、イエスに焦点を合わすことが出来なければ、際限のない議論になっていたかも知れない。宗派や教義、それぞれの思い。しかしそれは、しょせん宗教心を通して自分の欲望を 満たす行為でしかなく、一致どころか無益な闘争をもたらす。イエスを信じることが唯一の道なのだ。
                   5-1-2019

People Who Wowed This Post

牧師、バイカー、鮨職人として。。。シェア from LA

thread
牧師、バイカー、鮨職人として。...
第3話「鮨屋にて。デイブのボスが。。。」

   その日もデイブはやって来た。「調子どう?」といつも通り聞いてみる。「ボチボチだね。俺はもう大丈夫だよ。」「そうだね。イエスさまはいつも君を愛してるんだよ。」「そうだな。感謝。」 と答える彼はすっかり大丈夫そうだ。 改めて心の中で神さまに感謝する。

しばらくして彼が鮨を3オーダーほどつまんだところで彼の携帯が鳴った。
デイブ:「はい、もしもし。。。え?! 何だって?!! そうか。。。
     分かった。。。」
ボク :「どうした??」
デイブ:「俺のボス(社長)が今さっき死んだ。。。ジョギング中に心臓発作
     で。。。」
ボク :「えー?! デイブのボスって歳取ってる人??」
デイブ:「いやとんでもない。彼はまだ若いよ。40歳そこそこかな。
     すこぶる健康で筋骨隆々、男前でスポーツマン、若くてキレイな
     奥さんとまだ小さな2人の男の子がいるよ。けっこう金持ちで、
     いつもビーチ沿いをジョギングするのが日課だったんだよ。
     その最中に死んだ。。。」
ボク :「何だって!? 信じられん!!」
デイブ:「ああ、全くだ。。。とにかく今日は俺もう帰るわ。」
     と足早に去って行った。

それにしても何と言う悲劇だろうか。先月、彼は婚約者を亡くしたばかりで、今度は彼の社長とは。。。ダビデは、
「ご覧ください。あなたは私の日を手幅ほどにされました。
 私の一生は、あなたの前では、ないのも同然です。まことに、人はみな、
 盛んなときでも、全くむなしいものです。」  詩篇39篇5節

と詠っている。言い得て妙とはこのことだ。人の人生など風前の灯火。いつどうなるか分かったものではない。余談ながら、勤めていたその店もほどなく閉店となった。もともと経営不振だったが、突然スポンサーが降りたらしい。おかげで私もクビになり、生活苦に喘いだ。結局、私がそこに勤めたのはたった1か月半だった。人の命、人の営みや計画が全くアテにならないものであることを思い知らされた。だからこそ、デイブに福音を語れたことは本当に良かった。我々は神を敬い、信頼しないといけないのだ。なぜなら神は、彼を畏れる者を守って下さるから。

あれから10年。人の死による突然の別れと、解雇による生活苦は、私の牧会生活でその後、幾度となく繰り返された。しかし、毎回苦戦を強いられるもののここまで守られてきた。そして思う。「今日やるべきことをやろう」と。「今日も福音を語ろう」と。今日が最後なのかも知れないから。
                        4-18-2019

People Who Wowed This Post

聖書の言葉

thread
聖書の言葉
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。

         ローマ人への手紙9章16節

People Who Wowed This Post

もの言う牧師のエッセー 傑作選

thread
もの言う牧師のエッセー 傑作選
第25話「 LA RIOTS(ロス暴動) 20years Later 」

   早いもので“ロス暴動”から20年が経った。誠に悲しい事件ではあったが、それを記念してNBCニュースに懐かしい人が出ていた。タイタス・マーフィー氏だ。

1992年4月29日、ロドニー・キング事件に関わる4人の白人警官への無罪評決を機に、判決を不服とする主に黒人を中心としたLA市民の怒りが爆発、後に全人種を巻き込む大暴動へと発展する。そして同日午後6時45分、仕事でLA市内を18輪トレーラーで27トンの 土砂を輸送中だった白人男性レジナルド・デニー氏がフローレンスとノルマンディアベニューの交差点でたまたま信号待ちをしていたところ、ストリートギャング”クリップス“の幹部ら 4人を初めとする暴徒によりトラックから引きずり出され、コンクリートブロックでこめかみを殴られたり鉄の塊を頭部に落とされたりなどの暴行を受け血まみれのまま捨て置かれた。

その一部始終をテレビの生中継で見ていた黒人男性マーフィー氏は、その場所が自宅の近所であることに気付くと自宅を飛び出し現場に駆けつけデニー氏を救出、同じく地元から駆けつけたやはり黒人であるボビー・グリーン氏がデニー氏のトラックを運転して病院に向かったのだった。

イエスのたとえ話、敵を救った「良きサマリヤ人」を地で行くこの話に多くのアメリカ人は 混沌と暴力の中で希望を見たに違いない。「俺はただ助けを必要としてる人を助けただけ」とマーフィー氏は言う。

聖書の詩篇46編1節に
「神はわれらの避け所また力なり。悩める時のいと近き助けなり。」文語訳

とあるが、キリストは決して単なる“キリスト教の教祖“でもなく、どこかの先生でもない。 まさに人類の“助け”となるべく十字架にかかって血まみれになるほど我々を愛してくださった「救い主」なのである。  2012-5‐8

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
    Page 64/65
  1. <<
  2. <
  3. 58
  4. 59
  5. 60
  6. 61
  7. 62
  8. 63
  9. 64
  10. 65
  11. >
  12. >>