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合氣道練心館 館長所感集

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 合氣道 練心館道場
(別窓で練心館道場のサイトが開きます)

ブログ、始めました。

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 新年明けましておめでとうございます。

 練心館が創立して、今年で33年目になります。そして、今年の1月で私が二代目館長を継いで丸10年となりました。

 元々、情報機器等の扱いが大の苦手な人間ですが、頑張ってブログなるものを始めようという所存です。皆様、宜しくお願い申し上げます。


 所で、いつもお正月のこの時期になると想い出すのが、「新春禊の行」です。

 30年程前の話になりますが、当時、私は横浜市港南区にある心身統一合氣道の実心館道場(現・実心館合氣道会本部)にお世話になっていました。

 その頃、正月3日の早朝に大勢が集まって、栃木県の鬼怒川に入るという一大イベントが行われていました。それが「新春禊の行」です。

 気温零下何度の中、岸には薄氷が張った川に入るのですが、川から上がると髪の毛から氷柱が生えたり、歩く度にサンダルの裏に河原のゴロゴロした重たい石が一瞬で凍り付いてくっついてきたり、なかなかの荒行だったと思います。

 それも今となっては懐かしい想い出です。

 そしてお正月のその時期、いつも道場で聴いた話が「何故お正月のこの時期に辛い禊の行をするのか?」という話でした。

 禊の行は古代から行われていた行法で、日本最古の記述は記紀神話に書かれたイザナギのお話、「小戸の神業」でしょう。

 火の神を産んだ時の火傷が原因となってイザナミは亡くなってしまい、黄泉国に行ってしまいます。イザナギは妻を追って黄泉国へ行くのですが、そこは恐ろしい世界で、イザナギは命からがら逃げ帰ってきます。すると体中に穢れがこびり付いている事に気付き、川に入って禊をします。この時に多くの神々が産まれました。

 「禊」の語源は、一説によると、「身を削ぐ」から来ているといわれています。まさに、心身にこびり付いた罪穢れを削ぎ落とす、という事でしょう。

 「何故、お正月に禊をするのか?」

 それは勿論、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流し、心身を清めるため、といえるでしょうが、それだけでは駄目なのだ、という事を毎年聞かされました。

 「何故、お正月に禊をするのか?」

 去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流すのは勿論だけど、どうせならついでに、去年の嬉しかった事、楽しかった事、良い事もこの際全てきれいさっぱり洗い流してしまいなさい。いつもそう言われました。

 これには理由があるそうです。

 人間は、過去の良かった事にいつまでもしがみ付いていると、却って、勇気を持って新たな一歩が踏み出せなくなってしまったり、力強く未来を切り開いて行こうという気力が萎えてしまったりするそうです。

 だから、新しい年の初めに禊の行を行って、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、そして嬉しかった事、楽しかった事、良かった事、頑張った事、まとめて全てを洗い流してしまい、生まれたばかりの赤ん坊の様な、真っ白な心と体に立ち帰って、今年もまた頑張るぞ、となるための禊の行なのだそうです。


 残念ながら、練心館では川に入ったり、滝に打たれたり、冷水を被ったり、そういった修行は一切やっていません。

 別にやる必要もないかな・・・?というのが正直な所でしょうか(やっている方々に対しては心より敬意を表したいと思います)。

 合氣道開祖・植芝盛平先生はこう仰っています。

 「合気というものは、小戸の神業であって、禊である。」(『合気神髄』P138)

 これは、正しい合氣道の稽古をしていれば、それが取りも直さず、心身を祓い清め、洗い清める禊の行になっているのだ、という事だと思います。

 また、小戸の神業とは神産みの事であり、正しい合氣道の稽古は、宇宙、世界の生成発展の姿になぞらえる事ができるものだ、という意味ではないかと思います。

 そんな訳で、今年も、正しい合氣道の稽古ができますように・・・。

#ブログ #合気道 #武術 #武道

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