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令和3(2021)年5月19日(水)。
TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』で共演された、星野源さんと新垣結衣さんのご結婚が発表されました。
実は、平成28(2016)年12月のブログに書かせて頂きました通り、当道場は、星野源さん新垣結衣さんのお二人が、社会現象にもなった「恋ダンス」の練習をされた世界で唯一の武道道場です。
更に、星野源さんとは、目に見えない不思議なご縁で結ばれた道場(?)と言っても良いでしょう。
あれから5年近くも経ったことですし、お二人へのお祝いの氣持も込めて、自分にとっても「懐かしく、同時に少し悲しい思い出ともリンクしながら、それでいて楽しく『不思議』な思い出話」として、当時のことを再び書きたいと思いました。
平成28(2016)年のブログと重複する内容もあるとは思いますが、読んで頂けたら幸いです。
http://jp.bloguru.com/renshinkan/286079/2016-12-20
平成28(2016)年9月19日(月・敬老の日)。
テレビ番組制作会社から一本の電話があり、「テレビのロケで道場を使用させて欲しい」という依頼がありました。
その時、まず最初に頭の中を過ったのは、昔、某バラエティー番組の撮影に学校全体で協力したものの、「番組を面白くするため」という口実のもと、校内をメチャクチャにされ、撮影後の原状復帰が大変だったという、知り合いの学校教員から聞かされたボヤキでした。
それ故、当初自分は、過分に警戒心を持って対応をしていましたが、詳しく話を聞くと「TBS秋の新ドラマ撮影の楽屋/控室として、可能ならば是非道場を使わせて頂きたい」「道場の外観や内装に原状復帰できないような手を加えたりすることは全くありませんので、どうかご心配なく」とのことでしたので、「それなら稽古のない日/時間でしたら全然構いませんよ」とこちらも快く承諾しました。
巨匠、黒澤明監督は、映画の撮影のためなら邪魔な家一軒丸ごと解体させた、などといった逸話(都市伝説?)がありますが、考えてみれば今の時代にそんな暴挙が許される筈もなく、自分も少々心配し過ぎだったかな、と今となっては恥ずかしい氣持です。
そして翌日、9月20日(火)の午前中。
『逃げ恥』の制作主任だったWさんが直接道場に下見に来られました。
自分はそれとなく「明日は有名な俳優さんが来る予定なんですか?」と訊いたところ、Wさんは「くれぐれも内緒にして欲しい」という前置きで、新垣結衣さん、星野源さん、宇梶剛士さん、富田靖子さん、石田ゆり子さん、といった錚々たるスターの名前をこっそりと教えてくれました。
自分は驚いて「えぇ~、そんな有名な方々が来られるんですか?何のおもてなしもできませんが、何だか却って恐縮です」と思わず興奮気味な声を出してしまいました。
そして万一、このことがアッという間に世間に広く知れ渡って、ファンの方々が大挙して押し寄せて来ようものなら、ドラマの撮影に悪影響があるばかりでなく、道場まで揉みくちゃにされてしまいそうだなぁと「これは絶対に秘密にしなきゃな・・・」と心に強く思いました。
また一方で、「実は自分・・・、星野源さんには個人的にちょっと思い入れがあるんですよ・・・」と白状し、平成24(2012)年に母がくも膜下出血で倒れて後、長い闘病生活中に、星野源さんも同じ病で倒れられて、ずっと母と共に星野源さんの病気平癒を祈っていた旨をチラッとだけ告白しました。
「ファンだと知られたら変に警戒されてしまうかな?」と思い、「安心して下さい。ご迷惑はお掛けしません。明日は基本的に、自分は二階の住居にいますから」と伝えましたが、「あの星野源さんがうちに来られるのか・・・」と思うと内心では感慨深いものがありました。
因みに、母は1年以上の闘病の末、平成25(2013)年8月初めに帰らぬ人となってしまいましたが(※星野源さんの二度目の手術がちょうどその頃でしたね)、星野源さんはその後見事に復活されました。
平成27(2015)年の大晦日。
元気に回復された星野源さんが『NHK紅白歌合戦』に初出場し、ヒット曲『SUN』を歌っている姿を見た時は、本当に感無量の思いで、不思議と涙が止まりませんでた・・・。
話を元に戻します。
9月21日(水)の朝。
制作主任のWさんを始め、スタッフの方々が続々と集結し始め、道場内に衣装やメイク用の鏡台、休憩用の椅子やテーブル等が設置されました。
お昼前に撮影が一旦休憩に入り、道場の鍵を開けに行った時、ふと、道場内に、普段は扉に隠された状態の大きな鏡があることを、関係者に伝え忘れていたことに氣付きました。
「こちらの鏡だと全身がチェックできて便利ですよ、是非有効に使って下さい、何か困ったことがあれば遠慮なく呼んで下さいね」と言って鏡を開けて立ち去ろうとした時、ちょうど午前中の撮影を終えた新垣結衣さんがやって来られました。
目の前で拝見して驚いたのは、思っていたよりずっと長身だったということでしょうか。
芸能界に疎かった自分は、「ガッキー」という可愛らしい愛称で呼ばれているくらいだから、てっきり小柄で可愛らしいアイドル的な雰囲気の方だと思っていましたが、実際の新垣結衣さんは、その時はジーンズにスニーカー、黄色い半袖のニット(※『逃げ恥』の「森山みくり」の衣装ですね)に、ベージュのストール(※後に第5話で登場しました)を羽織ったカジュアルな服装でしたが、長身に長い脚と小さなお顔で、ファッションモデルのようなスタイルの良さが際立ち、「可愛い」というよりは、むしろ、本当に「美しい」「綺麗な」方だということを思い知らされました。
新垣結衣さんを目の前にして、自分は「あっ、どうも~」しか言えなかったのが未だに心残りです。もう少し気の利いた挨拶ができなかったものか、悔やまれるところです。
新垣結衣さんが休憩に入られてから暫くして、星野源さんがやって来られました。
自分は二階の窓から見ていたのですが、白いミニバンがスーッとエンジン音もなく道場の前で止まり、後部のスライドドアが開くと、黒いキャップにマスク姿の星野源さんが一人で降りて来られ、そのまま迷わずに道場の中に入って行かれました。
練心館道場の小・中・高生の若い生徒さんの中には、親御さんに車で送り迎えしてもらっている子も多く、「何だかいつも見慣れた光景に似ているな・・・」なんて思いながら、「星野源さんが道場の生徒さんだったらどうだろう?上達するかな?・・・」などと妄想してしまう自分が可笑しく、一人でニヤニヤしてしまいました。
因みに、宇梶剛士さん、富田靖子さん、石田ゆり子さんのベテラン勢は隣の「すみれが丘会館(町内会館)」を控室にされていて、新垣結衣さん、星野源さんの若い主演のお二人が、大勢のスタッフと共に道場を控室にされていました。
お昼休憩の時間、道場では、まだ発売前の星野源さんのニューシングル『恋』のイントロ部分とアウトロ部分が何度も何度も繰り返し大音量で流され、そのうち、リズムに合わせて「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ」と掛け声と共に手拍子を打つ音も聞こえてきました。
その時は「いったい何をやってるんだろう?」と不思議に思っていましたが、この疑問は、後にドラマのエンディングを見て解けました。
先程自分が開けた道場の大きな鏡の前で、お二人で「恋ダンス」の練習をされていたのでしょう。
後にこの「恋ダンス」は社会現象と言われる程の大ブームとなりましたが、星野源さんと新垣結衣さん、ご本人たちが「恋ダンス」の練習をされた「武道道場」というのは、間違いなく世界で唯一うちだけだろうと今でも自慢です。
お昼休憩が終わり、午後の撮影がスタートしました。
新垣結衣さんはマスタードイエローのロングスカンツに青いストライプのシャツ(※これも『逃げ恥』の「森山みくり」の衣装ですね)、星野源さんは黒縁のメガネを掛け、灰緑色のパンツに白いシャツ、その上に青いカーディガンの姿(※『逃げ恥』の「津崎平匡」の衣装ですが、この「青いカーディガン」は放送では一度も登場しませんでした)に着替えられ、二人仲良く揃って、颯爽と撮影現場へと向かわれました。
その後、お二人が道場に戻ってくることはありませんでしたが、スタッフの方々が全ての後片付けを終えて撤収するのは、完全に空が暗くなっている頃でした。
その日は早朝の6時台から準備が始まっていたことを考えると、私たちをいつも楽しませてくれるこの「テレビドラマ」というものの制作現場は、本当に大変な仕事なんだな・・・と思い知らされ、頭の下がる思いでした。
10月になり、待ちに待った『逃げるは恥だが役に立つ』の放送が始まりました。
第1話を見て、「不思議な偶然もあるものだな・・・」と驚いたのが、ドラマの中で、新垣結衣さん演じる「森山みくり」と星野源さん演じる「津崎平匡」が契約結婚して同居するマンションの、設定上の架空の住所(※どうやら横浜市にある実在の地名をランダムに組み合わせて創ったようです)が、自分の実家の住所とほぼほぼ同じだったことでした(※番地は違っていましたが、ドラマに登場した番地と現実の実家の番地との距離は、僅か20m程しかありません)。
またドラマでは、「○○○一丁目」と縦に書かれた住所表示の青いプレートが撮影用小道具として電柱に付けられていましたが、それと同じもの(※本物)は実家の目の前の電柱にも付いています。
第2話は、「津崎平匡」の職場の同僚が家に遊びに来るという話でした。
星野源さん演じる「津崎平匡」が、同僚と駅前で待ち合わせるシーンを見て「どこか見覚えのある場所だな?」と思いハッと気付かされました。
そこは、くも膜下出血で倒れ遷延性意識障害になってしまった母が、平成24(2012)年の夏から亡くなるまでの一年間、人生最期の時を過ごした療養型病院の最寄り駅、相鉄いずみ野線の「南万騎が原駅」でした。
第1話での偶然もあったばかりなので、「これも不思議なご縁だな・・・」と自分は妙に感心してしまいました。
そして第3話を見て、これらの一連のシンクロニシティは単なる偶然ではなく、きっと目に見えない世界のお導き、ご縁があるに違いない、と自分は確信するに至りました。
第3話では、石田ゆり子さん演じる「土屋百合(森山みくりの伯母)」の運転する車で、皆で山梨県へ遊びに行くという話でした。
そして、ドラマでも重要なシーンのロケ地として、勝沼町の古刹、大善寺が登場した時は、まさに驚愕の思いでした。
『逃げ恥』ファンにとっては、国宝である大善寺薬師堂の中での「みくり」のセリフ「私は、平匡さんが一番好きですけど、しみじみと、しっくり、落ち着いて・・・」は、印象的な名シーンとして記憶に残っているのではないかと思います。
実は、平成24(2012)年に母がくも膜下出血で倒れて後、たびたび病気平癒の願掛け(※星野源さんが母と同じ病で倒れられて後は、一緒に星野源さんの回復も祈願していました)に参拝しに行っていたのがこの大善寺でした。
切っ掛けは、たまたま母が倒れる直前に、自分が大善寺にお参りしていた、ということでした。
大善寺は奈良時代から続く由緒ある古刹で、ご本尊が国指定の重要文化財である秘仏の薬師三尊像(※薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)だったことからも、もしかしたら病気平癒の御利益もきっとあるのではないか?と、何かしら不思議なご縁も感じられて、当時は藁をもすがる思いで参拝していました。
その後、結局は母が亡くなった直後にも、お世話になったご挨拶も兼ねて参拝しましたし、お墓への納骨直後のタイミングで、五年に一度の本尊の御開帳もあり、秘仏の薬師三尊像をありがたく拝ませて頂きました。
因みに現在でも、毎年、大善寺に参拝するという習慣はずっと続いており、星野源さんと新垣結衣さんが当道場に来館された平成28(2016)年9月の、ちょうど一か月前にも参拝したばかりでしたし、五年に一度の本尊の御開帳を拝ませて頂くことも、その後もずっと欠かしていません。
そんな訳で、図らずも自分にとっては、星野源さん、新垣結衣さん、そしてTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』は、生涯忘れることのできない、目に見えない世界のご縁で結ばれた(?)特別な存在、となってしまいました。
この度、お二人がおめでたくご結婚されるというニュースを知り、後出しジャンケンのように聞こえるかも知れませんが、自分は、いつかこのような日が来る予感がずっとしていました。
これも間違いなく目に見えない世界のご縁であり、運命であり、必然なんだろうなぁ・・・、と自分は確信しております。
星野源さん、新垣結衣さん、これからもずっとお二人を応援しつつ、末永く、健康でお幸せに過ごされることを祈っております。
またご縁がありましたら、是非、「最強開運スポット(?)」でもある合氣道練心館道場にいらして頂きたく、お待ちしております。
《三千世界一度に開く梅の花》
2月に母・祖母のお墓参りに行った時、寺の境内に咲いていた蠟梅です。
この寺の先代御住職は、世界的な仏教学者で、天道流合気道の清水健二先生の高弟でもあり、『禅と合気道』の著者としても有名な故鎌田茂雄先生でした。
これも自分と合氣道を結ぶ不思議なご縁の一つです。
以前このブログで、合氣道の稽古は「愛し愛され方の練習」ではないか、といったことを書きました。
「愛し上手 愛され上手 『愛』に関する考察③」
http://jp.bloguru.com/renshinkan/236429/2015-04-07
人間は愛さずにはいられない存在です。
そしてこの「愛」とは、もちろん「男女の恋愛」といった狭義の意味に限定されるものではありません。
私たちが誰かに対して、優しく親切にしたりする時はもちろんですが、腹を立てたり、失望したり、嫉妬したりする時も、大概そこには「愛」があります。
時には「愛」があるからこそ、誰かに対して、敢えて厳しい態度で接したり、突き放したりすることもよくあるものです。
いずれにせよ人間が、愛さずにはいられない存在ならば、せめて出来るだけ上手に、スマートに愛せないものか、「合氣道の技」はそんな「愛し方」の練習だとも言えます。
そして、世の中の人間誰もが皆、上手に、スマートに愛せる人ばかりとは限りません。
中には、不器用にしか愛せないような人もいます。そんな不器用な「愛」に出会った時、いちいち傷付いたりしないようにできないものか、「合氣道の受け身」はそんな「愛され方」の練習だとも言えます。
毎年、新年度が始まり、新入生や新入社員など、多くの人が新たな環境の中でスタートするこの時期になると、いつもそのことについて考えます。
そんな中、今年も「愛」についてあれこれ考えていると、合氣道は「愛」の学びであると同時に、仏教的な「縁」の学びでもあるのではないか?・・・、という考えがふと心の中に閃きました。
「因縁」という仏教用語があります。
この言葉は「因」と「縁」から成り立っています。
そしてこの「因」と「縁」がどのようなものであるか説明するために、植物が成長する上での「種」と「それを育む環境」に譬えた話を読んだことがありました。
植物が芽を出し成長し、いずれは花を咲かせたり実を結んだりする上では、「種」が直接的な「因」となります。
しかし、「種」だけが単独で存在していても、そこには何の変化も進展も起こりません。
「種」が花を咲かせたり実を結んだりするためには、また別の間接的な要因が必要で、それらが「土、そこに含まれる水分や養分、日光、二酸化炭素、成長するために適度な気温」などであり、これらが「縁」ということになります。
そして、この「因」と「縁」は、合氣道の稽古にもぴったり当てはまるものだと今更ながら気付かされました。
言うなれば、合氣道の技は「縁を結ぶ」稽古であり、考え様によっては、仏教の教えである、「悪縁」も自らの心の持ち方次第で「善縁」に変えてしまう、という稽古ではないかと思えるのです。
合氣道の形稽古は、基本的に、二人で一対一組となり向き合うところから始まります。
そして、このままお互いに何もしなければ何も始まらず、この状態では、それぞれは単独で存在する「種」のようなもの、つまり「因」に譬えられます。
しかし、ひとたび「受け」の者が「胸突き」や「正面打ち」などの所謂「攻撃」を仕掛けた瞬間、そこに「縁」が生じます。
「投げ」の者は、この「縁」に自らを調和させ一体化させなければなりません。まさに、「縁結び」です。
したがって、合氣道の「受け」の者が仕掛ける「突き」や「打ち」または「取り」は、敵の「攻撃」というよりは、むしろ、自身に訪れた結ぶべき「縁」であると捉えた方が稽古の質も高まるでしょう。
もちろん、そのままその場所にまごまご突っ立っていたら短刀で突かれ、刀で斬られてしまうではないか、と考えれば、やはりそれは敵の「攻撃」と捉えることもできます。
そう考えるならば、「受け」の者の仕掛けてきた「突き」や「打ち」「取り」は、不意に我が身に降り掛かってきた「悪縁」という捉え方もできます。
しかし、「悪縁」も自らの心次第で「善縁」に変えられるという仏教の教え通り、合氣道ではそんな「縁」に対してもしっかりと調和し「縁結び」します。
そしてお互いを一体化させたまま協力して、一つの美しい形を創り上げるのです。
合氣道の稽古とは、一粒の「種」のように「因」にしか過ぎなかった者が、「受け」の仕掛けてくれた「縁」に対して誠実に「縁結び」することで、その瞬間、その場所にだけ生起する、一期一会の美しい花を咲かせる練習だとも言えるのではないでしょうか?。
ところで、人間社会のあらゆる場所でさまざまな「縁」が生じ、それらが複雑に入り組んで、響き合い、重なり合っている様子は、まるで海上を波が覆い尽すようにうねっている姿に似ています。
太陽の熱によって地球上の大気は大循環を起こし、そこに地球の自転が加わり貿易風や偏西風といった風が生まれます。
地球の重力と月や太陽、惑星の重力が引き合うことで、潮の干満、潮流が生まれます。
海上の波は、そういった風と天体の重力の影響が複雑に絡み合って生じるといいます。
同じ様に、人間社会にも、絶えずさまざまな要因が複雑に絡み合い、波が海上を覆い尽すように、「縁」もこの世界を覆い尽しているのでしょう。
そして日々の生活の中でも、私たちには、さまざまな「縁」が次々と訪れ、時には「悪縁」や「腐れ縁」が身に降り掛かって来ることもあります。
私たちは、「善縁」はしっかりと結んで逃がさず、「悪縁」も自らの心持ち次第で「善縁」に変えていけるよう努力しなければならないのでしょう。
ほぼ3カ月振りの投稿です。
そして話はやはり3カ月程前のことになってしまいますが、深夜にNHKのEテレで放送していた番組を視て、合氣道のことについて色々と考えさせられました。
それは、普段は水曜日の夜10時から放送されている「100分de名著」という番組で、その時は『ブッダ最期のことば』というタイトルで、全4回が一挙再放送されていました。
内容は、お釈迦様の最後の教えと言われている「涅槃経」を、仏教学者で花園大学教授・佐々木閑先生の解説で分かりやすく説くものでした。
その中で佐々木先生は、「仏教の二重構造」という話をされていました。
この「二重構造」というものは、合氣道の世界にもぴったり当てはまるものであり、この「二重構造」を、何とか一つにまとめて解消できないものか?というのが、ささやかながらも自分の長年の問題意識でもありました。
佐々木先生の仰る「仏教の二重構造」とは、一方が「出家修行者(※修行者集団である、サンガ・僧伽)」であり、一方が「在家信者(一般社会)」というものです。
「出家修行者(サンガ)」の目的は、修行によって、煩悩を吹き消した状態である「涅槃」、いわゆる「悟り」の境地に入ることであり、それは、普通の人間社会では叶わない「特別な生き甲斐」を求めることだとも言えます。
一方、「在家信者(一般社会)」の目的は、「布施(善行)」を行うことで、いわゆる仏教思想「因縁果報」でいうところの、よき「果報」を得ることだと言います。
普通ならば、「在家信者(一般社会)」の側だけで人間社会は成り立っているのですが、彼らは敢えて「お布施」をすることで、「出家修行者(サンガ)」の人々の生活を支え、その代わりによき「果報」が得られると信じる。
一方で、「出家修行者(サンガ)」は「在家信者(一般社会)」が納得するような立派な修行の姿を見せて、満足を与える。
佐々木先生は、この「二重構造」こそが、この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織のあり方だ、と仰っていました。
そして、今までに無いような新しい文化を生み出せる人たちは、「出家修行者(サンガ)」のような、一般社会の文化の価値観の外側にいる人たちである、とも仰っていました。
この世にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織は、この「二重構造」で成り立っている。
何となく解かるような気がします。
数年前、パワースポットブームというものがありました。
どこそこの神社やお寺にお参りすると、運気が上昇するとか、宝くじが当たるとか、素敵な恋人ができるとか、色々と喧伝され、場所によっては、あまりに大勢の人が押し掛けてしまい、問題にもなっていました。
テレビでは、経済アナリストと呼ばれる人たちが、パワースポットブームによる経済効果は云々で実に素晴らしい傾向である、などと評価していました。
しかし、当のパワースポットブームの仕掛け人(?)ともいうべき、そして「パワースポット」なる言葉を世に知らしめた張本人である、かの江原啓之さんは、そんなブームをやや苦々しく語っていたのが印象的でした。
パワースポットとは、本来、神仏の前で、自分が更に努力・精進します、と決意を固めるために行く場所であって、お金や異性、名誉や出世などの現世利益を求めて行く場所ではない、とのことです。
しかし、皮肉にも、そうした現世利益を求める人々が大勢押し掛けることによって、多くの寺社仏閣が潤い、組織運営面では支えられた、というのも事実でしょう。
まさに、パワースポットに集う多くの人々=「在家信者(一般社会)」の目的は、お参りしたり御札や御守を買う=「布施(善行)」を行うことによって、現世利益=よき「果報」を得ようとすること。
一方で、江原啓之さんのように「スピリチュアリスト」と呼ばれるような、ある種の「出家修行者(サンガ)」に属するような立場の人にとっては、神仏の御前で己の更なる努力と精進を誓うといった、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」こそが魂の喜びであり、そういった意味でもパワースポットを訪れることには深い意味がある、ということなのでしょう。
合氣道の世界も、まさにこの「二重構造」で成り立っているといえるのではないでしょうか。
今や合氣道は、日本中、世界中の人々に広まっていますが、そうやってお稽古している人々のその大半は、合氣道とは、相手を投げ飛ばして抑え込んでやっつけるための技だと思っている、という実情があるのではないでしょうか?
本来、合氣道はそんなものではないのですが、こういった状況は結果として仕方なく生まれてしまったものだと、個人的には思っています。
世間一般では、武術・武道とは、鍛えて鍛えて「強く」なって、その「強さ」に物言わせて相手をやっつけるものである、という認識が多いようです。
しかし、己の「強さ」を根拠にして他者を制圧する、ということが成功する場合、それが成功するのは、間違いなく相手の方が「弱い」からである、という図式が成り立ちます。
スポーツゲームの試合では、それでお互いが正々堂々とぶつかり合い、遊びとして勝敗を競うものなので構いませんが、その方法論を実社会で実践することが、いわゆる「弱いものいじめ」だと個人的には考えます。
そもそも、古来「武術」に於いては、「強くなる」という発想はなかった筈です。
ルールも審判も制限時間もない戦闘では、襲撃する時は、武器や人数を最も「強い」安全な状態に、準備万端整えてから行うのが理想であり、逆に襲撃される時は、武器や人数なども含めて、最も「弱い」状態の時が一番狙われました。
つまり、命を懸けて戦わざるを得ない状況に追い込まれてしまった時とは、基本、相手のほうに分がある状態であり、そういった絶体絶命の状況下、何とか命だけは守れぬものか、という場面で「術」というものが要求され、そこから「武術」というものが発展してきたと言えます。
「強くなる」ではなくて、そもそもの初期設定が、自分のほうが「弱い」から始まります。
その結果、「武術」では表面的な「強さ」ではなく、全く「質」の違う身体操作や、「心法」としての精神性が発達しました。
そして時は流れ、開祖・植芝盛平先生は、「武術」の「質」を土台にして(※魄)、その上に、闘争という低次元の世界から脱却した、愛と調和の花を開かせる(※魂)、真の「武道」、合氣道を創始されたのです。
しかし今、この植芝盛平先生の高尚な合氣道の思想は、合氣道を習う多くの一般の生徒さんたちや各学校のクラブ活動の部員さんたちには、なかなか理解されていないのが現状ではないでしょうか?
戦後、合氣道は日本中、世界中に広く大きく発展しました。
しかし、入門者の中には、安易な闘争術・制圧術としての「強さ」を求めている者も多く、組織を大きく維持するため、有体に言えば、顧客満足度を高めるためにも、手っ取り早く相手を痛め付ける技を教えたり、ポンポンと簡単に昇級・昇段させたりせざるを得ない、という現状があることは否めないと思います。
一方で、合氣道の世界には、依然として、尊敬すべき素晴らしい師範・先生方も数多くいらっしゃいます。こういった先人たちの深みのある言葉から、私自身、いつも多くを学ばせて貰っています。
そして、これらの先生方に共通する特徴として、心の修行にこそ重点を置かれておられ、安易な闘争術や制圧術などには殆ど興味がないように感じられます。
高名な師範や先生方は、仏教に譬えるならば、言わば「出家修行者(サンガ)」の側の人々であり、彼らの目的は、修行によって万有愛護の心を持ち、延いては己自身を宇宙そのものと一体化すること。つまり、俗世間では叶えられない「特別な生き甲斐」を求めて、日々精進されていると言えます。
逆に、一般生徒の多くは「在家信者(一般社会)」の側の人々であり、彼らの目的は月謝という「お布施」によって組織・団体という「サンガ」を支え、その代わりに「強くなる」という「果報」を得ようとする、といった所でしょうか・・・。
前述した仏教学者、佐々木閑先生は、世の中にある、あらゆる「生き甲斐」を追求する社会・組織はこの「二重構造」で成り立っており、これが正しい在り方なのだとも仰っていました。
しかし実は、10年前、私が練心館の館長を継いだ時、心に描いた理想が、この「二重構造」を何とか一本にまとめられないものか、というものでした。
そして最近、手前味噌な言い方で甚だ恐縮ですが、練心館のような小さな道場だからこそ、この「二重構造」は解消できるのではないか、と思えるようになってきました。
大勢の人が集う巨大組織ならいざ知らず、練心館のような少人数の小さな道場では、師範と生徒の距離が近く、何事も細かく丁寧に教えることができます。
開祖である植芝盛平先生の説かれた教えを尊重するならば、合氣道の道場とは、俗世間では得られない「特別な生き甲斐」を求め、それが得られる、修行者集団「サンガ」のような場所であるべきだと考えます。
そういった意味では、道場という組織・集団に「二重構造」があるのではなく、先ずはそこに集う人々、一人一人の内面にこそ、二つの世界(「二重構造」)を持ってもらうことが先決です。
普段は企業戦士として、あるいは受験生、就活生として、熾烈な競争社会の中で必死に戦っているような人でも、一歩道場の中へ足を踏み入れれば、そこでは勝ち負けとか強い弱いとかいった、俗世間の価値観から解放され、「万有愛護」「我即宇宙」といった普通の人間社会では叶わない種類の、「特別な生き甲斐」が得られる。
練心館も、そんな場所として完全に機能することができたとしたら、合氣道の道場としては、まさに理想的ではないかと思います。
最後に、合氣道開祖・植芝盛平先生の言葉を引用します。
植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。
真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙の中心に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと練磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです。(『武産合氣』P192)
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