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合氣道練心館 館長所感集

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真のエリートを育てるー平成27年鏡開き年頭挨拶ー

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 毎年、鏡開きでは、子どもクラスの保護者の方々に向けて年頭挨拶を行っています。
 いつの頃からか年頭挨拶は、練心館道場子どもクラスの「今年のテーマ」を発表する場になってしまいました。
 いつもきちんとした原稿がある訳ではないので、正確に再現することはできませんが、以下、今年のご挨拶を記そうと思います。


 今年の一月で、私が二代目館長を継いで丸十年となりました。
 まだまだこれからですが、取り敢えず、十年間何とかやってこれたのは皆様の温かなご支援の賜物です。
 心から感謝申し上げます。

 どういう訳か毎年、子どもクラスの「今年のテーマ」を発表するのが恒例になっています。
 昨年は、「本物を追求し、本物を育てる」でしたが、今年はそれを更に発展させて、練心館道場子どもクラスは、「真のエリートを育てる英才教育!」という結論になりました。
 何だか仰々しくて偉そうで、本当にすみません。

 実はこのテーマは、五年前(平成二十二年)と全く同じです。その時は『荘子』の「説剣篇」の話をしました。

 趙の国の恵文王は政治をほったらかしにして剣術に狂い、国中から武芸者を集めては戦わせ、数百人の死傷者を出す有様でした。これを心配した太子は荘子に相談をします。荘子は武芸者になりすまして王様に剣を説きました。

 私には三つの剣がございます。それは、「天子の剣」、「諸侯の剣」、「庶人の剣」。

 「天子の剣」とは、天地自然の理と徳のことで、これは絶対不敗の王者の剣、皇帝の剣である、と。
 「諸侯の剣」とは、人間の知恵と勇気のことで、これは為政者の剣、リーダーの剣ということ。
 「庶人の剣」とは、喧嘩腰に人を威圧し暴力や凶器をふりまわすこと。しかし、こんなものは鶏の喧嘩と大して変わらず、そんなつまらぬことで大切な命を落としてしまったら、天下国家のために役立つこともできなくなってしまう。
 恵文王様は、ご自身は天子様のようなお立場におられながら、何故に「庶人の剣」などを好まれるのですか!、と。

 以来、恵文王は反省し剣術狂いは治まったそうです。

 手前味噌な話で恐縮ですが、合氣道は、天地自然の理と徳を体得するための修行の道です。まさに、『荘子』「説剣篇」の中で説かれた「天子の剣」そのものだと今でも思います。

 実は、今回は全く別のアプローチで「真のエリートを育てる英才教育!」という結論に至りました。
 切っ掛けはテレビです。

 昨年の十一月、練心館では約三年振りにテレビが視られるようになりました。
そうです。今まで地デジ化に対応していなかったのです。

 NHK・Eテレ「ソウル白熱教室」という番組の再放送を偶々視て、えらく感銘を受けてしまいました。

 ソウル大学のキム・ナンド教授が、韓国の熾烈な競争社会の中で生き辛さを感じ、悩む人々に対して、温かなメッセージを贈っていました。

 その中で、心理学者ウォルター・ミシェルが四十数年前にスタンフォード大学で行った「マシュマロ実験」について紹介していました。

 四~五歳の子どもを部屋に案内すると、お皿の上にマシュマロが一つ置いてあります。「このマシュマロは君にあげる。でも私が戻るまで(約二十分間)食べずに我慢できたらご褒美にもう一つマシュマロをあげるよ。」そう言って実験者は部屋を出て行ってしまいます。
 我慢してマシュマロを食べずにご褒美にありつけた子は、全体の三分の一程であったそうです。
 十数年後の追跡調査で、我慢できた子たちのグループは大学進学適性試験(S.A.T.)の点数が平均して二百点以上も高く、更にその後の人生でも、夢や希望を叶えたり、高収入な仕事に就いていたりしたそうです。

 キム・ナンド教授は、この「目先の欲求を辛抱する能力」を「マシュマロ能力」と名付け、子どもたちに身に付けさせなくてはいけないのは、この「マシュマロ能力」だと力説します。

 しかしながら、多くの韓国の親御さんたちは「マシュマロ能力」ではなく、目先の良い点数の取り方ばかりを教えようとする。確かに、立派な学校に入り、立派な職に就ければ嬉しいことだが、それを達成するためのもっと根本的な能力を教えることができていない。
 多くの親御さんたちは、「人間性や社会性は社会に出て揉まれていくうちに自然に身に付くだろうから、先ずは学歴、そのためには塾。それは親がしてあげるから他は自分で何とかしなさい。」となってしまっている。

 キム・ナンド教授は言います。
 正直さや誠実さ、マシュマロ能力、他者への配慮、これらこそ、子どもの頃からの訓練と教育が必要であると。そして、その大切さを子供たち自身も解かるようにさせなければいけない、と。
 更に、子どもたちに近道を教えてはいけない。ゆっくり進むこと、徐々に成長することが大切だと教えなくてはいけない、と続けます。

 またもや、手前味噌な話で恐縮ですが、これを視て、道場で日頃、「目先の合理性に騙されるな」「目先の損得に振り回されるな」「目先の勝ち負けに拘るな」と言い続けてきて、それで良かったんだと心底思えました。
 また、十年間不安もありましたが、安易に昇級させないできて良かったんだと、胸を撫で下ろしました。
 恐らく、練心館は地域でも一番昇級が難しい習い事ではないかと思います。

 昨今の新自由主義の影響下、子どもたちを取り巻く世界にも、目先の合理性や目先の損得、目先の競争ばかりに子どもたちを追い込もうという流れが強くなっているような気がします。
 塾でもスポーツでも、とどのつまりは「いかにして他人を打ち負かし、自分が勝ち誇るか」しか教えていない所が増えてきたように感じるのです。

 今、日本で一番有名な合氣道師範でいらっしゃる哲学者・思想家の内田樹先生は、よくこんなことを仰っています。
 現代の日本社会には、リーダーとはどう振舞うべきかを何一つ学んでいない人間が、社会で上層部に君臨していることの悲劇がある、と。

 子どもの頃から競争競争で、常に他人を打ち負かし、自分が勝ち誇ることにしか躍起になってこなかったような人間は、いざ自分が社会でエリートとなり、リーダーとなっても、同じように他人を打ち負かし、自分が勝ち誇ろうとする以外にどう振舞うべきか判らなくなるのでしょう。

 勿論、リーダーに求められる資質とはそんなものではないし、そんな人間を真のエリートと呼べる筈もありません。

 合氣道は、天地自然の理と徳を学ぶための修行の道です。それは、『荘子』「説剣篇」の中で説かれた「天子の剣」、絶対不敗の王者の剣、皇帝の剣です。

 更に、合氣道の技のお稽古はお互いが相手を思いやらなければ成立しません。
普通にお稽古をすることが、自然に誠実さや他者への配慮を身に付ける情操教育になるのです。
 また、合氣道の技は非常に高度なものなので、覚えるだけでも優れた脳トレにもなります。

 そして、練心館では安易に昇級できません。否が応でも「マシュマロ能力」が鍛えられますし、目先の合理性や目先の損得、目先の勝ち負けに囚われない、長期的な視野で物事を本質的に捉える思考力が養われると思います。

 今年の練心館道場子どもクラスのテーマは「真のエリートを育てる英才教育!」。

 何だか結局は手前味噌な自画自賛となってしまいました。
 しかしそれでも、練心館には他所とは違う、練心館に天から与えられた役割があるのだと信じています。

 本年も是非、皆様からの温かなご理解とご支援を宜しくお願い申し上げます。


#ブログ #合気道 #武術 #武道

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ブログ、始めました。

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 新年明けましておめでとうございます。

 練心館が創立して、今年で33年目になります。そして、今年の1月で私が二代目館長を継いで丸10年となりました。

 元々、情報機器等の扱いが大の苦手な人間ですが、頑張ってブログなるものを始めようという所存です。皆様、宜しくお願い申し上げます。


 所で、いつもお正月のこの時期になると想い出すのが、「新春禊の行」です。

 30年程前の話になりますが、当時、私は横浜市港南区にある心身統一合氣道の実心館道場(現・実心館合氣道会本部)にお世話になっていました。

 その頃、正月3日の早朝に大勢が集まって、栃木県の鬼怒川に入るという一大イベントが行われていました。それが「新春禊の行」です。

 気温零下何度の中、岸には薄氷が張った川に入るのですが、川から上がると髪の毛から氷柱が生えたり、歩く度にサンダルの裏に河原のゴロゴロした重たい石が一瞬で凍り付いてくっついてきたり、なかなかの荒行だったと思います。

 それも今となっては懐かしい想い出です。

 そしてお正月のその時期、いつも道場で聴いた話が「何故お正月のこの時期に辛い禊の行をするのか?」という話でした。

 禊の行は古代から行われていた行法で、日本最古の記述は記紀神話に書かれたイザナギのお話、「小戸の神業」でしょう。

 火の神を産んだ時の火傷が原因となってイザナミは亡くなってしまい、黄泉国に行ってしまいます。イザナギは妻を追って黄泉国へ行くのですが、そこは恐ろしい世界で、イザナギは命からがら逃げ帰ってきます。すると体中に穢れがこびり付いている事に気付き、川に入って禊をします。この時に多くの神々が産まれました。

 「禊」の語源は、一説によると、「身を削ぐ」から来ているといわれています。まさに、心身にこびり付いた罪穢れを削ぎ落とす、という事でしょう。

 「何故、お正月に禊をするのか?」

 それは勿論、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流し、心身を清めるため、といえるでしょうが、それだけでは駄目なのだ、という事を毎年聞かされました。

 「何故、お正月に禊をするのか?」

 去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、それらをきれいさっぱり洗い流すのは勿論だけど、どうせならついでに、去年の嬉しかった事、楽しかった事、良い事もこの際全てきれいさっぱり洗い流してしまいなさい。いつもそう言われました。

 これには理由があるそうです。

 人間は、過去の良かった事にいつまでもしがみ付いていると、却って、勇気を持って新たな一歩が踏み出せなくなってしまったり、力強く未来を切り開いて行こうという気力が萎えてしまったりするそうです。

 だから、新しい年の初めに禊の行を行って、去年の罪穢れ、悪い事、嫌な事、そして嬉しかった事、楽しかった事、良かった事、頑張った事、まとめて全てを洗い流してしまい、生まれたばかりの赤ん坊の様な、真っ白な心と体に立ち帰って、今年もまた頑張るぞ、となるための禊の行なのだそうです。


 残念ながら、練心館では川に入ったり、滝に打たれたり、冷水を被ったり、そういった修行は一切やっていません。

 別にやる必要もないかな・・・?というのが正直な所でしょうか(やっている方々に対しては心より敬意を表したいと思います)。

 合氣道開祖・植芝盛平先生はこう仰っています。

 「合気というものは、小戸の神業であって、禊である。」(『合気神髄』P138)

 これは、正しい合氣道の稽古をしていれば、それが取りも直さず、心身を祓い清め、洗い清める禊の行になっているのだ、という事だと思います。

 また、小戸の神業とは神産みの事であり、正しい合氣道の稽古は、宇宙、世界の生成発展の姿になぞらえる事ができるものだ、という意味ではないかと思います。

 そんな訳で、今年も、正しい合氣道の稽古ができますように・・・。

#ブログ #合気道 #武術 #武道

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