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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2009年度 3月 - Life is comedy(サブテーマ:夢の途中)

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2009年度 3月 - Lif... 2009年度 3月 - Lif...
講師紹介
講師:神田瀧夢(かんだろむ)氏(俳優、コメディアン、プロデューサー)
講師略歴:
1984年  イギリス遊学(19歳)
1987年  アメリカ短期留学
1994年  バックパックを背負い 世界一周の旅に出る
1996年  アメリカ縦横断
1999年  NYに移住、World Asia主催 コメディーコンテスト優勝
2006年  LAに移住、ABC プライムタイム 放送の"I Survived A Japanese Game Show"セカンドシーズン出演決定
2009年9月 上映予定のスティーブン・ソーダバーグ監督、マット・デイモン主演の"Informant"に出演。
関連リンク

日本で紹介された番組
http://romekanda.com 神田瀧夢オフィシャルサイト
http://www.us-lighthouse.com/life/interview/romu-kanda.html ライトハウス特集記事
http://www.us-lighthouse.com/life/interview/romu-kanda.html日本で紹介された番組

ご本人からのコメント:

「大阪生まれのニューヨーカーとして”おもろい人生”を歩んできました。転んでもただでは起きなかったこれまでの僕の体験談をぜひ聞いてください。」 
日 時:2009年3月4日(水)、6:30pm ~8:15pm
会 場:ニューガーディナ・ホテル
講師紹介者:佐伯和代
講義録担当:河合将介

今回の講演録について

 講師(神田瀧夢氏)から今回の講演について、録音・講演内容のブログ掲載はしないで欲しい旨要請がありましたので、テープ録音はしませんでした。したがって講演内容の詳細を記載することを取りやめます。
しかし今回、講師により語られた氏の人生観、生きざまなど、大変印象深い内容が多くありましたので、差し支えないと思われる範囲で、私の速記メモから思いつくまま、講師の語録を以下に羅列し、講演録の代わりとします。

日本で紹介された番組を説明

講演内容

自分はこれまで何度もオーディションに落ちたが、一度も落ち込んだことはない。なぜなら自分は、やらなければならないことを明確に決めており、ひたすら一途に進むことにしていたからである。
どんな苦労も楽しんで生きてきた。腹がたったことはあっても、落ち込んだことはない。
19歳でイギリスに遊学したが、地方のホームステイ先の家の人たちはSony、National、Fuji Colorなどといったブランドはイギリス製だと思っていたり、大阪を知らなかったり、ブルース・リーは日本人と思っていたりするのを知り、自分は大阪魂をもって日本をもっと世界に広めようと決意した。
日本を背負って世界へ広めるには自分に向いているエンターテイメント(ショウビジネス)の世界で目的を果たそうと決意した。
芝居を勉強する中で、台本通り忠実に演技するだけでなく、台本にないこともしゃべってもよいのだと知り、目が開く思いだった。また、まだそのとき学んだ即興劇(improvisation)は後の自分にとって大きく役立った。
芝居でもアルバイトの仕事でも、『こいつがいないとダメだ』と思わせることが大切だ。
オーディションで採用されながら、CM や映画では何度か自分のシーンがカットされたが、「目立ちすぎ」が理由だった。それでも諦めなかったのが自分が決めた目標があったからだ。
講談をはじめ、多くの日本の伝統文化・芸能・武芸を勉強したが、これは例えばアメリカで俳優になろうとする時、自分がライバルに勝つには、日本の魂とか日本の文化・芸能などで勝負するのが一番だからだ。
講談師は一人で百人の侍、百人の農民を演じなければならない。神田山陽師のもとで学んだ「真田幸村、大阪出陣」という講談は今でも殆ど覚えている。後に「阪神淡路大地震」時にボランティア慰問に行った時、この講談を演じ被災者たちから大変喜ばれた。俳優をやっていて良かったと思った。
10代で海外へ出、20代で世界一周旅行が自分の夢であり、それは果たすことが出来た。
世界一周旅行では日本から → フィリッピン → タイ → インド → エジプト → イスラエル → ヨーロッパへとまわり、多くの貴重な経験をし、マザー・テレサや聖人サイババのような有名人から一般人まで多くの人々と出会うことが出来た。
戦後の教育を受けた自分は、アジア人は皆、日本を嫌っているとばかり思っていたが、ケソン(フィリッピン)で会った子供の父親が「私は日本が大好きだ。もし、日本がもう少し長くこの地を統治していたら、もっと良かったのに」といってくれたのには感激だった。ものごとは実際にそこへ行ってみなければ本当の現状はわからないものだと実感し、良い勉強をしたと思った。
自分の旅は一般観光客の行くようなところは行かないことにしていた。地元の人々と出会って、その人たちが何を食べ、何を語り、どんな夢をみているのかを知ることが目的だった。
映画の力はすごいといわざるをえない。例えばアカデミー賞映画「スラムドッグ&ミリオネア」によって世界中にムンバイ(旧ボンベイ)が知れ渡ったことになる。映画「ブラッドダイヤモンド」が作られなかったらアフリカの小さな町でどんなことが起こっているか誰も知らないだろう。映画を作り見せることによって、世界中の人々がその国の現状をわかってくれるのだ。
世界一周にあたって自分の中に二つのテーマがあった。一つは「世の中には色々な宗教があるが、本物って何だろう」ということ、もう一つは「世界の水に触れたい(沐浴したい)」ということだった。自分としてはこれら二つとも、自分なりの結果は見つけられたと思っている。すべての宗教のもとは「愛」(eternal love)であると体感することが出来た。またガンジス川では沐浴を通じて人々が同じ目線の人として対してくれることを知った。
1996年アメリカ縦断の旅をし、その後もう一度渡米をした頃から自分の『夢(大阪魂を持って世界へ出て行ってやろう)』は『志(こころざし)』へと変わったといえる。
「志」とは「武士の心」と書く。武士は命よりも名を惜しむ。武士は主君を守るために命を投げ出して死ぬのを最高の名誉とする。自分にとって「夢」から「志」に変わったということは、その時点で自分の目標を命よりも重いところに置いたということを意味する。

志を説く
そう決めたら、人生はシンプルになる。自分のやりたいことは決まっているので、それに向かってひたすら突っ走るだけとなる。「志」をもって始めたことは本人が死んでも必ずその感化を受けた次の人が受け継ぐものだ。かつて坂本竜馬や吉田松陰は死後も引き継がれ明治維新が成し遂げられた。
志を立ててからニューヨークで自分を売り込みに行き、言葉に尽くせぬ苦労をしたが志があったので決して落ち込まなかった。ヘッドショット(写真とレジメ)をエージェントへ数百通送っても返事ゼロも経験した。
エージェントが決まって役がつくようになって、かつて勉強しておいたインプロ(improvisation)が役立ち良かったと思った。
2001年のニューヨークテロ事件(9-11)の後、仕事が減ってNetwork Businessや漫才、一人コメディなども経験したが、これにより日米の笑いのタイミング他学ぶことが出来た。
2006年3月、L.A.に移り、種々経験の後、幸いABCオーディションを通り、"I Survived A Japanese Game Show"にMC(司会)としてキャストされ、アメリカの歴史で初めて日本人の司会者としてTVのゴールデンタイムに登場出来ることになった。
自分は今も「夢の途中」である。一生かけて日本の魂を背負ってアメリカに来て、私利私欲抜きで、日本の素晴らしさを世界に伝えたいと本気で思っている。これは誰かがやらなければならないことであり、誰もやらないなら自分がやる、といった気持ちでいる。
これからはぜひ映画を作りたい。「これはすごい。日本人ってほんとにすごい。日本人って面白い」といってもらえるようなハリウッド映画を世界に向かって作りたいと思っているので皆さんの応援と協力をお願いしたい。            
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