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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2005年度 4月 「 高峰譲吉が日米に掛けた夢の橋を追う 」

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2005年度 4月 「 高峰譲...
講師 - 飯沼信子氏

静岡県沼津出身。日本ベンクラブ会員。日本エッセイクラブ会員。国際(英国)女性伝記作家協会会員。裏千家支部元幹事長。現在、講演歴として内外のロータリー、ライオンズクラブを始め、NHK,民放などのメディアにも米国在住を強みとするユニークな伝記作家として登壇することが多くなっている。

また、作家としての本領は1987以来続く羅府新報「木曜随想」欄の常連として筆力を顕し、既に著書「野口英雄とその妻」を始め、上梓した他の六冊の伝記小説はいずれも圧巻である。

飯沼信子氏WEBサイト

講義内容

総括
幕末に生まれ明治時代に育った高峰譲吉は、アメリカに渡り科学者として、またビジネスマンとして数々の業績を残す。ウィスキーの醸造、胃腸薬タカ・ジアスアスターゼの開発、アドレナリン製法の発明など数々の業績を残し、ノーベル賞級の業績であったと伝えられる。同時期にアメリカで活躍した野口英世と比べ、科学者として遙かに大きな業績を残している。
科学者として業績を残しただけでなく、数々の特許を取得し、 その収益は膨大なものとなりビジネスマンとしても大成功した。
また、ニューヨークで日本倶楽部を設立。米国における日本人の地位向上に尽力した。

高峰譲吉の主な業績
・ウィスキーの醸造
高峰式日本酒醸造法を、ウィスキーの製造に応用した。従来、ウィスキーの醸造には大量の大麦が必用で、わずかな麦の「ふすま」で製造することが可能となり、大幅なコストダウンを可能とした。生産初日に火災があり、反対派の放火の噂もあったが、当時の状況を見る限り、スパークによる事故と思われる。
・タカ・ジアスターゼの開発
「ふすま」を使った麹かび に、大量のジアスターゼが含まれることを発見。タカ・ジアスターゼと名付け、胃腸薬として製品化した。パーク・ディービス社により全世界販売されることとなったが、日本での販売権は除外することを条件とした。日本が化学工業が立ち後れていることを痛感しており、その一助とするためである。
タカ・ジアスターゼ は三共製薬から 販売され、高峰譲吉は同社の初代社長に就任している。 タカ・ジアスターゼ は、数々の改良を経て、 現在でも同社から販売されている。
・アドレナリンの製法の発明
副腎ホルモンの純粋培養に成功し、特に外科手術での救命率が飛躍的に高まった。ノーベル賞級の発見と言われ、この特許による高峰譲吉の収益は膨大なものとなった。

妻のキャロライン
高峰譲吉が、1884年ニューオリンズでの万国博覧会で、日本の事務官の一人として渡米。そこで、キャロラインと出会い、婚約。結婚後日本での暮らしが始まるが、ウィスキー製造の件により渡米。以後、譲吉を支え続ける。
譲吉の没後は、若い再婚相手とアリゾナで全く異なる生活を送る。

高峰ファミリーのその後
長男ジョウは、40歳で不慮の死を遂げる。次男エーベンは、ビジネス上の失敗が多く高峰財閥にかげりが見え始める。現在、高峰姓を名乗る直系のファミリーは、ロス在住の譲吉三世のみ。

日本倶楽部の設立
1907年、日本倶楽部をニューヨークに設立。日本人排斥の気運が高まる中、ニューヨークの日本人のよりどころとして大きな役割を果たした。日本倶楽部での高峰譲吉と野口英世が一枚の写真に写っている写真も残っている。

以上
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