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サウスベイ マネジメント セミナー( Southbay management seminar )は月一回のセミナーを中心に勉強し、時々に親睦をする、乃ち「よく学び、よく交友する」そのような会です。

2013年度 10月 日本でのリタイヤ生活:滞米23年、帰国後に見えてきたもの、そして震災・原発事故

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2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での... 2013年度 10月 日本での...
日時: 2013年10月09日(水)、6:30PM - 8:30PM
会場: ニューガーディナ・ホテル
講師:井出英雄(いで ひでお)氏
講師略歴:
1942年福島県川内村生まれ(福島第一原発から24Km地点)。71歳。
1985年日立製作所自動車機器事業部の最初の海外工場建設担当として、ケンタッキー州に赴任。当地で9年間にわたり建設、現地調達、製造部門などを担当。
その後1994年LA事業所長として自動車部品の再生事業と拡販を推進。
2008年までの14年間LAに滞在し、その間に永住権を取得したが、在米合計23年間、66歳で退任して日本に永住帰国した。
LA勤務期間時にはSBMSの会長を7期(7年)務めた。
帰国後は、日本人回帰への苦労を経て、俳句や尺八を楽しみつつ、懐メロのバンドを結成して演奏活動やリタイヤ生活をエンジョイしている。

講演内容概略: *ここをクリックして講演資料をご覧ください。Media:IdePM.pdf 

きょうはSBMSにお招きいただきましてありがとうございます。
過去にSBMSの運営にかかわったものとして、SBMSが皆様のご努力で20年近くも続いていること大変うれしく、また関係各位に改めて敬意を表したいと思います。
昨年12月にCAに遊び来た時にちょうどSBMSの開催される日に居合わせまして、久々に出席させて頂きました。その時のセミナー後の食事会で、私の実家である福島の原発被害について少しお話ししたところ「その話をSBMSでやってくれ」ということになり、きょうこの場にいるわけです。私は原子力事業に関しては全くの素人ですので、原発事故のことを専門家として話すことはできませんので、話の主流は米国で長年働いて日本に戻ってリタイヤ生活をした体験を基に、年金や健康保険など現実的な話を軸に、その中で震災や・原発事故に遭遇して体験・見聞したことに触れるという構成でお話ししたいと思っています。よろしくお願いします。
23年間のアメリカボケの話:信号待ち、アイスの話

ところで、始まる前に皆さんの意識調査をさせて下さい。
1.いずれ日本に帰られる方、あるいは帰ろうかどうするかまだ決めていない方はどのくらい居られますか?(挙手)
2. 日本の年金や医療保険に関心のある方
3. 日本に親御さんがいらっしゃる方
4. 日本のリタイヤ生活に関心のある方
5. 震災のその後の様子に関心のある方

分かりました。全部話さなければならない・・・・
では項目ごとにお話ししますが、一般論だけではなく、各項目ごとに、自分が体験して為になった点、あるいは皆さんにも役に立つのではないかと思うところを少なくとも一つは挙げるようにしますのでお聞きください。
1. 在米時のリタイヤのイメージと経緯 表1
1)経緯:43歳でKYに新会社設立担当として出向。52歳でLA事業所担当としてKYから横滑り。米国に骨を埋めろという社命で永住権を取得していたこともあり、57歳で出向から現地採用に切り替わりました。結局66歳まで23年間、会社人生の後半を米国で働いたことになります。3~5年でいったん帰国する風習からすれば社内では異例のケースでした。理由はいろいろありますが・・・。
       2)リタイヤの決断
    業績も良く、定年のない米国でリタイヤを決断する難しさ。
どんなにいい管理者でも10年以上は長すぎる、という基本的な考え方。
私の住む茨城県の知事は今年6期目の当選をして、24年間知事をやるという。 (組織の硬直化、慣れによる改革のスローダウン、取り巻き情報・・裸の王様)
後継者の育成:日本人の海外嫌いの傾向あり指名しても来ない。
現地人との信頼関係が気づけない人間はダメ。

辞職の句:囃されてやがて嵐に遭うよりは頃合い知りて散る山桜かな
                            井出 半句
3) 会社のリタイヤ手続き
・日本の本社のリタイヤ手続き
57歳で一旦日本の本社を早期退職して米国の現地法人に切り替えた。帰国して定年手続きをする。事前説明資料なし。洪水のような説明二日間。ホテルに帰ってから自分なりにグラフを書いて翌日確認する。
我々の世代は定年のことなど現役時代はあまり触れない傾向にあり、気にはなるが総務に確認などしない。
教訓:事前資料の請求。先輩・同期などからヒアリング、アドバイスを受ける。
4) 米国の家の処分と日本の住居確保

・まずは日本の家の確保:持家の賃貸解約か新居か。我々は賃貸しながらマンション住まいを選定。
理由:病院、駅、買い物への徒歩でのアクセス可能。草むしり(CAでは想像もできないほどの重労働)などの煩わしさ。自治会などの様子など。
・米国の家の売却:市場の傾向に大きく左右される。価格の設定は売り抜けなければならないので、欲をかかない方針にした。周りの売却価格より15%位安く設定して顧客の関心を買うことにした。8月に売り出しすぐ仮契約、9月に本契約。 結果的に大成功。売り抜けた直後にリーマンショック。近所では売れずにいた。
日本で貸家にしていた家の処分:27年間で5,6人に貸したが今年7月で解約。家屋が震災で傷んだので更地にして売却を決意した。
教訓:当初賃貸を個人契約していたが家賃滞納(2年間)などあり回収に苦労。それを教訓に途中から不動産管理会社に委託管理してもらった。
建屋40坪6部屋、土地140坪、家賃7万円、手数料は5%+消費税。 LAに比べるとめちゃくちゃ安いですが地方都市はこんなものです。
5) 家内の存在
リタイヤの引き金となった最大のカギは家内の存在。もともと米国赴任同行は消極的であった。更年期障害とみられるホットフラッシュやKY時代の苦労のフラッシュバック、運転恐怖症などが現れ、帰国決断のファクターとなった。
日本にマンションを見つけたのも家内。そして日本に帰ってからは働くなとの要請もあったので、誘いは何社からあったが完全リタイアを決め込んだ。
    帰国後のライフスタイル:配偶者との距離感をどうするか。互いのやりたいことをしたにしても、付かず離れずの距離感、協力体制は維持する。一部で共通の趣味や好みがあればなおよい。子供との関係。

2.実際のリタイヤ生活
1) 帰国直後にすべきこと
① 市役所への届け出
何はともあれ市民権の取得として市役所に出頭し住民票を作成する。電気・水道・ガスその他ユーティリティーの手配。IDは免許証、パスポート、保険証。印鑑も忘れずに。
② 健康保険
入国した日から皆保険の対象者となる素晴らしい国。 米国は今もめていますね!
国民健康保険と社内健康保険組合(74歳で打ち切り)との兼ね合い。社内が有利。
③ 介護保険の加入
65歳以上は介護保険料が年金から自動的に差し引かれる。(詳細後述)
④ 免許証の書き換え
日本での書き換えを定期的にしなかった場合でも日本出国時の免許証と出入国のわかるパスポートを提示すれば、一日で書き換え完了する。(知らなかった。少なくとも筆記試験があるかなと思った)
日本で免許を取っていなかった家内の場合は、帰国後に自動車学校から始めなければならない。狭い道路を運転するのが怖くて免許取得断念。
⑤ 車の購入
まずは必要かどうか。都会なら不要かも。タクシー、電車、レンタカー、カーシェアリングなど。
ガソリン車、EV, HV、大型・小形、など生活パターンから決める。
自分の場合:ゴルフ場へのアクセス。旅行、楽器練習などへの活用。マンションの形態によりEVかHVか。
外車は故障時の部品調達で時間がかかるので要注意。持ち帰った人は苦労。
2) 年金の受給(日米それぞれの年金)
① 知らしむべからずの社会で自分から情報を取りに行かねばならない
まずは市役所窓口で情報を得て日本年金機構(旧社会保険庁)へ 年金手帳、戸籍の付表(出入国記録がわかる)、住民票、配偶者所得証明、本人を確認できるもの、印鑑など持参。
年金の法令はめまぐるしく変わっている。
② 日米の違いに注意
米国の場合は年金受給資格年齢に到達以前から個人あてにSSが資料を送付してくる。(何歳から取得するつもりかの事前通知として)
日本は全くない。資格年齢に到達してもない(なかった)。自分の場合は66歳になってから帰国した。60歳から受給資格があったが5年しかさかのぼれないということで60歳の年の年金は不支給となった。(個人への事前通知もなくネコババされた感じがしたものだ・・・・知らしむべからずの典型) ここは米国SSと大きく違う部分である。
なお、米国の年金SSは、自分の場合は帰国前に受給手続きをTorranceのオフィスで済ませた。面談しながら15分程度で完了。翌月から入金。(日本は3,4か月後から)
③ 日本で米国SS受給する場合
家内はSS受給年齢に達していなかったので、後年訪米した際に手続した。両者とも米国の銀行に振り込まれる。日本で手続きするとフィリピンのマニラ極東事務所(現在は日本年金機構で手続き可能になった)への書類提出となり、そこからCITY BANK経由で日本の指定銀行に振り込まれます。ドルから円への換金で手数料がとられます。ドルと円はその時の為替レートとなります。 私の場合は米国の口座に振り込む形にしたので、レートの良いときに引き出すことができる利点があります。郵貯のATMでDebit Cardを使えば手数料なしです。(但し一回$1,000まで)
④ 在米のまま受給を受ける場合

在米中に準備すべきこと
過去3年分の所得・納税(Tax Return)資料:前年まで日本で働いていない期間がある場合は、これを要求されます。
年金取得年齢の期間の居住証明書:Form 6116(IRS発行。CPA経由で有償取得した)
⑤ 受給額と税率
保険金納付期間や様々な個人要素で変わりますが、私の場合、米国で働いていた時の所得税、源泉徴収などの直近の記録が日本にはないために所得税を高めに取られていることが税金申告時に分かり、その後日米租税条約に基づき還付してもらうことにしました。この手続きも煩雑である。
3) 税金申告(日・米への申告)
地方都市の税務署では自分のようなケースは前例がなく、たらい回しされ、東京麹町の税務署問合せとなり決着まで半年近くかかった。
日米租税条約に基づき源泉徴収された所得税の還付請求:社会保険庁の算出源泉率が租税条約に合致しておらず還付請求した。(還付まで5か月かかった。5年分なので数十万円位余計にとられていた)
4) 米国永住権の放棄
日本帰国後に訪米する際、2,3度は米国で働くか生活する可能性ありという理由で永住権を使い通関できるが、実際の滞在日数が少なくなると注意を受ける。自分の場合も注意を受けて3年後に在日米国大使館で放棄した。現在はESTAというネットで取得するビザシステム(3年間有効)で入国している。
もちろん永住権を保有している間は両国に税金を申告する必要あり。日本から米国のCPAへの申告手数や支払いの方が面倒で、放棄した方がむしろ楽であった。取得は大変だったが・・・。今のところ不便はない。
5) 地元への関わり
身近な方から言えば、マンション管理組合、自治会、市の補助がある健康クラブへの参加など。
米国のことは話すな、という先輩の教え
自分からは米国の体験を積極的に話すと、特殊な目で見られて遠ざけられることを気にしてのこと。・・・気心が通じ合えば自然な形で受け入れられる。
ボランティア
米国のように身分も地位も関係なくというわけにはいかないようである。
周りにも、意気に感じてやっている人、辞めてほしいのにやめない人、日本独特の関わり・・・などあるが、自分の場合最低限の義務は果たして、まずは体の動くうちに自分ができること(運動や旅行や趣味など)をしている。
6) 元の会社仲間との関わり
こちらもほどほどが良いようで、たいていの人は会社時代の上下関係を持ち込まない気配りはしているが、もうあの人とは関わりたくないという人が意外に多いようだ。また、現役時代に大威張りだった人が、一切人と付き合わず世捨て人のようになった人もいる。何のための会社人生かと思う。
私は前向きで、自然・健康志向で、行動派で、人の悪口を言わない、素晴らしい先輩がいて、似たような考えの人の集まるグループと付き合っている。
気の置けない同期の友人との季節ごとの飲み会などを通じて、日本的な常識を確認するのも一つの手段。海外経験をした奥さんたちも、海外の話を気兼ねなく話せてフラストレーションのはけ口になる。
7) 趣味の世界

地域の交流センターに行けばセンターを利用しているグループが何十とあり参加可能だ。
年配者の成果発表などで、市民会館、コミセンなどは大賑わいである。
自分の場合は、写真575月例会、俳句月例句会(2団体)、おやじバンド(ムード歌謡バンド:ヒマナスターズ)の演奏活動(同期生8人。過去5年で50回。吉田正曲中心)。自分からは宣伝しない。口コミの依頼を受けて演奏する。 歴史探訪旅行、探鳥会、トレッキングを楽しむ会など (ヒマナスターズ写真)
8) 社会貢献
市のボランティア活動:市役所
ボランティアの難しさ:やめてほしい人がなかなかやめない、辞めさせられない
自分の場合:バンド活動主体。消費活動程度。
3.高齢化社会に生きる(別表あり)
日本の高齢化のスピードは世界一
高齢化率:65歳以上が人口に占める率(7%で高齢化社会、14%高齢社会、21%超高齢社会と呼ばれる)
7%から14%に到達した年数:フランス115年、スエーデン85年、 ドイツ40年、日本24年(世界最速)
日本の平均寿命:男性79.94、女性86.41
  茨城県:100歳以上 男性94人、女性:何人と思いますか?7倍近い640人です。
    改めて女性の生きる力に感心します。田舎で乳母車を押して歩く腰の曲がったお婆さんは見るが、お爺さんの姿は見ない。お婆さんは台所を扱うし、買い物やおしゃべりの仲間のところに出かける。近所の人たちとの繋がりが常にある。爺さんはTVを見るだけで付き合いがなく、ぽっくり行くだけになりがち。

・長寿は日本の誇り:成熟した姿が世界のモデルになる
 ネガ:地縁・血縁・会社の縁・・・薄くなって孤立化、若い世代との断絶・格差     高齢者への支援はあるが若い世代への支援が少ない社会保障システム     一秒でも死を遠ざける医療
     ポジ:定年制度の見直し、地域ぐるみの取り組み(徘徊対応など)、つながり、         高齢者でも人の役に立つという生き甲斐、世代間の対立から共生へ         配達員の見回りサービス、就労環境の改善で少子化対策
   ひたちなか市:市内の放送の80%は徘徊者の問合せ(その日のうちに保護)    同期の友人のエピソード:娘の家に行ったつもりが・・・。放送のたびに電話。
・どう生きるか 地方都市の例:ひたちなか市人口15万人
       介護施設(デイケア含む):52か所、収容人員1,808人、
東京では4万人が介護施設を待っている。東京は地価が高いため施設が増設できないため近郊の他県への移住施設:30万円→20万円/月(本人の年金の範囲)
     空き家活用(54万戸の空き家あり):NPOが活用し始めている:
ケア共同住宅。役場・医師と連携。仕事のない若者が関与。 14万円/月
    自分のこと:健康なうち(足が動くうち)はバンド活動、旅行、俳句・尺八などを楽しみ、健康なまま有料老人ホームの方向・・・希望。
貯金やPCのパスワードを忘れたりすることになれば怖いと思う。同期生も怪しくなってきている。(ゴルフ場にゴルフ道具不携帯、自分が操縦しているゴルフカートにはねられる、自宅住所の番地がとっさに思い出せない等)

走馬燈余生あらかた探し物   井出半句
4.3.11震災と原発事故
1) 震災発生時の状況(自分の場合)
フィットネスクラブでサウナから上がったところ。最初は「大きい、津波が来るな・・・」など話していたが、だんだん無口になり自分が裸のままで建物の下敷きになり死ぬかもと思うに至った。その後日本男子の美意識に直面(前を隠す)。 自宅の部屋の状況(写真)。三日間停電、10日間断水。よって三日間は津波と原発の惨状は伝わってこなかった。マンションの中はラジオはよく聞こえない。
・水の重要性:人間は物を食ったら排出を伴う単純な動物、ということ
その排出物の処理のことは断水して初めて苦労する。

2) 発生前と発生後の心構え
【発生前】
災害は自分には降りかからないという錯覚から初動体制が遅れる。
釜石の小学校:普段から訓練。親をも導いた。奇跡の小学校と報道されたが、奇跡ではなく必然だと専門家は言う。
石巻の幼稚園:高台の幼稚園から海に向かって親元に届けようとして被災。裁判となり、幼稚園敗訴。一億円以上の支払い。
物心ともに普段の準備がない。家庭内あるいは町内での訓練もしない。
その後、自分のところも含めて訓練盛んになったが災害は忘れたころにやってくる。
【発生後】
食糧難:スーパー品不足で閉鎖。ガソリンも被災地優先で3時間待って3,000円券(約20L)をゲット。
とうとう自分の番が来たのではないか、と思った。このまま死ぬのかという儚さ。 最低限の物心の準備。バスタブは常に満水。停電時の準備。手回しラジオやライトなど。車のガソリンはこまめに満タン状態を保つ。連絡網の確認徹底。 携帯電源(車から充電)の確保。電話はつながらない。メールはベター。 マンションではガスボンベ式の発電機購入(1年後)
3) 避難者の受け入れ
連絡が取れなかった兄家族の到来。米一粒も持参せずパニック。食べれば排泄が伴うという当たり前のことんい連日苦労。台所に女二人の問題・・・家庭内水素爆発の危機。
4) 義援金と復興費
国内外からの義援金:3,800億円+
第一次配分(2013年4月):
死亡・行方不明者 一人当たり 35万円
住宅全壊     一戸当たり 35万円
住宅半壊     一戸当たり 18万円
原発避難者    一世帯当たり35万円
SBMSからも頂きました。本人にわたるまで何か月もかかった。市役所や役場が物理的にも機能的にも崩壊したところが多く避難者の把握ができなかった。
復興予算と実態
  縦割り行政の弊害が多い。被災地の意見もまとまらない。
  若い世代は仕事と子育て(学校)の両立で仕事を求め地元を離れる。
  特に原発避難家族はこの傾向が強い。

5) 津波災害と原発事故
自然災害と人災
 千年に一度、百年に一度 vs 有史以来初めて
死亡・不明者の数とその家族・親族・地域への影響
 死者・行方不明者:18,800人
目に見えない被害:
・家庭崩壊:絆という言葉がはやりましたが、原発の避難者の実態は複雑。
 避難先での要らぬトラブル:避難所、親兄弟姉妹、嫁姑、親戚、知り合い、旅館、ホテル、仮設住宅
そりの合わない関係のところにも一時避難せざるを得ない緊急事態
 14万避難者の周りの人を含めると数十万人に影響。
関係悪化、気まずさ、離婚、訴訟、補償金問題、鬱・・・いらずもがなの問題がいたるところで発生して苦しんでいる。
30年前の恩師の一言:お前日立だよな。原発はいらんぞ。
           (4号機は日立製)
この原発事故が発生した時に、この時の先生の言葉が最初に浮かんだ。 「先生が心配したことが起こっちゃった!“ほらみたことか”と言っているに違いない」と。
一週間前、中学校の同級会でのその恩師の言葉:「会津に避難中です。首を切られて生かされているようなもんだ。故郷のすべてを失った。何もない、何もできない」反対署名の名簿を持参して教え子たちに署名を依頼していた。原発は先生の自宅から数キロメートルである。
原発避難高齢者の死亡率:事故後1年間の死亡率は事故前5年平均の2.7倍
原発関連死:8月末現在で1459人。地震・津波による直接死1599人に迫る。(阪神大震災919人、新潟中越52人)
原因:避難時の移動に伴う疲れ、病院の閉鎖・転院による持病悪化、避難の長期化などが原因。特に、原発事故では避難先が何度も変わり全国に散らばった。平均で5~6箇所。もともとの住まいとは気候風土の違うところでの暮らしを強いられる。土いじりをし、子供夫婦や孫に囲まれて暮らしていた生活から、仮設、アパートなどに押し込められ、家族は離散、帰還時期や賠償の先行きが見通せない絶望感から来る精神的ストレス。自殺者も多い。関連死には市町村から弔慰金最大500万円。当初は関連死は自然災害死の対象外だったが事故から2か月後に「その他の異常な自然現象」に含めるとして自治体の審査を受けたうえで支払うことになった。9割は高齢者だが一家の大黒柱を失った家族もいる。
① 原発事故の経緯:別紙のとおり
・怒りのリーダー
 俺の聞いたことだけに答えろ:菅首相がヘリで原発に行く途中、班目原子力安全委員長に発した言葉。(班目)は爆発しない、と言ったが爆発して以降信頼されない。菅首相に報告すると、何故だ、誰の責任だと責めるので情報が上がらない。役人は省庁間の都合優先で責任回避。SPEEDI(放射能汚染地図)も出てこない。情報が(上がらない、回らない、漏れる)状態となり、緊急事態の指揮官としては不適格な性格だった、と指摘された。
・情のリーダー、非情のリーダー
・情のリーダー(吉田昌郎):中央制御室電源壊失。計器類確認できない、プラントの進展予想できない。
3/12協力企業の家族持ちを一斉に帰宅させる
 残ったのは3,000人から5~600人に。しまいには4~50人になって決死隊結成。  本社の意向に反し海水注入を続け炉を冷却し続けた。毎夕方5時全員会合で少しでも前進があれば必ず褒めて、ヨーッ、バン!と一本締め。
非常用復水器(IC)が非常用冷却装置として稼働するのを見落とした、とされる。 25年間一度も動かしたことはないし、動いているのを見た人もいない。
・非情のリーダ(増田尚宏):中央制御室は電源OK計器確認可能。プラントの進展予想が可能。優先順序を決めてケーブルやモーターを13日朝までに調達。 冷却機能回復は14日。
電源車を貸してくれという要請を断る。自分の部署のメルトダウンを食い止めるため「帰るな」と人員を確保。(門を閉めたのは第一からの汚染者がそのまま入って第二が汚染されないように、門の脇で除染させるため)冷温停止した23日まで人員確保した。「米国のインシデントコマンドシステムは日本人には合わないと思っている。日本では詳しく知っている人が倒れるまでやるというやり方でないと納得できないのではないか・・・増田の考え
協力会社頼みの部分が多かった。事故がないようにするというより、何かあった時に自分たちの力で収束できないなら事業者の資格はない」
・政府高官の感想
 「国の存亡がかかっているこの間際に、省庁間の損益を考えているこの国は原発を持つべきではなかった」細野豪志
・汚染水:原発事故後政府は東電に資金をつぎ込んで実質上国有化した。しかし省庁の責任とならぬように東電を前面に立てて汚染水処理をさせていた。吉田所長は当時から汚染水処理をどうにかしないと先に進めないと言っていたのに。
国の英知を集めているとは思えない。水処理は日本のお家芸。
・原発事故用のロボット:米国は電力会社がスポンサーになり開発。軍事用のもある。日本は「事故は起こらない。事故用として作るなんて地元が許さない。全部ダウンするなんて想定してない」という理論で導入しなかった。一度開発費を計上しただけで備えることはなかった。
② 原発の仕組み
図の通り。

③ 原子炉の状況
1,2,3号機はメルトダウン。未だに内部がどうなっているか確認できない。4号機は使用済み燃料プールに燃料棒が1,500本余り入っている。これを取り出そうとしているが、簡単でない。東海第二発電所では何年も前にご用済みになった原子炉の廃炉工程にあるがあと20年かかります。何の事故もない状態の原子炉の廃炉に20年ですよ。ましてぐちゃぐちゃになった福島原発の廃炉には何十年あるいは何百年かかるかわかりません、つまり次世代に始末を押し付けることになる。
④ 川内村の動き(別表の通り)
経緯。除染の様子、汚染土置き場など図で。
⑤ 汚染水:タンクへ毎日400トンずつ増えている。現在35万トン。
    タンクからの漏れ:パッキン劣化当たり前。なぜ溶接にしなかった。
    早く安く作りやすい製法・・・漏れ防止の観点にない
    9/27から浄化装置「アルプス」稼働。250トン/日の処理。
    トリチウム以外の62種の核物質を処理できる。
    10月、11月のそれぞれ一基ずつ追加稼働。
    貯蔵中の汚染水は来年度中に全て浄化
    なぜ事故前から浄化装置が完備されなかったのか?関係エンジニアの話
原発賠償:図の通り
   時効は3年という民法を改正して10年にする
14万人の避難者のうち8月末時点で8,800人が請求していない。
懸念:福島の原発被災者と米国先住民
 ・国や東電からの補償金で生きる:補償金をもらう人と貰えない人の境。
津波被害から自立して生きている人たちと原発補償金で生活している人の間で微妙な関係が生じている・・・いわき市
今後の見通し:帰国困難地区の住民が他の自治体へ集団移動(次世代を担う世代が離散していてなかなか纏まらない)
・汚染廃棄物は現在仮置き場に置いてあり、いわゆる中間置き場は未定、最終処理場はさらに未定。使用済み燃料の処理と同じ。人間が制御できないものに手を出してしまった付「つけ」は余りに大きい。
5.見えてきたもの 見えないもの(特に震災に関して)
① 震災・原発事故という亡国の危機に面しても政治取引・省庁間の損得で動く。日本の英知がここぞの時に集まらない。現在の汚染水問題もしかり。 ロボットや水処理は世界トップレベルなのに。
② 国の形が定まらない:自民→民主→自民(対米中韓)
愛国を語れない不思議な国。だから論戦では中韓に太刀打ちできない。
熱く語って行動することがなくなってきた。個々の結びつきが弱くなっている。
本当の意味の愛国心薄い。中韓との対立で少し芽生えた部分もある。
③ 就職難:特に若い人に仕事がない諸悪の根源。アベノミクス、オリンピックに期待。
④ 笑いや「受け」を狙う風潮:TVなどからの影響。大臣も笑いを取ろうと失言などに結びつく。「ほれ、放射能」で辞職。一億総タレント気取り。
⑤ メール、携帯、ゲームの世界に入り込む世代・・・依存症が問題化
⑥ 震災・原発事故という亡国の危機に面しても政治取引・省庁間の損得で動く。日本の英知がここぞの時に集まらない。現在の汚染水問題もしかり。
ロボットや水処理は世界トップレベルなのに。

⑦ 国の形が定まらない:自民→民主→自民(対米中韓)
愛国を語れない不思議な国。だから論戦では中韓に太刀打ちできない。
熱く語って行動することがなくなってきた。個々の結びつきが弱くなっている。
本当の意味の愛国心薄い。中韓との対立で少し芽生えた部分もある。
⑧ 就職難:特に若い人に仕事がない諸悪の根源。アベノミクス、オリンピックに期待。
⑨ 笑いや「受け」を狙う風潮:TVなどからの影響。大臣も笑いを取ろうと失言などに結びつく。「ほれ、放射能」で辞職。一億総タレント気取り。
⑩ メール、携帯、ゲームの世界に入り込む世代・・・依存症が問題化
⑪ 悪徳業者の横行
不動産、投資会社、飲食店、振り込め詐欺・・・被害者高齢女性
⑫ 多雨の国なのに水不足:CAの数百キロの水路に学んでほしい。他県にまたがる行政の問題。
⑬ 震災報道:メディア、広報誌などでは報じられないどろどろが長引く
   札束を見せられながらの避難生活・・・アメリカ先住民に似てこないか
   津波被害と原発被害の違いからくる軋轢・・・いわき市など
⑭ それでもどっこいいいところ
自然・気候、地方(人情)、食べ物、伝統、芸能、国民健康保険、治安 しっかりした若者も多い(30-40-30)
⑮ 若い世代と共存する高齢化社会のモデル国になってほしい
以上

参考文献
船橋洋一「カウントダウン・メルトダウン」上・下
門田隆正「死の淵を見た男・吉田昌郎と福祉第一原発の五百日」
岡本孝司「証言 班目春樹」
柳田邦男「想定外の罠」
文芸春秋2013年6月号、8月号、10月号の原発関連記事
原発関連事故報告書:国会事故調査、政府事故調査、民間事故調査、東電事故調査 群馬大学早川教授作成「福島原発事故による放射能汚染地図」
NHK:クローズアップ現代ほかの映像
文科省:原発事故関連の発表資料
環境省:放射線の影響をどう考えればいいのですか?
原子力安全協会:原子炉の構造、原子力発電の仕組み
Wikipedia:福島第一原発事故の経緯
震災関連画像:NAVERまとめ及び井出撮影
新聞関連:読売新聞、毎日新聞、福島民報、福島民友
広報誌関連:川内村広報、広報富岡町広報、大熊町広報、浪江町広報
井上正(川内村除染アドバイザー):家屋の除染を終えて‐放射能と汚染‐
川内村復興課:帰村復興事業の取り組みと課題
日本年金機構資料
ひたちなか市国民保健、年金、福祉関連資料ほか
資料提供協力:川内村役場復興課
猪狩瑛一(元川内村教育長)
早川千枝子(双葉郡、元教師)
#2013年セミナー #SBMS過去のセミナー

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