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  • 2019年3月「日系川柳100年」「日本の新民話を世界へ!」

2019年3月「日系川柳100年」「日本の新民話を世界へ!」

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2019年3月「日系川柳100...
講師:サニー関(サニー セキ)氏   http://www.sunnyseki.com/
講演の写真集はこちら:https://photos.app.goo.gl/Z2Dh5Mka6EUzfAMCA



東京生まれ、日本大学芸術学部卒。
1971年渡米、サニー関写真館を35年営む傍ら川柳を山中桂甫、花見留雄両氏に学ぶ。
川柳関係では「川柳に残るガーデナー風雲録」(日英語)、
「喜怒哀楽の日系百年史=北米川柳道しるべ」を出版。「羅新川柳」選者。 
また、日本の民話を新しい構想で世界に発信する児童絵本作家として知られ、「招き猫の話」
はNAPA AWARD(全米 PTA絵本賞)を受賞、9カ国語に訳されている。 
「日本最後のカッパ」「ゆこちゃんとダルマさん」「こけしの話」 と受賞作多数。
全て文と絵を担当、日英語のバイリンガルブック。活動はディスニー・チャンネルでも紹介され、
日本語が堪能なアメリカ人の妻との間に子供9人。LA在。

タイトル:
1.「日系川柳100年」の笑いと涙:何万という中から厳選した秀句が日系史の裏側を道案内!
2.「日本の新民話を世界へ!」 :世界の大人も子供も、日本の話を聞きたがっています。
                      どのように絵本を出版し、どうしたら売れるか? 人気の理由を初公開! 

将来、絵本を出したい方は必聴!



〔セミナーの概要〕
日系川柳の紹介は文献のみでなく、インタビューに基づく解説をいたします。
日系移民150年の節目にいる私たちの「現地点」を再確認。 
川柳は揺すれば笑い袋、絞れば涙腺を刺激する文芸!     

絵本の紹介は、日本民話の価値発見から出版、プロモーションまでの苦労と体験談。
スライドを使って、判りやすく解説。

*********************************************
我々の脳は笑うことで活性化するので、これからの長寿社会。笑いをもたらす川柳は必須アイテムになるのではないでしょうか? 今日は川柳と絵本を紹介しつつ、文化とアートについてお話します。

私は最初は写真家として米国に来て、米国の紹介を日本にしていました。
特に西海岸が日本で人気があり、日本の雑誌の仕事ばかりしていましたが、
そのうち、西海岸ブームが去り仕事が減ることに、、、
私の妻は教会のパイプオルガン奏者をしており、ある日、ウェディング会場に来なかったカメラマンの代わりに写真を撮ることになり、それがきっかけでウェディング写真の仕事を多くすることになりました。
そしてその分野を突き詰め、1985年にウエディング写真の国際コンテストで一位受賞を果たしました。ウエディング写真は人生の門出で、その家族や友人たちへと仕事が増え、写真スタジオは大繁盛。
しかし時代はデジタルへと代わり、みなさんの思い出を残す方法も変わっていきます。私は写真以外の自分のアートの可能性を模索しはじめました。(ここまでが自己紹介です)


第1部

1985年頃から川柳を学び始め、諸先輩から頂いた記録をもとに、編者として以下の2冊をまとめました。
★ガーデナー風雲録(日英語・Gardeners Pioneer Story)南加庭園業連盟刊

★北米川柳道しるべ(喜怒哀楽の日系100年史)

川柳と俳句は短詩の兄弟分であり、俳句は自然、川柳は人間をうたいます。

・本降りになって出てゆく雨宿り
「やむ終えない笑い」がここにはあります。


サラリーマン川柳、OL川柳、シルバー川柳など、今いろいろな川柳がありますが、
米国には日系人が残した貴重な100年来の生活の記録が川柳に詠まれています。

見たままや、感じたことを575に凝縮できる川柳は本当に素晴らしい文芸と思います。

・お隣りも念仏となる船の揺れ

これは小さい移民船の航海中に読まれた川柳です。
若松コロニーの日本人の渡米から2019年の今年で、ちょうど150年記念になります。
当時彼らは米国で絹やお茶の生産を目指したのですが、開拓団の企画は失敗しました。
米国で公式記録にある最初の日本女性のお墓は、ゴールドヒルの「おけいの墓」です。

この頃、200円の渡航費用が必要でした。当時の200円は大金で、川柳の中にもこの渡航費を返済する苦労をよんだ句が多くあります。

・永住も帰国の沙汰も金次第
・踏まれつつ二世は強く伸びて行き
・亜米利加の乞食葉巻を加えて居

1906年サンフランシスコの大地震 
この地震は日本人を完全にサンフランシスコから追い出すことになり、
約2000人の日本人はロサンゼルスへ向け南下していったのです。

・隣席に白人がいて黙り合い
・波までがジャップジャップと船に寄せ

写真結婚(ピクチャー・ブライド)を詠んだ句も多くありました。
・寫眞屋の腕で婚約無事に済み
思っていた男性(女性)と違ったことで、「駆け落ちの後を寫眞が追いかける」という句が詠まれ、
人探しの広告が出るほどでした。

日本人は土地が買えなかった当時
・夫婦して拓いた土地は他人のもの
・母チャンは あれと子が指す仏間の灯

農業での収入は、天候や立地条件で豊作不作が激しく、ある意味“賭け”でした。
そしてグループで助け合わないと、大きな事業を展開できませんでした。
また日本人の働きに脅威を覚えた米国人からの軋轢もありました。

・妻が買ふ品は帰朝の日に備え
・アップルを磨かせられる大学出
・秀才も雇ってくれぬ肌の色
・一街は俺の町なりうどんソバ

日系人排斥の最大人物は William Randolph Hearst ウイリアム・ランドルフ・ハーストで、
新聞王と呼ばれました。アメリカの メディア・コングロマリット、ハースト・コーポレーションの創業者。映画『市民ケーン』のモデルとしても有名。ハースト系の新聞、雑誌は「日本人叩き」で売り上げを伸ばし、日系人は彼の豪邸を怒りと嘆きのまなざしで見ていました。

ですから、彼の豪邸Hearst Castleに日本からの観光客がひしめきあっているのを見ると、日系人の歴史を知って欲しいなあ~と痛感します。
 
風刺画にも日本を叩くものが多くありました。
Theodor Seuss Geisei絵本作家、画家、詩人、児童文学作家、漫画家。
ドクター・スース

第二次世界大戦が始まり、日系人は強制収容所へと送られます。

・半生の汗を手提げの荷にまとめ
・馬小屋に住んでニンジン喰はされる(サンタアニタ競馬場が仮施設となった)
・神様も一時馬屋の棚の上
・石ツブテ受けることなく収容所
・病妻へあちこち探す日本薬
・耐え忍ぶ苦難の地にも野菜畑
・箱の中リスあきらめの輪に遊び
・勘須磨が来たと人々袖を引き (今、100歳になっても日本舞踊の先頭に立つ藤間勘須磨さんは、収容所内でも目立った存在で、いつも「藤色」の服を着ていたそうです)
・あせるなとキャンプの窓に花が咲く 
(缶詰の空き缶を鉢植えにし窓辺で花を育てていた)
・ポストンの名所が殖へる池ができ

日本人が暮らしていた収容所には苦しくても、生活向上を目指す美がありました。
第2次世界大戦の最中、米国生まれの青年達の多くは日系米国軍人として志願をして
行き、残された親達は悲嘆にくれました。

・本当に征く気か そっと聞いてみる
・送り出し母はしょんぼり柵の中 (柵は収容所のこと)
・カシノ線 世紀を飾る百部隊
(カッシーノは一日に数千人の死傷者を出し、6カ月近くドイツ兵の圧倒的パワーに翻弄させられたイタリアの激戦地、日系部隊が突入し陥落させる。その後も転戦、目覚ましい武勲を挙げるが、同時に大量の死傷者を出した。)  

出兵した日系軍人の半分以上は戻ってきませんでした。自ら率先してアメリカ人であることを実証した日系軍人の死傷率は、一般アメリカ軍部隊の5倍を上回ったと言います。彼らは、それが唯一、親たちが収容所から解放される方法と信じて出て行ったのでした。

・ふっつりと戦地の子から便り絶へ (「ふっつり」の日本語は平仮名でしか表せない、深い情感を内包しています)
・市民権くれない國に子を捧げ
・忠誠は遺骨となって認められ

日本語の良さは最終的に「ひらがな」に行くような気がします。
日本人自身が持っていた和語
絆=気(気持ち)が繋がりあうのが“きずな”「絆」であるが、漢字では「心持ち」は伝わらない。
象形文字である漢字が中国から入ってきて、和語を漢字に当てはめて行きました。

収容所をでた日本人たちの作品。
・素っ裸に されて流転の群れ帰り
・さげすみの涙に一人ミシン踏む
・國はどうあろうと焦る儲け口
・人情に東西は無い手の温み

出所費25ドルだけもらって帰ってきた日本人
・再建のわき目もふらぬ暮らし向き
・好き嫌ひ ある子諭して祖国(くに)のこと
・家建てる夢ワンダラのシワのばし     

戸栗郁子=Orphan Ann(Tokyo Rose)日系の彼女は、日本の軍部の命令で、アメリカ兵向けに流した「厭戦気分を高めるラジオ・キャスター」として、米兵の間で人気。終戦とともに逮捕され、国家反逆罪で16年の懲役。しかし、一番人気だった「東京ローズ」(実際、こうしたキャスターは7、8人いた)は、横須賀で酔っ払った米兵の運転するジープが横転、下敷きになって死亡。本名その他不明。

日本人はガーデナーとして活躍、家族を支え、ロサンゼルスの衛星都市には23組合もあり日系社会を成長させました。 

・握手する手にこの人もガーデナー
・花植える背に百姓の型残る

日本人ガーデナーは勤勉で無口で誠実。ハリウッドのセレブたちから好まれていました。
ガーデナー連盟のフローガンは「米国人よりも稼げ。日本人よりも使うな。お金は子弟たちへの教育へ回せ。余ったら日系社会へ投資を。それが我々の未来を支える」でした。
日系社会を育成したガーデナーの方々の活躍、貢献を忘れてはいけないと思います。

南加庭園業連盟の元会長である小山信吉氏が前に出て発言。 

・子と孫を博士にさせたロンモアー
・暖かい善意レーガン氏の土産 (謝罪と賠償金)
・星条旗 俺も移民の帽を取り
(最終的に米国に骨を埋める覚悟が見えます)


第2部 絵本

私の日本文化発信の一手段として始めたのが、日本民話を「影絵」で見せることです。
するとすぐ、ディズニーチャンネルからオファーが来ました。

絵本作家への道

私はダミーブック(試作品)を作って各出版社に送りましたが、
断り、不採用の返信ばかり来ます。

影響を受けた絵本
Gyo Fujikawa :NY在住。日系2世。黒人と白人が同じ本に初めて描いた絵本。
Allan Say: Richard Scary, David Shanon.   

絵本作家協会に入り、どうしたら絵本が出版できるか学ばないと、いつまでも
待っているだけになってしまうと気が付きます。
SCBWI (Society of Children's Book Writers and Illustrators)に入会。

アメリカ絵本作家協会に入会し、セミナーやワークショップを受けるうちに、
やはり自分自身のスタイルに特徴がないとダメだと思うようになりました。  
米国ではテディベアが人気。そのテディベアに匹敵するのは、日本では「まねき猫」
ではないか! と、思い当たります。
日本の猫文化をリサーチしていくうち、その歴史が奥深いことを学ぶ。
166年前に、歌川広重が「まねき猫」を売る屋台を描いており、すでに人気商品だった。
猫は米を鳥や鼠から守り、鼠はお蚕が大好物なので、セキュリティ・ガードの役を果たしてきました。

ハローキティも 招き猫から!
ハローキティーは「禅」的。 口がない。言語が関係ない。シンプル。

豪徳寺(世田谷)の招き猫の話を絵本にすることに決めました。
そしてどのようなスタイルがいいか。
子供達にモデルになってもらいスケッチ。
そしてダミーブックを持って米国の出版イベントを回り、ついに出版決定!
その結果 NAPA AWARDを受賞し、今では9ヶ国語に翻訳されています。

私以前に、誰も「招き猫の絵本」を出していなかったのが不思議で、
使命感を感じたものでした。

日本を満載した絵を描くために
「浮世絵」
「版画」
日本独自の風習なども数多く紹介
天水桶、せみ、手ぬぐい、侍の刀から始まった左側通行、日本凧その他

2冊目は「日本最後のカッパ」 「The Last Kappa of Old Japan」
カッパは北日本ほど赤く、南に行くほど緑色になってゆく。
米国に渡ったカッパは「忍者タートル」となり、好物は「きゅうり」ではなく「ピザ」!

カッパに「水」は欠かせないので、北斎の「神奈川沖波裏」の波も、
私の絵に取り入れています。

自分の作品の方向性確認のためにも、先輩の意見を聞くことは大切です。
尊敬するR.W.Alleyさんに私の絵を見せに行きました。

「どうしたら日本をうまく詰め込むことができるか?」
をずっと、考えてきました。

3冊目は「ゆこちゃんとダルマさん」1783年の浅間山大噴火で
被害を受けた群馬県高崎村が、ダルマの起き上がりこぼしを
作って売り出した実話に基づきます。
世界的な禅ブーム。しかし、それをインドからもたらしたダルマを
紹介したものは少ない。「七転び八起き」をメッセージとし、
絵にも広重のスタイルを取り入れています。

4冊目は「こけしの話」The little Kokeshi doll from Fukushima
西欧の美術彫刻品は、大理石中心で硬く冷たい。  
一方、日本のアートは、木を使った正倉院をはじめ、仏像彫刻もソフトで暖かい。
素朴な民芸品である「こけし」の良さを、誕生物語として再構成しました。
コケシの産地である、東北の温泉や風物、景色をふんだんに盛り込むよう
配慮しています。

以上のことは、日本が世界に誇れる文化と芸術であり、私はこれからも
日本の良さを世界にアッピールしてゆくつもりです。  
おかげさまで、学校や図書館、色々な団体からプレゼンテーション、ブックサインの
要請が来るようになってきたのは、嬉しい反応です。
 
各種イベントに多く参加していますので、http://www.sunnyseki.com/もご覧下さい。
今日は、みなさま、ありがとうございました。

#2019年セミナー

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