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  • 2019年8月セミナー「私が経験した転換期のソ連・東欧」

2019年8月セミナー「私が経験した転換期のソ連・東欧」

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概要
「ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が崩壊してロシアをはじめとする15の国が誕生してから28年が経ちました。今は、かつてソ連という国があったことさえ知らない人たちさえいます。ソ連はどのような国だったのか、ソ連の後に誕生したロシアはどのような国なのか、ソ連から独立したウクライナ、カザフスタン、ソ連の影響下から離れたポーランドがどのような道を歩んできたのか、そして、日本とどのような関係にあるのかについて、外交政治経済といった難しい話ではなく私の経験に基づいてお話したいと思います。」


1.ロシア基本編
(ロシアの地理・歴史・文化・政治、日露・日ソ交流史、 日ロ関係における著名文化人)

2.当時のソ連(国際情勢、ソ連の政治・経済)

3.私が経験した当時のソ連社会

4.私が経験したウクライナ(ウクライナとロシア、ウクライナと日本、私の経験)

5.私が経験したカザフスタン(中央アジア概況、カザフスタンと日本、私の経験)

6.私が経験したポーランド(東欧革命、ポーランドと日本、私の経験)

7.結語




講師:松尾浩樹(まつお ひろき)
   
在ロサンゼルス日本国総領事館主席領事

富山県 生まれ 
早稲田大学法学部卒業

1987年 外務省入省

1988年 在英大使館 三等理事官

1989年 在ソヴィエト連邦大使館 三等理事官 

1990年 在ナホトカ総領事館 副領事

1992年 欧州局ロシア課 

1997年 総合外交政策局国連政策課

2001年 在ポーランド大使館  二等書記官、一等書記官 

2004年 在カザフスタン大使館 参事官 

2008年 在ウクライナ大使館 参事官 

2010年 欧州局中央アジア・コーカサス室 課長補佐、首席事務官 

2013年 欧州局日露経済室及び日露交流室 首席事務官

2016年 大臣官房会計課福利厚生室 首席事務官

2017年12月~在ロサンゼルス総領事館 首席領事


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ソ連・ロシアという国について
ソ連が崩壊して28年
862年 ノルマン人リューリックが建国 ロシア人の互いに争いが耐えないため、リューリックを呼んで統治してもらったとの伝説もあります。882年 キエフ大公国

13世紀〜15世紀タタールのくびき
200年に亘るタタールの支配はロシア、ロシア人にも大きな影響を与えたと言われます。
1340年モスクワ大公国
1547年イワン4世 即位 ロシアでの初めて皇帝(ツアー)として即位
1613年 ロマノフ朝
1721年 ロシア帝国
第一次世界大戦に負け、1917年、レーニンによる革命、ロシア社会主義共和国連邦が成立し
1922年ソビエト社会主義共和国連邦となる
1991年ソ連崩壊
ロシアの国旗:赤は社会主義・共産主義、鎌は労働者

ソ連の体制
77年憲法では、第6条でソ連共産党の指導性が明記。また、第10条で社会主義的所有を明記
最高会議は、ソビエト連邦における立法府(議会)の名称であり、幹部会議長は国家元首に相当するが実権はソ連共産党書記長。

ソ連歴代指導者
1917年 レーニン 建国
1922年 スターリン 大粛清、重工業化、ナチスドイツを撃退、冷戦
1953年 マレンコフ/フルシチョフ スターリン批判、中ソ対立
1964年 ブレジネフ 対外進出、アフガニスタン軍事介入、停滞の時代
1982年 アンドロポフ KGB出身
1984年 チェルネンコ 1年で他界
1985年 ゴルバチョフ 国民の期待を浴びて登場

ソ連とロシアの貿易
輸出:石油・天然ガスなど、輸入:機械、食糧など
石油・天然ガスといった天然資源を輸出し、機械・食糧などを購入する形は同じ。

ロシア人の名前の呼び方。ゴルバチョフ書記長のフルネームは、ミハイル・セルゲーエヴィチ・ゴルバチョフ。ミドルネームは誰々の息子という意味

ゴルバチョフ時代(前期):1985年〜1988年
スローガンの時代。生産性を高めるために反アルコールキャンペーン。
本・歌。映画に酒が出てくるのはすべてNG
ぶどう園(ワイン)も焼き払うに到る。
酒の代わりにオーデコロンを飲んだり、パンに靴墨を塗り、パンに滲みてくる靴墨のアルコール分を食べたりする話があった。反アルコールキャンペーンは歳入に支障を来し1987年に中止
ゴルバチョフは、ペレストロイカでソ連の政治・経済・社会の立て直しを呼びかけ、グラスノスチで政治の見える化をはかり、国民の意思と直結して改革を進めようとした。

アフガニスタン撤兵など、外交面・安全保障面では成果があったが、経済改革は不調。1987年に配給制度(肉や砂糖など)を開始、1987年に合弁企業法、1988年 国営企業法、いずれも国家統制は残っていたので期待した成果は得られず。1988年の共同組合法は、私企業を実質的に認めたもの。


ソ連には笑顔は溢れていないが、身内には本当に優しいソ連人。ロシアになってから笑顔を見せるようになった。

多くの家庭が郊外にダーチャといわれる菜園を持っていてソ連末期~崩壊後の経済危機からロシア国民の食生活を救った。

マクドナルド1号店が開店した際は3時間半の行列。

ロシア語でプラウダは「真実」、イズベスチヤは「お知らせ」の意味。当時、プラウダに真実無くイズベスチヤにお知らせなしと言われた。また、プラウダは「プラウダ?(ほんとですか?)」「プラウダ(本当です)」と日常生活で使う。

ゴルバチョフ時代(破局) 1989年〜1991年
民族紛争。東欧革命。憲法改正で共産党の指導性を否定し、複数政党制を認め、大統領制を導入。ゴルバチョフは最初で最後のソ連大統領に。

1991年 ソ連の消滅 
ロシア連邦社会主義共和国の主権宣言、新連邦条約を阻止しようとする人たちが8月のクーデターを起こすが、エリツィン他の活躍で失敗。ゴルバチョフとエリツィンの力関係が逆転。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ等がより緩やかな国家連合である新独立国家共同体CISの設立に合意。ソ連崩壊とロシア成立。その後、混乱が続く中、安定を取り戻し、ロシアを再び大国にしようとしているのがプーチン。最近、人気に陰りがあるが、ロシアでは根強い支持がある。

何故ソ連が崩壊したのか
国際石油価格の下落説 1バーレル31ドルが11ドルに。ソ連の機械・食糧の買い付けに支障
軍事支出の負担増説
ゴルバチョフの改革自体を原因とする説
計画経済の限界説?
民族紛争説?
民族主義の覚醒?ロシア連邦の主権宣言

東ヨーロッパ
ポーランド:何度も滅亡しましたが、不死鳥の国 親日国
      シベリアにいた戦争孤児を日本の赤十字が助け、第一次大戦後ポーランドに返した。
カザフスタン;中央アジアの資源大国 人口は日本の10分の1でも国土は7倍
       中国とロシアに挟まれた国、夏は砂嵐、冬は雪嵐
ウクライナ:人口5千万弱
      東半分はロシア帝国、西側はポーランド・オーストリアの治世下、東西の意識に違い
      1991年にウクライナ人国家として初めて独立
      国の中で第二次世界大戦の共通の歴史認識が持てない国。

ビジネスを離れてロシア人とお付き合いをすると、とても友好的で人情もある人たち。
私が好きな料理はボルシチですが、実はボルシチはウクライナ料理です。

以上ですが、講演資料はここをクリックしてご覧ください。https://drive.google.com/file/d/1JllltTP5wD8K7gYaGS1bVnAnL8LtJrz5/view?usp=sharing
#2019年セミナー

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