浮いては語る 字念の園 ひとの深層にある眠りし字源を起こし ほど良き道への案内人 与えられた天命に自身をのせ 全うすべく 字念師が居る 私はひとの背後に浮き出ている字が見える それは文字を覚え始めた頃 見えていたのは念字の中核文字ではなく そのひとが出す ため息や驚きや叱り声のようなもの 「はあ」とか「あっ」といったひらがな文字 覚えた字とひとから出る字念 重なり合う時に浮き出して 私にとってそれは特別なことではなく とても日常的な現象 特殊な能力であることに 気づくのはそれから少し後のこと お父さんは木だね とても大きい木だね 小学一年生の私 覚えたばかりの文字が父の背後に そうか お父さんは木なのか それも大きい木なんだね そう 大きな「木」の字だよ 「木」の字? そうだよ 「木」の字 はてはて 何を言っているのかね〜 そんな家族での会話 ちょっと変わった子 それくらいに思われていた でも背後文字のことを言っても 家族は敬遠することはなく 私の個性だと 伸び伸びと育てられ 背後文字を見る能力は開花して行く 小学三年生 次々に漢字を覚え始め 辞書を読むことが遊びのように 文字に惹かれてゆく すでに 通り過ぎるひとの三人に一人 背後文字が見えるように 話す時はね きちんと相手の目を見て話しなさい 発(はつ)のまわりに急(きゅう)の字か… 気持ちがいそがしい先生 はい? 何を言っているのですか あなたはまったく! 初めて会った先生の背後文字 話す視線は頭や肩の上 つい誰かを怒らせてしまうことも 傷つく私 どうしてと流れる涙 そんな場面は頻繁に ひとと違う感覚に悩む日々 おばあちゃん えーとね わたし 字が見えるの ほっ じ っていうのはなんだね 文字の字だよ ほう それがどこで見えるのかい うーん おばあちゃんの頭の上には 地球の「地」の字が見えてるよ ほう そうかい わしに「地」がね 土は好きじゃよ きれいな花も咲かすし どんっ と したところも落ち着いていいの そうかい やはり見えているんじゃね うすうすそうかなあ なんて思っていたけど そうかい見えるんじゃの わしの父親の生まれ変わりじゃなあ こりゃ あんたの曾祖父さんが やはり ひとの背後に文字が見えていたんじゃよ わしの中核文字は「地」 と 言っていた こりゃ こりゃ たまげたよ そうかい そうなのかい 母の実家へ行った時 祖母は 私が見える背後文字について 家族に説明してくれた 一番の理解者 「ひとの気質みたいなものを見ることが、 できるようじゃの」 祖母は父親の言葉を思い出しながら、両親に「気質みたいなもの」を生まれ持っている性格、人格とか本能という言葉を用いて丁寧に説明しました。 曾祖父さんは、大正から昭和にかけて医師をしていました。地元のひとからその献身的な治療をとても感謝され、尊敬される人物であったようです。その祖父母が三十歳を超えた頃、不思議な現象が現れたというのです。それが、ひとの背後に見える文字だったのです。 「どうしたことなんだ。こんな現象が現れるなんて、私は心の病に侵されてしまったのか」 悩み続けて食も細くなってしまい命も危うい状態になり、床に伏せた曾祖父はある夢を見たという。 字念の神と名乗る者が現れ、「お前はひとを思い労わる心を強く持ち、そのひとの中核に持つ本来の本質や生き方を字を通し見ることが出来る。何もその能力に恐れることはない。その力を生かして行くことが、お前の天命じゃ」との言葉を発したと言う。 それ以来、曾祖父は体調もすこぶる順調に良くなり、医師をしながら裏看板『字念屋』を掲げ、ひとびとの悩みに添い本来の生き方を示し続け、占い業も全うしたと言う。 両親は祖母の話を頷ながら聞き、私の見える背後文字とその意味が繋がり始めました。そして、私がこの話を聞いたのは中学生になってからのことです。 その後、小学生の私は学校や近所で背後文字の話を控えるようになりましたが、家族の中では背後文字に関わる話を、今までより楽しそうに聞いてくれるようになりました。悩んでいることから少し解放され、私の背後文字を読み取る能力、語彙を増やしながら、その世界は広がってゆくのです。 神社のお稲荷さんを見るたびに なんだか懐かしく しっくりした気持ちになっていた そして 鏡に私の背後文字 「狐」 初めて見た自分の中核文字 狐 コンコンなのね わたし 時の流れ ひとの流れに溺れた者へ 手を差し伸べ 中核文字を覆う煤を払い 悩みに添い叡智を与え 人生の道標を立てる生業 背後占い『字念屋』の主 平成の字念師 ここに現わる 字念…ひとが持っている特性や本質、心の叫び等を字として具現化されたもの。 背後文字…ひとの背後に現れる字念。字念師がひとの導きをする際に使う。 中核文字…背後文字の中で、そのひとの人格を形成する中核となる文字。