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B

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9月16日







Bのことをちゃんと書いておこう。


Bは9月9日に亡くなった。


その日、近所にある獣医さんに午後4時45分の予約を入れていた。朝、夫が電話で相談し、その時間となった。実はわたし、密かに、午後一番に診て貰えるかもしれないと期待していたので、夕方の、かなり遅い時間の予約に、ちょっと驚いた。が、だからと言って、早急に診てください、と頼むような状況ではないこともどこかで知っていた。

娘には、確かその前日だったと思う、獣医に連れて行くこと、そして、彼女自身の気持ちを聞いておきたいという話をしていた。「あなたの気持ちを抜きにして、わたしとダディとで決めても良いのか、それともあなた自身がどうしたいのか、それを聞いたからって約束できるかどうかはわからないけれど」というような内容だったと思う。そのとき彼女は、「もうちょっと時間が欲しい」と言っていた。「もう少し待って、Bが回復するかもしれないし・・・」というようなことだった。

Bが食べなくなってから、3日目だった。tramadolの副作用かもしれないから、と、薬を止めてからもしかしたら食欲が出てくるかもしれない、とまだ希望を持っていた。その朝も、もしかしたら・・という望みで、フードをあげようとしたが、Bは顔をそむけてしまった。それでも水は飲んでくれていた。水を飲めるのなら・・と、やはり希望を持ち続けた。

夫はなかなか彼自身の本当の気持ちを打ち明けてくれなかった。「もう駄目だってことなんだろう」と言ったり、「もう少し待ったらお腹の具合いも良くなるかもしれない」と言ったり。あぁそうか・・本当の気持ちなんてもの、まだわかってなかったのかもしれない。それはそうだ、わたしも、娘も。


その日の午後、娘は学校へ行くのを躊躇っていた。バイトから帰って来た後、わたしと夫が留守にしている間、彼女はBの傍にいてくれた。そしてバトンタッチで学校へ行くという時間。なかなかその準備を始めない。Bと一緒に獣医さんに行きたいと思っていたのだろう。


「学校、行かないと・・」と、声をかけた。3時過ぎのことだった。娘は厳しい顔で、「でも、、、」と言って言葉を濁す。わたしも、なんて言ってあげたら良いのかわからない。すると夫が切り出した。「大丈夫、Bは連れて帰ってくるから」
それを聞いて、わたし自身いきなり明るくなってしまった。「ほら!ダディがああ言ってる。そう、Bは連れ帰ってくるから。約束する。今日、どうこう、ってことは、ないから!どうにか良い薬があるかもしれない、注射して貰うことだって出来るかもしれない。だから!」
それでも娘は、渋々と出かけて行った。出かけしなに、学校から直接獣医さんのところへ来るように、と伝えた。予約時間と彼女の講義の終了する時間が同じだった。学校から直接来れば、ものの15分もかからない。


時間が迫ってくるにつれ、気持ちが落ち着かない。Bは相変わらず、ぐったりとクッションに横たわっている。B、B、B、どうしたら良い、、、
何度か彼に言った、「もう行っていいよ」を思い返す。あんなこと、言わなきゃ良かった、と、後悔する。でも、「行かないで」なんて言えない。こんなに苦しそうじゃないか。こんなに頑張ってるじゃないか。これ以上、どう頑張れというのだ。


その朝、Bはloose stoolで、綺麗にするのが大変だった。いや、手間や時間がかかるのはどうってことない。ただ、B自身に酷い苦痛を与えてしまうことが辛かった。何度か向きを換え、手の届く範囲で出来る限り綺麗にする、その繰り返しで、ようやくさっぱりした。が、Bの躯を支える度に、彼の削げ落ちた肉の、骨と皮だけの躯に、胸が痛んだ。苦しいだろうに、何も言わず(言えず)、ただわたしに身を任せるしかないB。ごめんね、ごめんね、と繰り返しながら、彼を綺麗にした。獣医さんに行くからね、汚れたままじゃいやだよね、と言いながら。そして、最後に、お尻の辺りの毛を短く刈り揃えた。立派なBの毛を、最後の最期に。


Pの写真を、Bの顔のすぐ近く、クッションの下へ少し差し込むような形で置いておいたのは、Bを綺麗にした後だった。ほら、Pが一緒にいるからね、とBに声をかけて。そして、心の中で、ちゃんと良いようにしてね、Pちゃん、と祈った。わかっているのでしょう、Pは、ちゃんと、そのときがわかっているのでしょう。だから、Bの良いように、Pが迎えに来るんだよ、そう祈った。


4時35分、ガレージのドアを開けて村野さんのエンジンをかけ、車内を冷やし始めた。まだまだ暑い日だった。それからD&Cをわたしたちのベッドルームへと連れて行った。Bを運び入れるときに、彼らがまとわりついてしまうのを避けたかった。というよりも、Bを運んで行く様子を、彼らに見せたくなかった。ここまで弱々しくなってしまったBを見せたくなかった。
が、今になって、あのとき、きちんとお別れさせなかったことが悔やまれる。もしかしたら、D&Cは気付いていたかもしれない。Dは特に、Bのことを慕っていたので、何かわかっていたような仕草も見られた。なのに、挨拶させる機会を設けなかったことが悔やまれる。でも、正直、そんな余裕はなかった。それに、Bを連れて帰ってくるつもりでもいた。心のどこかで、それも期待していたのだ。


4時44分、予約時間ギリギリに家を出た。獣医さんは歩いても行ける距離ではあるのだが、わたしも夫も、予約時間より早めに行こうという気にはなれなかったのだと思う。到着したのは、4時47分頃。夫がクッションごとBを抱きかかえて。


アシスタントの女性が優しく迎え入れてくれた。オフィス近くの診察室に案内され、Bはそこへ横たわった。sweetieと、彼女はBに声をかけていた。それだけで、ありがたかった。Bのことを丁寧に診てくれるんだ、と思えた。
獣医さんが来て、Bを診始めた頃に娘が入って来た。あぁ良かった、もう着いたんだね。これでもう大丈夫、と思った。家族みんな一緒だ。Bも嬉しかっただろう。きっとそうに違いない。


もしかしたら、わたしも、娘も、そして夫も、みんなそれぞれ、心のどこかで、こうなることがわかっていたのかもしれない。
獣医さんは、厳しい顔だった。そして、決断するのはわたしたちだと言った。


Bのお腹に腫瘍が触れる、ということだった。しかも、かなりの大きさだと言う。「以前の獣医からこのことは?」と訊かれた。いえ、何も。もしかしたら彼は知っていて、ただわたしたちに言わなかっただけかもしれない、と伝えた。それもあり得ると思ったし、そんなこと、どうでも良いと思った。
腫瘍のことは、わたし自身、薄々と感じていた。ただ、腫瘍があるからと言って、治療することはなかっただろう。この歳だもの、腫瘍があったって、おかしくはない。今まで言われなかったことのほうが驚きだ。Dr.Pは、知っていながら言わなかったのか、それとも。


獣医の話によると、その腫瘍がまわりの組織に浸潤し、そしてなんらかの出血を起こしている可能性が高い、と言う。血尿も、今朝の下痢も、その影響だろう。もちろん、出血していない可能性もないとは言えない。スペシャリストを紹介し、そこで精密検査をすることも出来る。しかしこの歳では手術は耐えられないだろう。が、そういう選択も出来る、もしも「わたしたちが」望むのなら。


わたしは首を振った。検査など、必要ない。これ以上の苦痛をBに与えることなどしたくない。手術なんてもっての他だ。わたしの望みはひとつ。Bのcomfort・・彼がゆっくりと休めること。でも、それは「永遠の」comfortになってしまうのかもしれない、、Bと今、お別れしなければならないのかもしれない、、、

横たわっているBは、まだ温かく、そして息をしている。苦しいだろうに、しっかりと息をしている。そんなBの呼吸を止めるのか?わたしたちの意志で?わたしたちの決意で?


簡単には出せない答えだった。楽にしてあげたい、という気持ちと、別れたくない、手放したくない、という気持ちと。

獣医さんは、わたしたちの様子を見て、家族でじっくり話し合ってください、と席をはずしてくれた。彼女が部屋を出てから、わたしたちは、ぽつりぽつりと言葉を出し合った。それぞれが苦しい、それぞれが悲しい。でも、それぞれが考えなければならない。それぞれが、決めなくてはならない。


すべてが終わった夜、娘は言った。
彼女の好きなTV番組で、某mediumが言ったという言葉。"When you feel something, that is what the spirit tells you.There is no such thing as coincidences."
娘はあのとき、わたしたちに言った、特に、ダディに向かって言った。わたしたちが留守のとき、Bと一緒にいたその時間、Bは確かに娘に言ったのだと言う。Bは、逝く準備が出来たのだ、そうしていいよ、と、娘に言った。


わたしはどうだろう、と思った。わたしは、彼がわたしに言う前に、わたしから彼に言ってしまったかもしれない。「もういいよ、闘わなくていいよ、Pのところへ行きなさい、安心して、行きなさい」

長い夜が幾晩か続いた。Bは夜になると不穏になり、その姿を目の当たりにするわたしは辛かった。Bはこんな夜を過ごすべきではない、と思えた。もういいよ、と言いたかった。だがそれはBのためか?それともわたしのため?
そんな問いが幾度かあった。そして、答えが出せないでいた。
そんなわたしに、娘から聞いた、あのmediumの言葉、わたしが「感じた」何かというのは、そのスピリットがわたしに伝えようとしていること。
やっと決心がついた感じだった。それでいい、と思えた。この決断の重みを、抱きかかえて生きることくらい、Bの苦痛に比べれば、、、と思えた。


一番、決断できないでいたのは夫だった。わたしと娘の決心を聞いてからも、「明日、Bの大好きなところへ連れて行けないだろうか、公園とか、どこか、外へ」そんなことを繰り返していた。彼の気持ちも痛いほどにわかった。彼にしてみれば、永遠の息子。楽しいときも苦しいときも悲しみ、淋しさ、辛さ、すべてを一緒に過ごして来た、わたしたちと別居していたときにもともにいた、永遠の同志、だ。

それでも、夫もついに決心した。これでいい、そうしよう、と言ってくれた。娘から、「これは多数決で決めることじゃない、unanimousでなくちゃならない」と。



獣医は、今の方法というのはなるべく苦痛を与えぬよう前投薬がある、と言う。麻酔のようなもので、深い眠りへと導いてから、その処置を行うのだそう。「だから、この注射では痛みも何も感じず、だんだん眠くなり、眠ってしまいます」

Bにその注射が打たれ、獣医はまた席をはずした。わたしたちは悲しみに打ちひしがれつつ、Bの躯を撫でながら、Bに声をかけた。ありがとう、Bはとても立派な犬だったよ、最高の犬だ、Pが迎えに来るよ、一緒に行くんだよ、わたしたちのことは心配しないでね、B、ありがとう、B、ずっと一緒にいてくれて、ありがとう。


放心したように椅子に腰掛けていた夫に、あなたも声をかけてよ、と言うと、彼は「もうBは眠ってて僕らの声なんか聞こえない」と言うので、Bのスピリットはすべてを見て聞いているのよ!と、叱咤した。すると彼は立ち上がり、Bの頭を撫でながら、Bの大好きな、夫作詞作曲の、あの歌を謳った。Bがパピィだった頃、いきなりBに謳い出した、あの歌だ。B、B、良かったね、大好きなダディの、あの歌!!Bのために作った、最高の歌!!


獣医は2回戻って来て、Bの眠りの様子をはかり、まだ浅いと言っては退室した。そして、とうとう、そのときが来て、注射をした。
が、Bの血圧は相当、低かったのだろう、血管が出て来ず、彼女は何度かやり直した。挿入してからの、血液の逆流がなかったからだ。痛みはもうないとは言え、何度も刺されるのを見るのは耐え難かった。終わりの終わりまで、、、と辛かった。
そして、とうとう注射を終えた後・・・He's gone...わたしはそうつぶやいた。が、獣医は心臓の音を聴診器で確認、「彼の心臓は本当に、強い」と言っていた。あぁ、、、、、B、ごめん、、、、
そして、やっと、獣医が言った。1分半以上、ずっと心音の確認が取れなかったので、これで。そして彼女は、また退室していった。

わたしたちは、それぞれに、Bとのお別れをした。アシスタントの計らいで、Bの毛を少し切って分けて貰った。一緒に火葬して貰う何かを持って来ていなかったことを悔やんだ。出かけしなに、ふと思ったのだが、あのときは連れて帰るつもりでいたし、そういう準備をして行くのが躊躇われたのだった。Bの好きだったテニスボールを取りに帰ると夫に言ったのだが、夫は「もういいから」と聞かなかった。家族一緒に、みんなで見送れたのだから、良いよ、と。


獣医が心音の確認をしたときに、時間を確かめた。5時43分。この時刻を忘れない、と思った。Bを送った、時刻。


予約の時間から1時間弱のことだった。

こうして、BはPの元へと旅立って行った。









#日記 #犬日記

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