6/30/2016 昨日の母。 「フジコおばの ぬっちん いしきゅんかなよ ぐわいの悪さんだろやー ち うむいかた」 「フジコおばっちば わきゃ のの おるん さばくりしゅんちゅ 駐在のむこうぼて」 栄養士さん来訪。先日、看護師を通して依頼していた件は伝わっていなかった様子。も、メイバランスとなんとかポチ(高カロリードリンク)を毎日午後3:00頃、交互に送ってくださるとのこと。 栄養士さん曰く、母はNさんのことを覚えていたらしい。喜んでおられた。やはり、馴染みの顔には反応が良いのだろう。 父ちゃんの名前と霊名は書きたくないと拒否。 「紐っかば腰じ巻き、やーが先行き、右っか曲がるとぅきや 右どーち紐っか引っ張ればいっちゃんばん ち うむりかた」 「ちゅや 滑稽だろや 出ろっちっても でらんもんや」 と言って下腹部をさする母。 トイレへ行きたいのか訊くと、いや今は大丈夫と言う。 「やきゃんじ難儀しみゅんあなんかいち心配しかた」 今朝、排便多量にあったことを伝え、だから大丈夫よと話すと、そうなの、と答える。 排泄で汚染があったことを気にしているのだなぁ、と思う。 母は看護師の言動をしっかりと聞いている。 「心にもないことは いくら丁寧な言葉で言っても わかるのよ」 ごもっとも。 な 母の言葉。 「こんなが一等どー」 と、わたしを指して言う。何がどう一等かと訊くと、 「こんななれば苦しいの」 と、自分のことを言う。 どこが難儀ね?と訊くと、 「トイレちいじ 出そうちしても時間ぬかかてぃ 悪いやーち 気になるの」 純粋な方言に標準語的な言い回しが多く混じった。 母の回路がまだ外界に繋がっている証拠だ。 ・・・ 昨夜、姉3に母の言葉を伝えると、先の「フジコおば」というのは、フジコという名前のおばさんではなく、フジ工場(フジコーバ)であることが判明。 まちぶっているのはわたしの方だった。