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母のこと

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5/20/2018







去る3月のはじめに母が天国に召された。

最後にここに書いたのが、焼き鳥の皮と肉まんのことだった。
その直後に、日本でそれらを見ることになったが、実際には食べなかった。食べられなかった。ただ、不思議な気がした。


母は呆気なく逝ってしまった。
父母だけでなく、全ての兄弟姉妹を見送った母は、生前いつも言っていた。

・・・人間というのはそう簡単には逝かないものなんだよ。危篤だ、となってからが長い。神さまが呼んでくれるまで、生きなければならない。わたしたちは、神さまが呼んでくれる「その時」まで、その人をしっかりと見送るだけ。


神さまはそんな母をすぐに呼んでしまった。どうしてだろう。
わたしはいつも、ずっと長いこと、いつか「母・危篤」という知らせを受けるであろうことを考えていた。そして、すぐに荷物をまとめて母の元へ行き、その時が来るまでの長い長い時間を、母のために過ごそう、と思っていた。「その時」が訪れるまでが「長い」のだ、と。その時間を兄弟姉妹と分かち合いながら、母を看取ろう、と思っていた。

知らせを受けた時、母は危篤というよりも、もう手の施しようがない、ということだった。そんな筈はない、とうろたえた。自分でも驚くくらいに、狼狽し、どうしたら良いのか、思考が止まってしまった。
元医療従事者でありながら、姉に訊いたのは、母は苦しんだのだろうか、ということだった。言葉にしながら、愚かなことだと思った。その時のことを聞いて何になるのだ。
医師の話では苦しむ間もなかった、ということだった。本当かどうかはわからない。遺族のためにそう言ってくれたのかもしれない。或いは本当なのかもしれない。あっという間に意識を失い、そのままだったのだから。

母は幸せだったと思う。
晩年はアルツハイマーに苦しみ、不安が強かった。
死ぬことを怖れている様子もあった。いや、死ぬことというより、一人でいることの不安が強かったのだと思う。

2月、父の命日に母が突然、父との思い出話を始めたらしい。
認知障害が強くなり、このところ父のことなど、ほとんど話すことのなかった母が、だ。しかも、その日が父の命日だということは、誰からも伝えていなかった。その母が、穏やかな表情で父の話をしたそうだ。
その連絡を姉から受けた時には、さすが母ちゃん!と、姉妹で笑い合った。
今となって、あれは何かしらの兆しだったのだな、と思う。


母のことを、もっときちんと記録しておけば良かったと後悔している。
母との日常の小さな色々を、丁寧に書き留めておけば良かった。


夏にまた帰国する。
兄弟姉妹で、母のいろいろを語り合おう。
母は人が集まって賑やかに「ユラう」のが大好きだった。
思い出されるのは、母の楽しそうな笑顔ばかりだ。










#介護日記 #日記

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