殴り込み
Sep
13
「とんねるずは死にました」
面白かった!!
この中で、貴さんの父親が校長室に「殴り込んだ」ことがある、という箇所があって、それはもちろん実際に校長先生を殴った訳ではなく、まぁ抗議に行った、ということだろうけど、もしかしたら文字の如く「喧嘩をしかけに相手のところに出向いた」、それくらい怒り心頭に発した、ということだろう。
と、そこで、わたしは自分の母親のことを思い出したのです。
あの時の母も「殴り込み」に行ったのだな、と。
わたしは中学の3年間、腎臓関係の病気で医者から「運動禁止」とされた。
なので、体育はすべて「見学」、もちろん部活動は帰宅部。
皆が体操着に着替えて校庭とか体育館とか、はたまたプールとかで「体育」の授業をしている時、わたしは制服のまま、立って見学していた。
今思えば、なんで立って見学する必要があったのだろう?と、不思議に思う。
どのみち授業に参加出来ないのだから、教室に残って自習でも良かったろうに。
まぁそれは別の話になるので、置いといて。
医者から最初に診断されて指示を受けたとき、運動禁止=体育の授業には参加させられません、という診断書を貰った。それを学校に提出しなければならなかった。
というのも、その診断を受ける前、わたしは一応テニス部に入部していたのだった。
新入生で、球拾い、素振りばかりの日々だったけれど、自分のためのテニスラケットも買って貰っていたし、それなりに楽しい部活動生活を送っていたのだ。
でも運動全面禁止となったので、退部する必要があった。そのために診断書を部活の顧問に見せなければならなかったし、体育顧問も同じ。
そういう訳で、診断書を提出した。
最初の最初は、その時の担任に提出した。とても優しくて面白い(確か地理が専門)男の先生だった。彼はその診断に同情して、「辛いだろうけど、お医者さんの言うことを良く聞いて、早く治るようにがんばりなさい」みたいなことを言ってくれた。
ここまでは良かった。
話が長くなってしまうけど、母が殴り込みに行くまでにもう一つ書いておくことがある。
テニス部に入ったと先に書いたが、中学に入学してすぐの頃、わたしは最初にバレー部に入った。これは仮入部だ。今はどうかわからないが、当時、わたしの通っていた中学では最初の2週間だか1週間だか、仮入部という形を取っていた。仮入部中に自分には合わないと思ったら取り消しできるシステムだ。
姉2,3ともにバレー部だったからという安易な理由で仮入部したわたしだったが、如何せん、顧問の教員が好きになれなかった。気のせいかもしれないけど、わたしに対して執拗に意地悪をしているように感じた(後にこれは気のせいではなかったことが判明)。しばらくは我慢していたけれど、こんな楽しくないことする必要ないんじゃね?と思って、退部します、と申し出た。
「は?取り消す?はぁ???」
と、顧問の教員は超〜見下した態度で言って、「どうぞ、良いですよ」と、やけに丁寧に付け加えた。めっちゃ、怖かった。でも、心の中では「やった〜!」と歓喜。
その後、テニス部に入部(これは仮ではなく本入部)したのだった。
それなのに1ヶ月もしないうちに医者の指示が出た。自分にとっては頭をカチ割られるほど衝撃的な出来事だった。泣く泣く(マジに)、退部届を出した。
体育の顧問は二人いた。
一人は、陸上部の顧問をしていた若い教員(男)、もう一人は、バレー部顧問のサメの目を持ったベテラン教員(男)。
そして、もちろんわたしのクラスの体育顧問はサメ男だった。
バレー部を辞めます、と言ったわたしが、次に彼に言わなければならなかったのが、体育は出来ません、だったというワケ。
サメ男はとにかくわたしのことを嫌った。
制服姿で立っているわたしを完全無視していたかと思うと、「本当にキミは運動禁止なんですかねぇ〜〜〜」と、いきなりわたしにだけ聞こえるように呟いたりした。最初は聞き違いか?と思ったものだが、何度もあったので、聞き違いではなかった。
たかが13歳、14歳の少女に何が出来たろう?わたしはただただ、黙って、その言葉に、態度に、耐えるしかなかった。
ある日、制服姿のわたしを見て、サメ男が言った。
「あれ、aさん(わたしの姓)、着替えないでどうしたんですか。体育の授業を受けないんですかー」
ビビった。同時に、意味がわからなくて混乱した。しどろもどろに、「あの、運動禁止と言われて、、、」と答えると、「診断書が出てませんけど」と言った。なんで?出したよ、出したじゃないか?この人は一体何を言ってるんだ???怖ろしいのと、辱めを受けたような気持ちになって、足が震えた。
この一件から、診断書は毎月提出しなければならない、ということがわかった。
今思えば、何を根拠に?と、それは無謀だろう!と、思う。でも、当時の自分は、そのことをそのまま母に、そして医者に伝えるしかなかった。
それから毎月、診断書を出した。
月日は流れ、わたしが運動禁止であることは皆にとって周知の事実となっていた。
わたしは2年になっていて、それなりに帰宅部にも慣れたし、体育見学時には心を閉ざすことでこなしていた。
が、ある日。同じように体育の授業を(相変わらず顧問はサメ男だった)見学していたら、「授業に出られない理由が何かあるんですか。キミは普段すごく元気そうだけど?」と言われた。屈辱的だった。涙が溢れそうになった。みんなの前で、みんなの前で、そんなことを言って、何が楽しい?わたしを痛めつけたいだけなのか?そう思った。
泣かなかった。サメ男の前で、みんなの前で、泣くのは嫌だった。我慢した。とにかく心を閉ざして、我慢して、時が過ぎるのを待った。
家に帰って、泣いた。
もうバカみたいに泣いた。
体育出来ないのは自分のせいじゃないのに、と、泣いた。
あの先生、大嫌いじゃーーーーと、泣いた。
それを知った母が激怒した。
その時は知らなかったけど、激怒したのだ、母は。
そして翌日、学校に乗り込んだ。まさに、殴り込みだ。
「毎月、毎月、診断書を提出しているのに、どういうことですか!あの体育の先生は、これ以上、何が必要だと言うんですか!」
と、校長に掛け合ったらしい。
すげー母ちゃん。
わたしはそんなこと知らずに何かの授業を受けていた。後で母から聞いたのだ。
おかげで、それ以降、サメ男は診断書云々を言わなくなった。相変わらず、嫌味なことは言ってたけれど、執拗に嫌がらせもしてきたけれど。
でも、不思議ともうあいつのそういう言動に振り回されなくなった。
わたしも相変わらずサメ男のことは大嫌いだったし、それは中3の10月で転校するまで変わらなかったけれど、でも、完全無視できた。
母が行動を起こしてくれたからだと思う。それで不思議と負けない気分になった。
この母ちゃん殴り込み事件は、姉たちに言わせると、
「母ちゃん、mのことは本当にかわいがっとったんじゃ〜、あんたくらいじゃないか?そんなことしてもらったの」
とな。
そうかも知れない。わからんが。
先のリンク記事内で、貴さんも「親父は正しかった、親父には感謝している」みたいなことを言っていた。
わかるよ〜〜〜〜と思った。
母は正しかった。ジャスティス!!
いや〜久しぶりにサメ男のことを思い出した。
もう会うこともないだろうけど。てか、サメ男ももう結構な年齢になってるだろうから少しはまるくなってるか?
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