01/31/2021 今更の話だが、わたしは娘を補習校に入れなかった。 この国に来ることに決めた理由のひとつに、娘の教育があった。彼女は日本で生まれ、日本の保育園に入った。夫は英語で話し、わたしは日本語で、というスタンスだった。でも日本語環境だったので、わたしもなるべく英語で話しかけた。英語で言って、日本語で同じことを言う、というもの。この方法、なんでこんな方法を選んだのか無意識だったのだけれど、わたしと娘の会話を聞いていた友人から「へぇ〜そうやって教えるんだね」と言われて初めて気付いたことだった。ホントだ、なんでだろ?と言って、笑った。わたしの英語の練習?かもね。 小学校に入る前から、いよいよどうするか決めなくちゃいかんなーと思うようになった。 娘は日本語のほうがもちろん強いので、ダディと会話はしているようだが、この先どんどん会話にはならなくなるだろう。父親と話が出来ない、父親と通じ合えない、ということになる。それが怖かった。それは良くないと思った。それはアンフェアだ、と思った。娘にとっても、父親である夫にとっても。 なので、小学校入学前にこちらに来た。今度はこちらの教育を受けさせようと思った次第。 最初に入ったエレメンタリーにはESLクラスがあったので、そこのお世話にもなった。英語を母語としない生徒のサポートクラスだ。通常どおり、他の生徒とクラスにいるのだが、1日のうち一定時間(?)ESLクラスに行くらしかった。そんなモンなのか、とこの国の教育システムは面白いなーと思ったものだ。 娘はこちらの不安なんてモノともせず、どんどん英語を吸収していった。彼女の性質もあったのだろうけれど、周りのアメ人キッズにバカにされようが(特にランチのこととかね。お弁当を持たせてたので。笑)なんだろうが、お構いなしだったらしい。おにぎりの海苔なんかは、鼻をつまんで「クッサーーーー!!」とか言われたらしい。でも彼女はおにぎり大好きっ子だったので、まったく気にしなかったと言う。「こんな美味しいものを食べられないなんてかわいそうに!」 日本語補習授業校のことを考えるようになったのは、それから1年も経たない頃だ。 わたしたちは家を購入し、引っ越した。新しいエレメンタリーにはESLクラスはなかった。彼女の英語サポートの権利を剥奪することになる、と、新しいエレメンタリーの校長は受け入れを悩んでいた。こういうところがこの国らしいと思う。 とにかく、彼女は大丈夫です、と、「保護者の確固たる要望のもと」受け入れを許可された。 それから娘は普通にエレメンタリーに通い、普通に授業を受け、普通に近所の子らと遊ぶ、そんな毎日になった。 わたしはあ〜良かった良かった、と、のんきに喜んでいた。 が、ある日、姉から娘の日本語力が「4歳児程度になってるー」と指摘された。 え?そう? 気付かんかったのか? いや、全然。 そう言えばわたしも彼女に英語ばかりで話すようになってしまっていた。自分の英語力アップも必要だったのもあったし、英語環境になったので、なんとなく、つい。 このことが、母と娘の日本語バトル勃発のきっかけとなった。 いい?マミィとは日本語で話そう。日本に帰った時、Aマミィ(姉1)やM(姉2)、T(姉3)やおばあちゃんと日本語でちゃんと話せるように。だってみんな英語は話さないでしょ? しかしねぇ〜。学校も英語、TVも英語、友達も英語、となると、これがなかなか難しい。わたしが一生懸命日本語で話しかけても、彼女は英語で答える。約束が違うでしょ、日本語で答えなさい。Okay, I will. こんな調子。 そんな時、日本語補習授業校の存在を知った。 調べると、車で1時間くらいの場所。でも大都市の中にある。そこまで連れて行けるかちょっと不安はあった。でも、なんとかなるかも、と思い、パンフレットを取り寄せた。 立派なパンフレットだった。カラーの分厚い。 学校長の挨拶。学校の経歴。クラスの紹介。。。 ヤバい、、、、かなり本格的じゃないか。見ると、毎週土曜日(全日)となっていた。学校行事として、時に日曜日を使って運動会とか、そういうのもあった。 ちょっと、、、、これ、、、どうよ??? それでも明るく、娘にそれを見せた。 どう思う?ここに行くと、日本語で、日本人のお友達と一緒に勉強できるよ。あなたみたいなハーフの子もいる。どうかな?行ってみる? 娘はパンフレットのページをパラパラとめくった後に 体育ある? ない。 音楽ある? ない。 図工ある? 、、、、、ない。 Then, No! うわーーーー!!! 実際、わたしもビビっていた。なぜって、月曜日から金曜日までここの学校に行くのに、土曜日も丸一日また学校?いつ休むの?日曜日だけ???その日曜日も学校行事とかあるんだよね、、、わたしだって無理だわ、、、、 そういうワケで、あっさり諦めた。 こういうことなら、じゃぁ日本語は家で教えるわ!と、なった。 じゃぁここに行くのはやめよう。でも、マミィとは日本語で話そう。そして、字の勉強もします。漢字の勉強もします。 Okay!! これが母娘日本語バトル第2弾の勃発でした。 そんな、自分の娘も通わすことのなかったわたしが補習授業校で講師をすることになったのはかれこれ7年前??? うちの補習校は土曜日全日ではない小規模なので取っ掛かりやすかったというのもあるし、何よりあの頃は日本人との交流に飢えていた。笑 あーでももういいかなーという今日この頃。 わたしが悩んで挫折した時とは場所も違うし何より時代も違う。 こっちで講師を始めたあの頃とも時代は変わった。何より保護者さんが若くなった〜(自分が歳とっただけ)! さて、そろそろ除雪(氷かも、、、)作業に入るかな。 明日から2月。完全勤務の始まり。ガス燈の相方とまた一緒に働く、、、、実は金曜日で既に問題が、、、、記録開始せな、、、、、うげー。