03/10/2021 こちらはまだ3月10日。 でも、あの日のことを書いておこうと思う。 10年前。 まだわたしはこの街に越してくる前だった。 当時は小さな町のAssisted Living CenterでNurse aidとして仕事をしていた。基本、日勤(日中)オンリーで、早番の時は5:00-、普通勤務の時は6:30-だったと思う。 あの日が早番だったのか、普通勤務だったのか、記憶にない。でも、何にも知らないまま、仕事へ行ったことは確かだ。 食事はダイニングルームで行われる。強制ではなく、希望するレジデンツ達が自由気ままに時間内にやって来る。 その朝、ある男性レジデンツから、日本は大丈夫か?君の家族は大丈夫か?と、訊かれた。 何が? と思った。 知らないのか?酷いことになってる。 と、言われて、クエスチョンマーク。 もしかしたら早番だったのかな。本当に、何も知らなかった。 地震があったんだよ。大地震だ。 地震はよくあるから、と言いかけたけど、大地震、と聞いて、ギクリとした。 彼はわたしを彼のアパートメントに連れて行き、TVをつけた。 そこで、あの津波の映像を見たのだ。 衝撃だった。 何が起こったのか、起こっているのか、すぐにはわからなかった。受けとめきれなかった。 ご家族に連絡したほうがいい。すぐにでも。 と、彼は言った。 場所を見た。 家族はあの辺りにはいない。ちょっとだけホッとした。でも、怖くて震えた。あの後、どうやって仕事に戻ったのか、実はよく覚えていない。 ホールの大型スクリーンTVを誰かがつけたらしく、そこにも津波の映像が流れていた。 その後、レジデンツの皆さんそれぞれから、優しい言葉をかけられた。 おじいさん、おばあさん達から。 わたしの手を握って、涙を溜めながら、あなたの家族、あなたの国の人たちのためにお祈りしています、と言ってくれた老女。 いつも不機嫌で何かと文句ばかり言っていたじいさんからも、君の国のためにお祈りをしているからね、と言われた。 わたしはその度に皆に「ありがとう」と答えた筈なのだけど、きっと、カクカクとロボットみたいな感じだったのではないかと今になって思う。 福島に友人がいて、彼女にメールを送ったのだけれど、数日返事がなくて気が気でなかった。 無事に返事が来た時には、本当に、本当に、胸を撫で下ろした。 あれから10年。 友人は、今も福島で暮らしている。 最近、絵本を出版することになったらしい(彼女はイラストレーターさん)。 確実に、自分の道を進んでいる。