油ぞうめん
Nov
18
長兄が急逝して早くも49日。
我が家はカトリックで厳密にいうとキリスト教的には49日法要というものはないのだが、追悼ミサが行われるのだという知らせが来た。参列はできないけれど、一緒に祈ろうと思う。
兄の葬儀にも参列は出来なかった。
知らせを受けて慌てて帰国の手配をし始めたのだが、どうしても間に合わなかった。日本での国内線乗り継ぎに時間がかかってしまった。たとえシカゴまで運転して行ったとしても同じだった。こういうとき、やはり遠いんだな、、、と感じる。
それでもお通夜と葬儀と、LINEのビデオ通話で参列させてもらった。娘の機転に頭がさがる。彼女にとっても「優しいおじちゃん」、知らせを受けてすぐに駆けつけてくれた。とてもありがたかった。兄も喜んでくれたと思う。
兄の子供達ともビデオ通話で話をした。
「m姉ちゃん、なんて顔してるのー」
「悲壮感、半端ない」
「泣き過ぎー」
「大丈夫?」
ビデオ通話で兄とお別れをした直後のわたしを、そんな言葉で笑い泣きしながら慰めてくれた。みんなもう立派な大人だ。わたしはこんな歳になってもまだまだ。
夏に島で兄貴と会った。
兄はますますワガママになっていて、兄貴も歳だなぁ、、と感じた。
滞在中、毎晩のように「友人」を招待した。
焼酎を準備し、氷と水を準備し、料理をこしらえた。
島の古い男どもは女があれこれ世話をするのが当然、という雰囲気がいまだにある。
というか、島に帰ってきたからそうなるのだ。兄貴はいつも妹たちに甘える。
姉たちは、姉2-姉3-姉1の順に調子を崩していたときで、兄貴の世話はわたしに回ってきた。
最初の頃は普通に頑張ってこなしていたが、毎晩となるとキツい。
外食(&外呑み)に行った後、友人らと一緒に「帰って」来て、二次会(三次会?)となるのだから困る。
島で懐かしい友人らと会えるのだから嬉しい気持ちはわかる。わかるけれど、こっちの気持ちも汲んでくれよー、と心の中で嘆いた。
最後の夜。
片付けをしていたわたしに「油ぞうめんとか食べたいなぁ〜」と兄が言った。
上機嫌の兄に向かって、わたしはこう答えた。
「そうめん、ありません。買いにも行きません。油ぞうめん、作れません。」
兄貴は、あっちゃ〜!とおでこを叩いて笑っていた。
ふん!家に帰ってから、自分の奥さんに作ってもらえばいいでしょ!と、心の中で思った。
一番先に体調が戻った姉2は仕事と部活で忙しかった(いつものことだが)。
姉3は兄貴が帰る前日にやっと起き上がってこれた。
姉1はずっと寝込んでいて、兄が帰る時、かろうじて挨拶できた。
兄貴の友人が来て、空港まで送って行った。
あぁやっと帰ってった!
と、姉たちと笑い合った。
油ぞうめん、作ってあげればよかった。
次に帰国するときには、油ぞうめんを作って兄貴にお供えしようと思っている。
昔ながらの島料理らしい、ジャコ入りの、油ぞうめん。