ベイジン
Feb
18
この小説は当初日本を舞台に書こうとしていたらしいです。しかし、日本では絶対に全ての電源が喪失すると言うことはありえないからリアリティが無い、と言うようなことを言われ、中国を舞台にして書かれています。
が、まさにフクシマでおきたことはまさにこういうことなんだろうというリアリティをもって迫ってきます。
それにしても、この舞台を日本に出来なかったのは小説家としては痛恨の極みであるかもしれません。それほど、日本で起きたことを先取りしているのです。
小説の最後のほうにあった台詞ですが、原発の安全はコストで考えてはいけないのです。アレから約2年。日本の議論は進んでいるのですか。なんだか本質の議論からずれている気がします。