東芝の現会長西田氏の東芝ノートPC25年間の講演を読んで、その25年前の出会いを懐かしく思い出しました。
当時勤務していたA&A InternationalはTandy/Radio Shack向けの買付け部門で、入社2年目で東京から本社があったテキサス州フォートワースに転勤していた80年代半ば。東芝の西田さんが持ってこられたのがこの東芝Note PCの原型でした。 IBM互換機としての完成度は高く、アメリカの技術者も一目ぼれ。
Model 100という業界初のModem標準搭載のNoteをマイクソフト、ASCII、京セラとの共同開発で出し、ヒットを生んでいたRadio Shackの大きなステップアップとしては、大変魅力的な商品でした。しかし、パソコンについて不慣れだったTOPの決定はNo。ここで歴史の1ページが大きく変わったのかもしれません。もし、ビル・ゲイツにHead Huntされてマイクロソフトにいったマイクロソフト初代社長のジョン・シャーリーがまだいたら、答えはYesだったと思います。
それが東芝が自社ブランドでNote PCに歩みだす後押しの一因にはなったと思います。
当時、F-Keyが縦に並んでいたのを、海外向けにはF-Keyを一番上に横一列に並べるKey配列にすること。まだCGA時代だった液晶を180度倒れるようにして、モニターをすぐ後ろにおいてつなげることができるようになどアドバイスをした記憶が蘇りました。
何が成功につながるかはわかりません。
先日の合格鉢巻ではないですが、人事を尽くして天命を待つ。やれるだけやったら、あとは運を天に任せるのもいいかもしれませんね。
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Posted at 2010-12-18 16:46
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