別の側面のクレーン車事故
Nov
15
より
【栃木】 病気の認識の甘さ浮き彫り クレーン車事故裁判
鹿沼市で4月、登校中の児童6人が犠牲になったクレーン車事故で、自動車運転過失致死罪に問われた元運転手、柴田将人被告(26)=日光市大沢=に対する第3回公判が15日、宇都宮地裁(佐藤正信裁判長)であった。柴田被告は事故直前、「短い距離で、行ってしまえば大丈夫」と判断したと語り、病気への認識の甘さが事故につながったことが浮き彫りになった。
■「行ってしまえば大丈夫」
柴田被告への被告人質問は、母親への証人尋問のあとに始まり、3時間以上に及んだ。
事故当日の朝、前夜に薬を飲まなかったうえ、睡眠不足だったにもかかわらずクレーン車を運転したことについて、「作業現場までは15分の距離で、行ってしまえば大丈夫」と判断したことを明かした。医師の指示を受けていた服薬を怠ったことについては、「薬を飲むことよりも、他のことを優先した」とし、携帯サイトに夢中になり、服薬を忘れたとした。弁護士から「薬への認識が甘かったのでは」と質問され、「はい」と答えた。
生い立ちについても振り返り、小学生のころから、「自分は病人で劣等感を感じていた」とし、20歳のころには、病気が理由で結婚できないと感じたこともあったという。就職も困難だったといい、「持病を隠さないと、生活できないと思った」と語った。
そうしたなかでクレーン車の運転は、「誇り高くかっこいいもの」として感じ、免許を取ることを母に反対されても「事故を起こすとは思わなかった」と振り返った。
事故の影響についても触れ、「身勝手な自分のせいで、正しいルールに沿って生活しているてんかん患者への偏った見方を強くしてしまった。申し訳ない」と語った。
また、被告は事故で命を落とした児童の遺族にそれぞれ謝罪の手紙を出していたが、6通とも同じ内容だったことから遺族の代理人弁護士が、「それぞれの人生を考えなかったのか」と指摘。児童の学年や趣味を尋ねると、被告は「分かりません」と答えた。
次回公判は22日。被害者参加人の意見陳述があり、論告求刑と最終弁論が行われる予定。
■被告の母親証人尋問/服薬忘れ注意できず
宇都宮地裁で15日に開かれたクレーン車事故の裁判では、柴田将人被告の母親の証人尋問が行われ、事故当日の思いや、これまでの被告とのやりとりが明かされた。
母親は、法廷に入るとまず遺族らに深々と一礼し、「6人の子供と遺族には申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪した。遺族の代理人弁護士の質問には「やってしまったことが大きすぎて、(償いのために)何をしたらいいのかわからない」との心情を語った。
母親は今回の事故の知らせを聞いた瞬間、「とうとうやっちゃったか」と思ったという。事故当日の朝、被告が持病のてんかん発作を抑える薬を前日夜に飲んでいないことに気づいたが、1月に薬の飲み忘れをした際、夜中に起こそうとしてけんかになって以来、一切会話をしていなかったといい、「私が注意をしても聞き入れられる状況ではなかった」と説明した。
被告がてんかんの持病を申告せずにバイクや乗用車の運転免許を取得したことについては、「今はとらせなければよかったと思う」と話したが、当時は「交通手段がないと仕事に就けないという気持ちがあった」と話した。
ただ、クレーン車を運転する大型特殊免許を取得すると聞いた時は、「発作で事故を起こしたら、とんでもないことになる」と反対。何度も説得したが「俺の夢を壊すな」と拒まれたという。その教習所に通う間にも、乗用車で交通事故を起こして入院したが、被告は「点滴を抜いて裸足で行く」と言い張り、止められないまま教習所まで車で送ったことも明かした。
被告が3年前に鹿沼市内で小学生をはねる事故を起こし、自動車運転過失傷害罪に問われた裁判では、親子で「居眠りが原因」と供述した。母親は「『本当のことを言うな』と脅されていたし、病気を持った体に産んで申し訳ないという気持ちもあった」と話した。
母親は最後に、被告が社会に復帰した後、生活を監督していけるかを聞かれると、「(被告が)今までのままなら責任を持ってできるとはいえない。見捨てることはないが、反省しているなら助けたい。本人次第」と語った。
■「居眠り」供述に「欺く気はなく」
この日は、弁護側請求の証拠調べもあった。柴田被告が事故当日、県警に「居眠りをしていた」と供述したことについて、「発作が回復する前のことで、何がどうなっているのかわからないまま答えてしまった。欺くつもりはなかった」などとした、弁護士あての手紙が証拠として出された。また、てんかんについて報じる新聞記事や解説する書籍も提出された。
■遺族会見、悔しさにじます
公判後、遺族たちは机の上に生前の子どもたちの写真を置いて会見に臨んだ。柴田被告が児童について問われ返答できなかった場面を振り返り、改めて我が子を失ったつらさを口にした。
「一番悔しいのは(柴田被告が)6人の子どもの名前や、どんなスポーツをやり、どんな夢があったのか全くわからなかったことです」と伊原大芽君(当時9)の父高弘さん(40)は涙を浮かべた。
下妻圭太君(当時9)の父信市さん(48)は「誠意を感じない言葉を聞かされ、言葉にならないくらいショックでした」と語り、熊野愛斗君(当時11)の父正則さん(42)は「こんな人にうちの子は殺されたのか」と悔しさをにじませた。
大森卓馬君(当時11)の父利夫さん(47)は「6人の子どもを知ることから被告の償いが始まる」という弁護士の言葉を受けて、「あれから7カ月近く経っても何も知ろうとしない」と指摘した。
関口美花さん(当時9)の伯父安彦さん(37)は「柴田被告は事件直後から手を合わせて祈っていますと言っていたが、何を考えて何を祈ってきたのか」と話した。
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被害者・御遺族には何の罪もありません。
被告の持病に対する認識の甘さに尽きます。
被告・被告の母親の背負ってきた十字架の上に、さらに背負いきれない十字架が重なりました。
哀し過ぎて言葉にならない事件です。
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