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  • 組織改変論議と国鉄 第5話 日本国有鉄道経営調査会の発足

組織改変論議と国鉄 第5話 日本国有鉄道経営調査会の発足

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東急の実質的創業者 五島慶太氏... 東急の実質的創業者 五島慶太氏、小林一三氏とは同郷であった
昭和30年、政府は臨時公共企業体合理化審議会の答申を受けて、運輸大臣の諮問機関として『日本国有鉄道経営調査会』を設け、経営形態と財政再建の方法を諮問したのです。
その背景には、戦時中から戦後にかけての酷使で輸送施設は全体に老朽化し、慢性的な輸送力不足と労使関係の悪化に伴う職場の荒廃などが取り沙汰されていたからです。
この委員会には、民間からも阪急グループ総帥、小林一三氏や、東急グループ総帥、五島慶太氏も指名され、各氏は以下のような意見を述べています。

小林一三氏
 「民営なら開発事業ができるし、資金調達も自由に行なえ、創意と責任を持って積極的な経営ができる。」

五島慶太氏
 「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分割し、独立採算制を採用、その上に監督権管理機関を置いて経営すべき」という提案をされています。
現在のJRを予見するかのような民営化論が既に今から50年以上前にあったことは注目に値すると思います。
特に、東の雄、東急グループ総帥の五島慶太氏は、現在のJRの姿を予想?していたかのような内容です。
 「国鉄を北海道・東京・東海道・北陸・大阪・四国・九州の7経営体に分離し、独立採算制を採用、その上に監督兼管理機関をおいて経営すべきだ」との考え方は、当時としては非常識と映ったかもしれません。
  昭和31年2月に調査会は、経営形態について「現在国民の一部には、”国鉄を国営にかえすべし”また、”純然たる民営に移行せしむべし”との主張があり、さらに各段階での分割論なども議論されているが種々のの観点から考慮を加えた結果、我々は現在の公共企業体の形態は、これを存続させ、高度の公共性を確保しつつ、能率的な運営を図って、国民の鉄道としての任務を充分に発揮できるよう要望したい。国鉄は公共企業体であることをより明確にする意味で、現在の” 日本国有鉄道”という名称を”日本国有鉄道公社”と改めることが適当であろうと考える」と答申がありました。
  答申は、基本的には国営に戻すべきではないかという意見に対して、以下のような否定的な見解を示し、現在の公社としての形態を維持すべきではないかという意見でした。

以下全文を引用させていただきます。

  「民営論は内容的に不明確だ、能率化のため、膨大な組織を分割して競争させるところのあるようだが、分割論に対する考え方で対処できる。分割論は経営の画一性を打破し、能率的な運営を行うことを目的として主張されており、うなずける点も多いが、企業の完全な分割は輸送を不円滑にするおそれがあり、運賃の不均衡も予想されるので、直ちに採用するのは困難。内部的に地域ブロックの経営単位を設け、強い権限を与えるとともに、経営への目標定めて、競争による能率発揮の実をあげることが可能と思われる。」
となっています。
 このように、当時すでに現在のJRで見られる問題点が指摘されていたことは注目すべきことですが、結局この時期にもっときちんとした議論が出来ていれば良かったのですが。当時はこれが出来ない事情もあったのですが、この辺は別の機会に譲りたいと思います。

また、答申では。基本的態度の項で以下のような点を指摘しています。
こちらも全文引用させていただきます。

「特別に注意を喚起したい点」
「第一は、一般交通政策の確立と、その面における国鉄の受け持つべき役割を、より明確にすることである。国内交通は、鉄道・自動車・航空機・内航船等によって受け持たれているが、これらの各交通機関相互間の関係を調整し統一のある総合的な交通政策を樹立することは、きわめて喫緊の課題となっている。にもかかわらず、政府のこの面に対する方策には、見るべきものが少ない。一般交通政策を確立して、そのうちにおける国鉄の使命を明確化し、その果たすべき役割を定め、これをいかにして達成してゆくかを明らかにすることが絶対に必要である」と強調しています。
当時の国鉄が抱える問題点として、二つありました。
一つが労使関係、もう一つが財政再建問題でした。
 国鉄は、赤字が累積して解体されたと一般的に言われていますが、昭和30年代は概ね黒字決算で推移、昭和29年~31年は赤字決算でしたが、戦前の輸送力水準にほぼ戻った昭和32年度からは、着実に黒字を積み上げていましたが、その反面設備投資については、全て国鉄自身で行うこととされていました、実は黒字を累積していた時期にも見えない赤字への時限爆弾はスイッチが入っていたのですが、そのときは誰も気づかないまま、第1次5ヵ年計画がスタートしました。
 第一次5ヵ年計画を前に、運賃値上げか、国の補助を入れるかの点が審議されました。
 結局、国鉄としても企業体としての独立採算を堅持することを選択しました。これにより、国家財政の負担を軽減し、直接国民に税負担を加重しなくてすむという考え方に基づくものであり、多少の合理化は止むを得ないと考えたようです。
 当時の国鉄は、元々運輸省の現業部門が独立した形となっているため、運輸省以上に、官僚意識が強く、国家のためにといった職員が多かったと聞いています。
 話は、少し脱線しましたが、これにより国鉄の財政は好転し、昭和39年の新幹線【当時は東海道新幹線とは呼ばず単に、新幹線と呼んでいた。】開業年までは黒字を計上したのです。
ただ、労使関係の軋轢は避けることはできなかったようです。

 さて、国鉄では、日本国有鉄道経営調査会の答申により、経営委員会を廃止して経営権限を強化した理事会の他、監査委員会・諮問委員会を設けました。
 また、総支配人制を昭和31年1月に廃止して、全国に6支社を設置、その下に管理局を置く体制が出来上がりました。
 参考「総支配人制度(wikipedia参照)」
  国鉄発足当初、省時代の鉄道局の業務を継承して地方単位で地方機関を統括する責任者として、業務別に輸送支配人(鉄道管理局担当)、営業支配人(営業事務所担当)などを設置した。その後、1952年8月5日の組織改正で地方駐在各支配人を統合し、鉄道管理局を管轄する本社直属の管理者として地方総支配人を設置した。北海道・東北・関東・中部・関西・西部の6総支配人を置いた。

以上wikipediaから引用

 支社制度とは、新幹線生みの親でもある、十河信二氏が、本社から地方への大幅な権限委譲を行なうために設けられた制度で、昭和32年1月16日に以下の6支社が設置されました。
北海道支社
東北支社【仙台以北】
関東支社【関東、新潟地域】
中部支社【静岡以西福井県含む】
関西支社【大阪以西】
西部支社【九州全域】

 昭和34年4月8日には。関東支社から分離する形で、新潟支社、西部支社から中国支社、四国支社が分離、9支社体制となりました。同時に管理局は支社に統合されました。
 これにより、本社→支社→管理局→現場のラインとなりました。
 国鉄を民営化するのか否かの議論のなか、国鉄に関しては公共企業体というかたちを堅持することが確認され、政府は以下のような答申を受けれいれました。
政府は、昭和32年に、公共企業体審議会に3公社の改善要綱を諮問
「公共企業体の制度を維持することは認めるが、組織と運営については、抜本的に民間的センスに切替え、その企業性と自主性を強化し、もっぱら能率的・進歩的運営を図るとともに、企業経営の責任を確立すべきだ」
との答申を得ました。 国鉄に対しては、
1. 運輸大臣の専管事項とする。
2. 新線の建設は鉄道経営に見識を持つ学識経験者で構成する審議会の義を経て、運輸大臣の認可を必要とする。
3. 若干の地域別の経営単位の分ち、各単位に自主的運営を行わせることが望ましいから、さしあたり支社制度を一層強化徹底して、独立採算制に近づける方式を採用する必要がある。なお、国鉄を数個の公社に分割すること、または、さらに進んでこれを民営化することは、将来の研究にまつ。
4. 国鉄幹線と関係の浅い地方線については、民営に移すことを別途検討されたい。
という答申をまとめました。
これを見ていきますと、当初は民営化に消極的であった審議会が、やがて国鉄の経営形態について公社が適当としながらも次第に、民営論にも関心を示し、特にローカル線については、民間への移行など、公社の限界を感じ始めているようにも受取ることが出来ます。
 しかし、この問題がやがて25年後に現実の問題として浮かび上がってくるとは当時は予想し得なかったことと思われます。

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