新幹線開業前 モデル線の建設
Feb
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東海道新幹線の建設に際しては、初めてのケースであり十分な安全性や問題点を洗い出すために、一部区間を早期に完成させる必要がありました。
モデル線区とされた区間は、神奈川県綾瀬市~小田原市鴨宮の間であり、昭和35年4月に路盤工事に着手し、鋭意工事が進められたそうで、一部家屋の移転が遅れたという記述もありますが、昭和37年37年3月までに路盤工事が完成、3月15日からは新幹線の軌道及び電気工事の起工式が鴨宮軌道基地で挙行されました。
また、4月20日には、新幹線用の試作電車第1号の試験調査及び乗務員の養成を行なう目的で、鴨宮にモデル線管理区が設置されて、5.23 には、モデル線での試験計画が決定しています。
後述の新幹線試験用車両は、4月25日にA編成(汽車会社製)が搬入され、B編成は、5月18日に搬入されています。
なお、昭和37(1962)年6月26日には、待望の試運転開始式が開催され
交通技術誌によりますと、「10時から来宮神社の宮司により、新幹線工事の完成と試験無事を祈る諸神事が行われ、その後、十河信二総裁の訓示があり、第1号試験運転電車は国鉄総裁・島技師長・大石新幹線総局長など国鉄関係者多数を乗せた4両編成(B編成)に乗車、午前10時45分、モデル線管理区長の発車合図で基地を発車、基地より約10kmの地点で試験を終って、再び基地に引返し、約40分にわたった初試運転を無事終った。 」
と書かれています。
これにより、東海道新幹線はこのモデル線区を中心に乗務員訓練などが進められることになったのです。
なお、この区間をモデル線区とした理由は、橋梁・トンネル、盛り土区間など新幹線のおよそ考えられる条件が揃っていたためであり、東京からも比較的近い事も決め手になったのでは無いかと思われます。
新幹線の試作車両
東海道新幹線は、昭和39(1964)年に開業するわけですが、その試作車A編成・B編成が試作されたのは昭和37年でした。
本日は、新幹線試作車に関するお話を少しだけさせていただこうと思います。
2種類試作された新幹線車両
新幹線電車は、特段新しい技術を開発した部分よりも既存の技術を積み上げて作られた部分が大きいものでした。
在来線(狭軌)でクモヤ93000号 電気試験車)が日本最高速度である175km/hを出したこともあり、広軌で200km/hは問題ない事は確認されていましたし。
電車の制御方式も在来線の交流機関車で確立した制御方式(低圧タップ切換方式)を採用するなど既存技術の延長によるものでした。
試作車の仕様を当時の交通技術昭和36年8月号の記事から引用させていただきますと。
「試作車両は前述の通り量産旅客電車に移行するために未解決の問題を調査試験によって究明するためのもので単なる試験研究のためのものではない。」
と記されており、あくまでも量産を前提とした車体構造などが求められるとしていました。
実際には試行錯誤が重ねられていたようで、X形の補強を入れたタイプが作られたり、車内に関しても、転換式クロスシートや、シート全体が回転する方式であったりあらゆるタイプが試作されたようです。
ただ、運転時間が3時間(開業当初は4時間)運転であったことから食堂車の連結は見送られ、その代わりにビュフェが連結されるなど、運転開始当初の「こだま」と同じようなイメージでしょうか。
車両は、昭和35(1960)年12月末には中間車が浜松工場で完成し、翌年1月14日から21日まで構体試験が行われたと記録されています。
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