生産性運動と国労 生産性運動中止へ マスコミと連携した国労の反撃 (鉄労視点)第五話
Jun
20
半年間更新で来ませんでしたので、改めて更新させていただきます。
国鉄の生産性運動は、職員の意識変革を呼び起こすこととなり、一種の覚醒状態を生み出したと言えます。
当時は特にそうでしたが、単色酒と交わることもなく、まして官舎住まい(鉄道宿舎)で済んでいる場合などでは特にそうですが、国鉄の職員とその家族だけで社会を構成してしまい、たの人との交流と言うことも無く一種のムラ意識を持っていたこともあるかもしれません。
そんな中で、国労もあの手この手で反生産性運動を実施するも中々思うようには行きませんでした。
そんな中で、国労は、マスコミを通じて、不当労働行為がなされていることをしきりに伝えることとし、当時の金額で
その辺を、鉄労友愛会議の国鉄民主化への道では以下のように書かれています。
なお、もちろん、国労側の資料マル生労闘争資料集なども参照しながら整合性を図っていく事とします。
国鉄の生産性運動は、職員の意識変革を呼び起こすこととなり、一種の覚醒状態を生み出したと言えます。
当時は特にそうでしたが、単色酒と交わることもなく、まして官舎住まい(鉄道宿舎)で済んでいる場合などでは特にそうですが、国鉄の職員とその家族だけで社会を構成してしまい、たの人との交流と言うことも無く一種のムラ意識を持っていたこともあるかもしれません。
そんな中で、国労もあの手この手で反生産性運動を実施するも中々思うようには行きませんでした。
そんな中で、国労は、マスコミを通じて、不当労働行為がなされていることをしきりに伝えることとし、当時の金額で
その辺を、鉄労友愛会議の国鉄民主化への道では以下のように書かれています。
なお、もちろん、国労側の資料マル生労闘争資料集なども参照しながら整合性を図っていく事とします。
<big>生産性運動の進展で、ストライキ中でも電車が動く・・・隠れ鉄労と言える、マル生グループも存在</big>
それまでは、生産性運動により国労。動労の組合員は鉄労に流れることとなり、鉄労はついに10万人を超すこととなり、いよいよ国労は危機感を持つようになりました。
実際に国労に所属はしていても、組合の指示に従わない通称「マル生グループ」と呼ばれた組合員もいたようで、当時の国労中執だった舗装宗一は下記のように回想しています。
あのときは、電車が動いたからね。だからオレは闘協地本に文句をいって、「お前らストライキでも電車動かすのか」と言ったら。「動かすんでなく動いているんだ」(笑声)「動いているんなら、とまるまでストライキだ」と言ったことがあるけどね。
それまでは、生産性運動により国労。動労の組合員は鉄労に流れることとなり、鉄労はついに10万人を超すこととなり、いよいよ国労は危機感を持つようになりました。
実際に国労に所属はしていても、組合の指示に従わない通称「マル生グループ」と呼ばれた組合員もいたようで、当時の国労中執だった舗装宗一は下記のように回想しています。
あのときは、電車が動いたからね。だからオレは闘協地本に文句をいって、「お前らストライキでも電車動かすのか」と言ったら。「動かすんでなく動いているんだ」(笑声)「動いているんなら、とまるまでストライキだ」と言ったことがあるけどね。
と語っている、このように国鉄末期に真国労を結成するグループのように「隠れ鉄労」とも言える存在があったと言えます。
こうした背景もあり、本格的な反撃運動に出るのですが、先ほどの一億円の宣伝費を使った反撃運動でした。
事の発端は、1970年の忘年会の席上、国労弁護団の一人、小島成一弁護士(現・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B3%95%E5%BE%8B%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80" target="_blank">東京法律事務所</a>、当時の名称は)であり、小島弁護士がマスコミ共闘(日本マスコミ文化情報労組会議)の面々を紹介され、その中心人物であった事務局長の隅井氏を紹介されたと記されています。
(国鉄民主化の道・P511-5121参照)
<big>国労は一億円の宣伝費を使って生産性反対運動を展開</big>
ここで、国労は本格的な反撃に出ることとなります。
このプロジェクトにより、色々な企画が計画されていったとされています。
特にこのプロジェクトは国労のためのキャンペーンであるため、国労の有利な情報を流し、各新聞社も流されてくる情報(国労が操作した情報)になるわけであるが、いまで言えばファクトチェックにかかってしまうようなデタラメなニュースも混じっていたようである。
当時の国労の企画部長だった富塚三夫氏は、マスコミを徹底的に利用することは、官僚組織に対して効果があるとして下記のように述べています。
私は礒崎氏を中心とする官僚支配体制が一番弱いのは何かということを考えた。これはマスコミに一番弱い。僕はそういう風に官僚の体質の弱さを見抜いて新聞記者のところに駆け込んで、いろんな内容を是部社会的に告発し、暴露することをやったわけです。
<big>脂がのった30代のベテラン記者が積極的に世論を誘導</big>
そして、このプロジェクトでは一番記事を書いたのは、毎日新聞記者であった<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E5%9B%BD%E5%A4%AB" target="_blank">内藤国夫</a>氏であったそうです。
内等氏は社会部記者として辣腕を振るい、富塚氏とは、生産性反対運動で親しい間柄となったようです。
当時の内藤氏は34歳で入社10年目であり、東大紛争でも社会部記者として、積極的に取材したこともあり、積極的に記事を書いていたとされており、国労は組合員から集まってくる不当労働行為の現認情報を整理して、これは記事になるのではないかと提供されており、記者は直接取材するのではなく、国労の資料(国労の有利な材料)をベースにほぼ連日と言って良いほど資料を提供したと「国鉄民主化への道」では書かれています。
また、国労も全体像を敢えて見せずに一部だけを伝えることで世論を作る、自分たちに都合のよいように誘導した。(あくまでも、鉄労からの視点での見解)
こうした背景もあり、本格的な反撃運動に出るのですが、先ほどの一億円の宣伝費を使った反撃運動でした。
事の発端は、1970年の忘年会の席上、国労弁護団の一人、小島成一弁護士(現・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E6%B3%95%E5%BE%8B%E4%BA%8B%E5%8B%99%E6%89%80" target="_blank">東京法律事務所</a>、当時の名称は)であり、小島弁護士がマスコミ共闘(日本マスコミ文化情報労組会議)の面々を紹介され、その中心人物であった事務局長の隅井氏を紹介されたと記されています。
(国鉄民主化の道・P511-5121参照)
<big>国労は一億円の宣伝費を使って生産性反対運動を展開</big>
ここで、国労は本格的な反撃に出ることとなります。
このプロジェクトにより、色々な企画が計画されていったとされています。
特にこのプロジェクトは国労のためのキャンペーンであるため、国労の有利な情報を流し、各新聞社も流されてくる情報(国労が操作した情報)になるわけであるが、いまで言えばファクトチェックにかかってしまうようなデタラメなニュースも混じっていたようである。
当時の国労の企画部長だった富塚三夫氏は、マスコミを徹底的に利用することは、官僚組織に対して効果があるとして下記のように述べています。
私は礒崎氏を中心とする官僚支配体制が一番弱いのは何かということを考えた。これはマスコミに一番弱い。僕はそういう風に官僚の体質の弱さを見抜いて新聞記者のところに駆け込んで、いろんな内容を是部社会的に告発し、暴露することをやったわけです。
<big>脂がのった30代のベテラン記者が積極的に世論を誘導</big>
そして、このプロジェクトでは一番記事を書いたのは、毎日新聞記者であった<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E5%9B%BD%E5%A4%AB" target="_blank">内藤国夫</a>氏であったそうです。
内等氏は社会部記者として辣腕を振るい、富塚氏とは、生産性反対運動で親しい間柄となったようです。
当時の内藤氏は34歳で入社10年目であり、東大紛争でも社会部記者として、積極的に取材したこともあり、積極的に記事を書いていたとされており、国労は組合員から集まってくる不当労働行為の現認情報を整理して、これは記事になるのではないかと提供されており、記者は直接取材するのではなく、国労の資料(国労の有利な材料)をベースにほぼ連日と言って良いほど資料を提供したと「国鉄民主化への道」では書かれています。
また、国労も全体像を敢えて見せずに一部だけを伝えることで世論を作る、自分たちに都合のよいように誘導した。(あくまでも、鉄労からの視点での見解)
続く
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blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
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国鉄があった時代 JNR-era
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