日本国で初めての大砲(国崩し)
Jun
23
1576年、ポルトガル人から、大友宗麟に日本で初めて 「大砲」 が送られる。
この大砲の音の大きさと破壊力により、「国崩し」 と呼ばれた。
フランキ砲と言い、16世紀の大砲の種類、原始的な後装砲。(大砲の後部で玉と弾薬を詰めフタをして使用)
宗麟はこの大砲を、丹生島城(今の臼杵城)の備砲とし、島津軍を迎え撃った。
薩摩の島津義久が日向に侵攻、戸次川の戦いで秀吉先発隊と大友連合軍は壊滅的敗北をきする、
やむ得ず、宗麟は丹生島城で籠城しこの大砲を使う。
この大砲のおかげで、島津軍を一時的に退かせ、豊臣秀吉の本隊が到着するのを待った。
【その後駆けつけた、秀吉軍10万、秀吉自ら率いる10万、総勢20万にて薩摩軍を敗退させ、宗麟、九死に一生を得る。】
★画像は、その時に使用された大砲の複製品、臼杵城内に展示されています。
★本物の大砲(国崩し)は現在、靖国神社に奉納されています。
Posted at 2011-06-23 12:27
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Posted at 2011-06-23 12:28
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Posted at 2011-06-23 12:29
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