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The return ceremony was held at Hiroshima Gokoku Shrine.
Dick(Richard) Johnson
Chris Johnson
SALT LAKE CITY (KUTV) — A father and son from Salt Lake County have recently returned from Japan after helping to solve a World War II mystery.
It was a life changing moment in the lives of a family in Hiroshima, Japan; Dick Johnson and his son Chris traveled from Utah to provide them with closure after 78 years.
"It was a very tender and sweet experience," Dick Johnson said.
"There was a very special feeling. It was intense. It was an honor to return the flag," Chris Johnson said.
The flag marked the homecoming for 21-year-old Japanese solider, Norito Myochin who was killed during the 1994 World War II battle.
"They consider that to be his spirit and it's coming home to them," Chris Johnson said.
Japanese soldiers kept these "good luck" flags folded under their shirts. They were signed by friends and family but if they were killed, the flags were often taken from soldiers' bodies as war souvenirs.
"The family and everyone associated with them, were so thankful to see this flag," Dick Johnson said.
Dick's father, a World War II Marine, brought the flag home after the way but just recently the OBON Society used the signatures and writing on the flag to trace it back to the long lost soldier.
"They consider it to be his non biological remains," Dick Johnson said.
Dick and Chris are now back in Salt Lake. 2News retraced their trip with an exclusive video from the OBON Society, which worked tirelessly to return soldier flags to their families.
A rare look inside the Shinto Shrine in Hiroshima, where the flag was blessed, then presented to the soldiers nephew and 83-year-old sister, Keiko Hirota.
"She seemed very touched by seeing this flag that had belonged to her brother," Dick Johnson said.
It was a very big event that brought local leaders and a lot of press. The families exchanged photos, gifts, a handmade quilt and took time to reflect at the Hiroshima National Peace Memorial, the site of the atomic bomb blast.
"Back then we were on opposite sides of the war. Now 79 years later, we're connected as friends," Chris Johnson said.
Dick and Chris Johnson said they visited the Myochin's family farm and home where the soldier grew up.
"It was a very personal connection between our family and their family," Chris Johnson said.
Now, a moment that almost never came, thanks to a father and son who followed their hearts across the world. Keiko could finally lay her brother to rest.
https://kjzz.com/news/local/salt-lake-county-father-son-who-helped-solve-world-war-ii-mystery-returns-home-hiroshima-japan-japanese-flag-returned-closure-78-years?fbclid=IwAR0bL5aJtzTikQP8QAB-tU2hDxQqMXUnzN36jPGZxasm3oOoXYLgr6gx4xk
左からリチャードさん、クリスさん、明鎮俊成さん、広田系子さん
多くのアメリカ兵が戦利品として持ち帰った “寄せ書き日の丸”
1941年12月8日、日本海軍による真珠湾攻撃で戦争に突入した日米両国。開戦から81年の時を経て、象徴的な和解の場が訪れた。太平洋戦争時に米海兵隊員が持ち帰った寄せ書き入りの日章旗が、遺族に返還されたのだ。
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「2年前、父から“寄せ書き日の丸”を受け継ぎました。その時はまだ、この旗に込められた意味を理解していなかった」
そう語るのは、米ユタ州に暮らすクリス・ジョンソンさん(54)。海兵隊員だった彼の祖父は、太平洋戦争に従軍して生還。その時に持ち帰ったのが、漢字の書き込みだらけの日章旗だった。
「ある時、母が僕に『OBONソサエティ』の記事を見せてくれた。それを読んだ時に、自分たちがするべき“正しいこと”が何なのか分かったんだ」
出征兵士の無事を願って故郷の親族や友人が寄せ書きした日章旗を、多くのアメリカ兵が戦利品として持ち帰った。それらを日本の遺族へ返す米NPO法人が、レックス&敬子・ジーク夫妻が立ち上げた〈OBONソサエティ〉だ。
遺族は「伯父も喜んでいるはず」
彼らは広島に住む遺族を探し出すことに成功。12月4日、広島護國神社にて返還式が行われたのである。旗の持主は、南洋の激戦地ペリリュー島で戦死した明鎮憲登(みょうちんのりと)さん。遺族を代表して、妹の広田系子さん(84)と甥の明鎮俊成さん(56)が旗を受け取った。
「感無量です。これが日米の友好と平和の礎になってほしい。伯父も喜んでいるはず」(俊成さん)
クリスさんと父のリチャードさん(79)は返還のため自費で来日。二人ともクリスチャンだが、神社での返還式に備えて前日から神道の正式な参拝作法を練習した。
「キリスト教では、すべての人は神の創造物。だから私たちの考えでは、米国人も日本人もみんな兄弟なのです」(リチャードさん)
OBONソサエティはこれまでに400枚超を返還。なおも約2400枚の日の丸が、帰郷の日を待っているという。https://www.dailyshincho.jp/article/2022/12190600/?all=1
太平洋戦争の激戦地、パラオ諸島ぺリリュー島で戦死した三原市出身の海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登さんが所持していた日章旗が4日、旗を保管していた米国人から明鎮さんの親族のもとに戻った。https://mainichi.jp/articles/20221208/ddl/k34/040/157000c
This Yosegaki Hinomaru had been kept in the New Mexico National Guard Museum in Santa Fe for years.
Happy Holidays from OBON SOCIETY. Please click the link below for our latest news.
https://mailchi.mp/1dadd51a45f9/happy-holidays-from-obon-society
戦死の祖父 手帳戻る2022/06/08 05:00
姫路の岡崎さん 「沖縄の慰霊碑に報告を
太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した第2野戦築城隊付の陸軍少佐・岡崎梅太郎さん(姫路市出身)の手帳が7日、姫路市に住む孫・公一さん(64)の手元に戻った。戦争終結から77年。この日、姫路護国神社で手帳を受け取った公一さんは、会ったことのない祖父に思いをはせ、「大切に保管し、いつか、沖縄の慰霊碑に『返ってきたで』と報告に行きたい」と語った。(北野浩暉)
戦後77年 米兵が保管
県遺族会姫路支部などによると、梅太郎さんは1904年に生まれ、38年に入隊。45年5月20日、戦火が激しくなった沖縄県の首里で死亡した。
手帳は沖縄戦に参戦した米兵が戦地から持ち帰ったもの。戦後、米オレゴン州で保管していたという。
戦利品として持ち帰られた日章旗や日記などの様々な遺品返還事業を行っている同州のNPO法人「OBONソサエティ」に米兵の息子が提供。今年4月、同支部が調査を行って返還されることになった。
当時、従軍者に配られていた手帳で、表紙には「従軍手 帖ちょう 」の文字。従軍履歴のほか、「軍紀風紀の維持」などの行動規範、計算式といった梅太郎さんがつづったとみられるメモなどが残されている。
公一さんの手元には梅太郎さんの写る当時の写真がある。祖父にあたる梅太郎さんについて、父親らからあまり話を聞いていないものの、公一さんは、これまでに計3回、沖縄の慰霊祭に参加したという。
77年の時を超えて〈帰国〉を果たした手帳を前に「祖父のことや(手帳が)返ってきた経緯についてもっと詳しく知りたい。この次に沖縄へ行く時には手帳を携えて行きたい」と話している。https://www.yomiuri.co.jp/local/hyogo/news/20220608-OYTNT50017/?fbclid=IwAR2dfUQ_haqvwRGOnnHTeMtoImots7XYPwFWt4uKYeJ7gaPPDmyzofTisFg
【動画/video】→→ https://www.youtube.com/watch?v=H7AOD5yxuz0
提供:与謝野郡役場CATVセンター
〜77年の時を経てお父様が帰郷を果たされました〜
令和4年5月15日
京都府宮津市与謝野郡生涯学習センター知遊館にて黄前典夫命「遺霊品返還式」が行われました。
After 77 years passed, Father finally came home in Kyoto to see his son and daughter.
日章旗 80年ぶり古里に 旧養老村出身・黄前さん遺品
第2次世界大戦の沖縄戦で戦死した旧養老村(現・宮津市)出身の日本兵、黄前典夫さんの持っていた寄せ書き入りの日章旗が、保管されていた米国から遺族に返還された。日本兵の遺品返還活動に尽力している米オレゴン州のNPO「OBONソサエティ」と、日本の遺族会の協力で約80年ぶりに古里に戻り、地元の家族の涙を誘った。
米から返還 子どもら「感激」
NPOによると、典夫さんは1915年生まれ。沖縄戦に兵士として赴き、45年4月に爆風で飛んできた金属片を受けて戦死したという。
日章旗はニューメキシコ州の米軍兵、エルマー・ヤングさんが戦地で見つけて保管していた。ヤングさんが亡くなり、家族のロバートさんが2020年4月、NPOに対し、持ち主に返すよう依頼。協力の依頼を受けた与謝郡遺族連合会などが典夫さんの遺族を捜し出した。
与謝野町の知遊館で15日に返還式があり、典夫さんのそれぞれ長男、長女で、織物業黄前国忠さん(83)(与謝野町)と、山本洋子さん(81)(宮津市)に、たばこ入れと仏画入れとともに返された。ロバートさんは「戦場で遺留品を取得し、敬意を込めて大切に保管した。返還が慰めをもたらしますように」とのメッセージを寄せた。
旗には「武運長久」「心身健全」などと書かれ、多数の署名もあった。国忠さんは幼かったため父の典夫さんの顔を覚えていないといい、「この日を迎えられ言葉に尽くせないほど感激している。(旗を)見ただけで涙が出る」とハンカチで目頭を押さえていた。
https://www.yomiuri.co.jp/local/kyoto/news/20220516-OYTNT50082/?fbclid=IwAR1inBR8WUBlEhHzlENsBW8QEs0UqaECo3SRtsKdZj403bDHKoApWYvv_JQ
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