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【京都新聞】「今があるのは兄のおかげ」太平洋戦争で戦死した元兵士の遺品、親族に返還(Returned to the relatives of a former soldier who was killed in the Pacific War.

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【京都新聞】「今があるのは兄の...
「今があるのは兄のおかげ」太平洋戦争で戦死した元兵士の遺品、親族に返還
 

太平洋戦争で従軍した県出身の元兵士岸田長次郎さん(享年28)の遺品が6日、戦後78年を経て親族に返還された。大津市内で行われた返還式の後、弟の岸田五典(いつすけ)さん(79)=彦根市楡町=は「今があるのは兄のおかげと思う。大事にしていきたい」と語った。

 遺留品を遺族に返す活動をする米国オレゴン州の非営利団体「OBON SOCIETY(オボン ソサエティー)」から厚生労働省に遺留品の情報提供があり、遺族会の調査で遺族が特定された。

 犬上郡亀山村(現彦根市)出身の長次郎さんは陸軍軍曹で、独立歩兵第166大隊に所属していたが、1945年7月5日にフィリピンのミンダナオ島で戦死したとされる。返還された遺品は、長次郎さんの名前が記されたたすきと、布に糸を結んで出征兵士の無事を祈る千人針の2点。

 県遺族会によると、同団体を通じて戦争遺留品が県内の遺族に返還されるのは今回で20例目。
 
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【中日新聞】たすきや千人針を遺族の手に 彦根で戦争遺留品返還式(Return Ceremony in Hikone)

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【中日新聞】たすきや千人針を遺...
たすきや千人針を遺族の手に 彦根で戦争遺留品返還式

戦争で亡くなった人の持ち物を遺族に届ける「戦争遺留品返還式」が6日、大津市内のホテルで開かれた。彦根市の岸田五典(いつすけ)さん(79)に、戦死した兄の長次郎さんのたすきと千人針が返還された。

 たすきは日章旗をたたんで縫い合わせて作られており、「岸田長次郎君」「亀山村」と書かれていた。亀山村は現在の彦根市にあたる。千人針は武運長久を祈って布に糸を縫い付けたもので、出征する兵士のお守りとされた。

 長次郎さんは陸軍軍曹で太平洋戦争末期の1945年7月5日、フィリピン・コタバト州マリダガオで戦死したという。当時28歳で、遺骨などは戻らなかった。長次郎さんと五典さんは親族関係ではあるものの、ともに岸田家に養子縁組された戸籍上の兄弟で、直接会ったことはないという。

 日本兵の遺品を遺族に返還する活動を続ける米オレゴン州の非営利団体「OBONソサエティ」から厚生労働省や日本遺族会を通じて滋賀県遺族会に遺族の捜索依頼があり、昨秋に岸田さんが遺族だと判明した。

 三日月大造知事から遺留品を受け取った岸田さんは「国のために戦ってくれた人たちがいたからこそ、今の私たちがいる。仏壇に供えて供養し、永久的に保存していきたい」と感謝した。
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【ひろしま護国】「明鎮憲登命日章旗返還式」について記事が掲載されました。

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【ひろしま護国】「明鎮憲登命日... 【ひろしま護国】「明鎮憲登命日...
広島護国神社発行の冊子【ひろしま護国】の令和5年12月号に令和4年12月4日、同護国神社で執り行われました「明鎮憲登命日章旗返還式」について一面記事が掲載されました。
 
冊子の中から表紙の「藤本武則 宮司」のご挨拶、P3の日章旗返還式当該記事、p12から崇敬奉賛会の入会案内(抜粋)して転載させて頂きます。

全国の護国神社では戦没者遺族ではなくとも崇敬奉賛者として崇敬会員を募っております。

こちらは返還式当時のOBONスタッフによる手記です。
共にご一読くだされば幸いです。
 
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日本遺族通信/札幌で日章旗返還(Return of the Japanese flag in Sapporo)

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日本遺族通信/札幌で日章旗返還...
日本遺族通信ににて昨年12月に札幌護国神社にて執り行われました「吉原一徳命日章旗返還式」について記事が掲載されました。
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【NHK動画】フィリピンで戦死の男性の遺品の日章旗 親族が郡上市に寄贈(Japanese flag belonging to man killed in action in the Philippines; relatives donate it to Gujo City)

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【NHK動画】フィリピンで戦死... 【NHK動画】フィリピンで戦死...

令和5年4月に岐阜県郡上市出身の日本兵「石原力三」命の日章旗が甥の勝彦さんに返還されました。今年に入り、勝彦さんは日章旗を市の歴史資料館へ寄贈されました。NHKが記事を掲載して下さいましたので転載致します。

ーーフィリピンで戦死の男性の遺品の日章旗 親族が郡上市に寄贈ーー

岐阜県郡上市出身で、太平洋戦争中、フィリピンで戦死した男性の遺品の日章旗が親族から市に寄贈され、戦争の悲惨さを伝えていく資料として市の歴史資料館で保管されることになりました。

寄贈されたのは、終戦間際にフィリピンのルソン島で22歳で戦死した郡上市出身の石原力三さんの日章旗です。

縦およそ70センチ、横およそ1メートルで、日の丸の周りには親交のあった人の名前など164人分が書かれています。

日章旗は、アメリカ兵が戦利品として持ち帰った日本兵の遺品の返還を求める団体を通じて、戦死した石原さんのおいで勝彦さん(65歳)に去年、返還されましたが、勝彦さんは管理しつづけていくことは難しいとして、戦争の悲惨さを伝える貴重な資料として市に寄贈することを決めたということです。

勝彦さんは「自分のところにこんな形できて本当にびっくりした。だんだん戦争のことを知らない人が増えているが、今があるのはこうした資料が引き継がれてこそだと思うので、たくさんの人に見てほしい」と話していました。

遺品の日章旗は、郡上市歴史資料館で保管され、展示についても今後検討されるということです。
 

※本文中に「アメリカ兵が戦利品として持ち帰った日本兵の遺品の返還を求める団体」とOBONソサエティについての記述がありますが、OBONソサエティは「返還を求める」事はありません。海外から返還されるすべての遺霊品は提供者からの自発的善意によって寄せられたものです。
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【NHK WORLD】戦死した兄 取り戻したつながり(A brother killed in action, a connection restored.)

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https://www.nhk.or.jp/hokkaido... https://www.nhk.or.jp/hokkaido/articles/slug-na8c0bb9be388?fbclid=IwAR36tw0XJ4DUok5i0DlItUcCwqQa68a8YzyKVkGvYMIWPdHSD_aozm1nycU 【NHK WORLD】戦死した... 【NHK WORLD】戦死した... 【NHK WORLD】戦死した...
「兄がやっと帰ってきてくれた」
 
 戦争で命を落とした家族とのつながり。私はそれをおよそ80年ぶりに取り戻した2人の女性を取材しました。90歳代の2人は札幌とオーストラリアに住んでいますが、ともに大好きだった兄を戦争で亡くしました。そして戦地から「亡くなった」という知らせだけを受け取り、遺骨も遺品も手元に届きませんでした。そんな2人のもとに兄の遺品が海を越えて届けられました。兄と“再会”する瞬間、2人は何を思ったのでしょうか。
 

沖縄で戦死した札幌の兄 木箱には…
「私にとっては、宝ですね。宝。命に代えられるぐらいの宝だと思います」
 
札幌市に住む児玉陽子さん(91)が語るのは、1枚の日章旗のこと。
兄の吉原一德さんが20歳で出征する時に身につけていたものです。
 
陽子さんの9歳年上で優しくてハンサムな“自慢の兄”でしたが、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなりました。21歳でした。当時、幼かった陽子さんのもとに届いたのは、戦死の通知と1つの木箱でした。
 
 児玉陽子さん
「こんな木箱ね、渡されたんですよね。母がね、『陽子、持ってみるかい』って言って、渡されたら、カラコンコロンって。見たら石ころ1つ入ってる、それだけです」

陽子さんのもとに一德さんの日章旗が戻ってくることになったきっかけは、アメリカのNPO「OBONソサエティ」に、あるアメリカ人男性から入った1本の連絡でした。
「亡くなった父が日本から持って帰った旗を、もとの持ち主に返したい」
日章旗は、アメリカ軍兵士が沖縄からアメリカに持ち帰っていたことがわかったのです。
 
旗には戦地での活躍を願う「敢闘必勝」ということばや、陽子さんの兄の名前が書かれていました。そして、旗を埋め尽くすほど多くの人の名前が寄せ書きされていました。当時、出征する兵士は、家族や同僚からこうした日章旗を贈られ、戦地に向かうのが習慣でした。
 
「OBONソサエティ」のメンバーで札幌市に住む工藤公督さんが、旗に書かれた名前をもとに遺族会などに問い合わせました。その結果、遺族が今も札幌に暮らしていることが判明。妹の陽子さんにたどりつきました。
 
寄せ書きは当時、一德さんが勤めていた札幌の百貨店の同僚たちが書いたものだということもわかりました。
 
 NPO「OBONソサエティ」工藤公督さん
「ご遺族がまだ札幌に在住し、ごきょうだいがご高齢ながらもご存命であるということがわかり、これはもう一刻も早く返還しなくてはと思いました」
誰よりも母に報告したい
 
陽子さんに日章旗が返される当日、旗をアメリカに持ち帰った海兵隊員の息子グレッグ・マッコラムさんとその家族もアメリカから駆けつけました。
 
そしてマッコラムさんの手から、陽子さんに直接、日章旗が手渡されました。陽子さんは旗を両手で顔に押し当て、感情を抑えられない様子でした。
 
そして、母親の遺影を前に泣き崩れました。陽子さんは、兄の“帰還”を、誰よりも亡き母に報告したいと思っていました。
児玉陽子さん

「兄が肌身離さず身につけていた日章旗を大切に保管してくれてありがとうございます。母が生きていたら、いちばん喜んだと思います」
 
アメリカ人兵士の家族に感謝の言葉を伝えた陽子さん。
兄・一德さんとの“再会”を果たし、心に決めたことを話してくれました。
「日章旗は、私が“あちら”に行くときに持って行って、母に渡すことに決めているんです」

 日章旗を返還したグレッグ・マッコラムさん
「遺品を家族に返すことで、私たちにとっても心の区切りになりました」

NPO「OBONソサエティ」工藤公督さん
「遺品が返還され、日本の遺族はお兄さんやお父さんをようやくちゃんと供養することができる。そしてアメリカ側にとっては、戦場から戦利品として持ち帰った遺品を、正当な所有者に返すことで、心の平安を取り戻すことになる。これが戦争をした国どうしの和解につながっているんだと思います。1枚の旗がどれほどの和解の力を持っているのか、ひしひしと感じます」
 
切り離された兄妹 オーストラリアにも
そして遠いオーストラリアに住むもう一人の女性についてです。
私は以前、オーストラリアに勤務していて、そこでも戦死した人の遺品が遺族に返される活動を取材したことがありました。
 
出会ったのは、北東部クイーンズランド州に住むケビン・ウェストさん。
ケビンさんのもとに小包がドイツから届きました。
 
入っていたのは、第2次世界大戦中、ドイツに撃ち落とされた軍用機の破片です。
搭乗していた兵士7人は全員、墜落で死亡しました。
このうちの1人が、ケビンさんの母の兄、ケビンさんにとって伯父にあたるオーストラリア人兵士でした。
 
 ドイツで戦死したオーストラリア人兵士 フレデリック・ジョン・キングさん
ドイツの市民グループが軍用機の墜落地点で残骸を収集し、遺族を見つけ出して届ける活動を続けていて、ケビンさんのもとに届けられたのです。
 
原形がわからないほどゆがんだ、金属の破片。これをケビンさんは、母親のベリルさんに届けました。認知症で高齢者施設に入所しているベリルさん。どのような反応をするのか、ケビンさんも私も、わかりませんでした。
ケビンさんはベリルさんに「お兄さんが乗っていた飛行機の破片だよ」と説明し手渡しました。

受け取ったベリルさんは、「今、返ってくるなんて、信じられない」と驚きの声を上げます。「兄は若くして亡くなった、とても悲しかった」。涙で声を詰まらせました。
そして私に、兄が優しい人だったということを、幼少期のエピソードとともに、たくさん話してくれました。兄との思い出を鮮明に語るベリルさんの様子に、息子のケビンさんは驚いていました。戦争から何年たっても、亡くなった家族とのつながりを、遺族は求め続けている。私はそれを身をもって感じました。

かつての敵が、今は
忘れられないベリルさんの言葉があります。
飛行機の破片を送ってくれたのがドイツの市民グループだと知ったとき放った言葉です。
「ドイツが返してくれたの?敵だったドイツが?」
 

オーストラリアと日本も、第2次世界大戦では敵どうしでした
破片を返還したドイツの市民グループも、陽子さんに日章旗を返したアメリカ人兵士の家族も、「正当な持ち主のもとに返したい」という思いで、みずから返還に動きました。
戦争当時は敵だった相手に対して、です。

戦争から何十年もたった今、“かつての敵”ではなく“人”として悲しみに寄り添う気持ちがあったからこそ実現した返還でした。
 
今の世界に目を向けると各地で戦闘が続き、きょうもどこかで大切な家族を失う人がいます。今、戦闘を続ける勢力どうしが敵ではなくなり、亡くなった人の遺留品を遺族に返す日は訪れるのでしょうか。先行きの見えない世界に、やるせなさを感じます。
家族を失う悲しみを経験する人がこれ以上増えてほしくないと強く思います。
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産経新聞/米非営利組織メンバー 工藤公督 Kudo, (49), member of a U.S. nonprofit organization Return of the Japanese flag of former Japanese soldiers, as soon as possible.

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産経新聞/米非営利組織メンバー...
米非営利組織メンバー 工藤公督さん(49) 旧日本兵の日章旗返還、一日でも早く
 
旧日本兵が戦地に持参した日章旗の返還を通じて、日米で平和活動に取り組む米国の非営利組織「OBON(オボン)ソサエティ」のボランティアメンバーとして、戦没者の親族探しや広報活動に取り組む。
 
高校を1年で中退し、単身米国へ。アイダホ州の高校でアメリカンフットボールを始め、全力でプレーする様子から「カミカゼボーイ」の愛称で呼ばれた。
 
21歳のときに帰国。自身の愛称の由来を調べたのがきっかけで、「戦争の歴史を学びはじめた」という。平成25年、OBONソサエティが発信したフェイスブックの書き込みをきっかけに、日章旗の持ち主の親族を探して返還する活動に携わるようになった。
 
当初は名前のくずし字が読めず、一文字ずつ調査。専門家の協力も得ながら解読し、名字の特徴から都道府県を絞り込む作業などを進めた。内装業で働きながら、日章旗に記された名前を手がかりに全国各地で戦没者の親族を探す。
 
これまでに600枚近くの持ち主が判明し、200(訂正600枚)枚以上を返還した。「遺骨さえ帰ってこなかったご家族にとっては分身のようなもの。涙する姿を見ると、返還活動を手伝わなければ自分の心がおさまらない」
 
先の大戦で米軍人が戦利品として持ち帰った日章旗は推計5万枚ともいわれる。膨大な調査が欠かせないが、日本国内のボランティアメンバーは自身を含めてわずか2人だ。それでも、「一日でも一枚でも、早くお返しできるようにしたい」と、理解と支援の広がりを強く訴える。
(坂本隆浩)
 

■くどう・こうすけ
昭和49年、札幌市出身。同市内の高校を1年で中退し、米アイダホ州の高校に入学。21歳で帰国し、内装業に従事。平成25年から、米オレゴン州公認の非営利組織「OBON(オボン)ソサエティ」のボランティアスタッフとして活動している。
 
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December 2023

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Happy New Year from OBON S... Happy New Year from OBON SOCIETY!
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December 2023

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Warren McCollum and Kazunor... Warren McCollum and Kazunori Yoshihara
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中日新聞/【つなぐ 戦後78年】父の旗 突然の帰還(Father's Flag Sudden Return)

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中日新聞/【つなぐ 戦後78年... 中日新聞/【つなぐ 戦後78年...
【つなぐ 戦後78年】(14)父の旗 突然の帰還

 思いもしない“帰還”だった。2019年5月、石川県白山市笠間町の山下弘さん(82)の元に、小包が届いた。沖縄戦で戦死した父・朱一さんの遺品。多数の寄せ書きで埋め尽くされた日章旗と、英語で書かれた1枚の手紙があった。戦後70年余りを経て手にした形見を前に、山下さんは激戦を極めた沖縄で命を落とした父の最期と、帰らぬ夫を待ち続けた母の姿に思いをはせる。

 県遺族連合会などによると、朱一さんは1910(明治43)年、笠間村(現白山市笠間町)石立町に生まれた。妻の咲子さんとは39年に結婚。2人の間に山下さんが誕生したのは41年8月で、同年12月8日に太平洋戦争が開戦した。

 大阪市電気局に勤めていた朱一さんは、陸軍に入隊し、戦地へ向かった。山下さんと咲子さんは大阪から石川へと戻った。朱一さんは沖縄戦に動員され、45年6月26日、沖縄本島南端の糸満市山城(やまぐすく)地域で戦死したとされる。34歳。南進する米軍に追い詰められ、多くの犠牲者が出ていた日本軍の幹部が自決し、組織的な戦闘が終わった後のことだった。

 小包は米ミシガン州から発送されていた。送り主は米兵だった父を持つジョン・マイヤーズさん。手紙はマイヤーズさんが記したもので、マイヤーズさんの父が第2次世界大戦中、多くの日本兵が戦地に残した旗を持ち帰っていたことなどがつづられていた。「この旗は、あなたにとって大切なものであるだろうと思います」とあり、最後は「お互いの心の傷が癒やされ、安らぎを見いだせることを願い、この旗を送ります」と結ばれていた。
 マイヤーズさんと山下さんの間を仲介したのは、海外のNPO「オボン・ソサエティー」(米オレゴン州)。大戦中に米兵らが持ち帰った日本兵の遺品、特に「日の丸寄せ書き」の返還を支援している。

 「えっ、今ごろ! びっくりというのが率直な感想」。旗を受け取った当時の心境を、山下さんはそう振り返る。「大きな汚れや焦げ跡もなく、少なくとも父の死後、むごい仕打ちにあったことはなさそうなのでほっとした」とも。

 朱一さんの訃報が届いたのは戦後。「1枚のはがきが届いたことが印象に残っている」。幼かった山下さんには泣き崩れる母の姿が記憶にある。成長するにつれ、「父の遺骨や遺品はなぜ帰ってこないのだろう」と疑問を抱くようになった。2015年、父が戦死した沖縄県に初めて遺族会で赴いたが、戦没地とされる山城には日程の都合で足を運べなかった。その後は家族の体調不良などで、沖縄訪問は実現していない。

 戻らぬ遺骨に、帰還を強く望む山下さん。その理由は、10年前にこの世を去った母の姿が心の中に残り続けているから。「家の仏壇に昔、母が石ころを置いていた。母に理由を聞くと、遺骨の代わりだと。そんな姿が哀れでならなくて、当時はかける言葉が見当たらなかった」

 わずかながらも父の遺品を手にして「少し気持ちが晴れやかになった」と山下さん。母の思いを果たすため、父の最期を知るためにも、「また沖縄に赴き、父のことをもっとよく調べたい」と誓う。 
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