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OBONスタッフ手記/明鎮憲登命日章旗返還式(OBON staff's Note. Returning the remains of the war dead in Hiroshima)

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OBONスタッフ手記/明鎮憲登... OBONスタッフ手記/明鎮憲登... 昇殿参拝 昇殿参拝 OBONスタッフ手記/明鎮憲登...
捜索班の工藤です。令和4年12月4日、広島県三原市出身の海軍兵士【明鎮憲登】命の日章旗を返還すべく米国から旗の提供者であるジョンソン親子「クリス(元米兵孫)」さんと「リチャード(元米兵息子。自身もベトナム戦争帰還兵)さん」を迎え、広島護国神社で日章旗返還式が執り行われました。

兵士の出身地である広島県三原市(大和町)といのは実は私自身多少の所縁があるところのようで、母方の6代前の祖先は三原市豊田の本郷の出であります。そんな個人的な事を胸に秘めこの返還式に記憶にない懐かしさのようなものを感じながら準備をさせて頂いておりました。

また、旗の提供者でいらっしゃるジョンソン親子はアメリカはユタ州のリーハイ(レヒ)という町からお出でになられました。ユタ州は私が大学時代を過ごした同州のローガンから150kmほどの距離。米国西部での150kmというのはまぁご近所さんなわけです。なのでジョンソン親子がどのような背景から来られた家族であるか、割と親近感を持って知る事ができました。

そんな2つの家族の橋渡しをすることが出来て本当に嬉しく、名誉に思います。
式は4日の午前9時から広島護国神社にて昇殿参拝から始まりました。ご遺族側からは明鎮家の本家、各分家を代表する方々が14名も集まり、最年少は11歳の明里さん、最年長は御年84歳になられる「憲登」命の実の妹の系子さんでした。4世代の親族が参列される返還式は私自身初の事でした。世代を超えた縁を憲登命が結んでおられると実感します。

ジョンソン親子は前日に靖国神社を訪れ、参拝の作法などご自身で学ばれ、どのように振舞う事が日本の英霊そして日本の文化に最大限敬意を払う事が出来るのか真剣に考えられておられました。彼らの故郷のユタ州は宗教的にキリスト教を信仰する方が多く、彼ら自身も毎週日曜日には教会へ行き礼拝を行い、その身と心を常に清く正しくいられるよう心がける事に重きを置き人を敬い愛する事を知っておられました。

そんな両家は顔を合わせた瞬間からお別れになるまで数えきれないほどの「ありがとう」と「Thank you」を交わされました。

既に式の様子は各メディアが紙面、映像で報道されていますので是非そちらをご覧頂ければと思います。メディアでは伝えられていない式の後に行われた昼食会と兵士「明鎮憲登」命や今回参列された系子さんのご実家と明鎮家のお墓に訪問について少し触れさせて頂きます。

広島護国神社での式が終わり、両家を関係者30名での昼食会が催されました。場所は原爆ドームを望む「広島平和記念公園」の中にある建物。この建物自体も戦争の証人であり今なおその凄惨な出来事を我々に語り掛ける遺物でした。

30名が対面に着席しお弁当を頂きました。参議院議員の有村治子先生の発案で「いただきます」の発声は明鎮家の最年少世代の女の子2名が立ち上がり「合掌・いただきます!」と。こんなに未来を感じる光景はなかなか見る機会がありませんでしたので私も思わず大きな声で呼応してしまいました。

昼食を頂きながら30名がめいめい自己紹介と今回の返還式についての感想を述べました。明鎮家の皆様は旗をはるばるアメリカから持ってきて頂いたお礼を、そしてあらためて思う平和の尊さを口にし、地元遺族会の会長は旗に署名された110名もの懐かしい地元住民の名前に「みんな亡くなってしまった。直接にこの旗を見られたらどんなに喜ばれただろう。。」と言葉を詰まらせました。そしてジョンソンさんからは米国から来た自分たちを快く迎えてくださったお礼を述べられました。

参加者の中から「人種、宗教、世代を超えてこのようにご飯を囲む事が本当の平和の姿」だとお話がありました。本当にその通りだと思い一同大きく頷き、今目の前に広がる光景がそのものであると実感し胸に刻もうと誓いました。

会食を終えジョンソン家からはユタ州の観光地「ブライスキャニオン」のお土産や式を記念し作成された盾など多くのギフトが贈られました。会場には憲登命の海軍時代の写真、元海兵隊だった「リチャード・ジョンソン」さんや米国で暮らすジョンソンファミリーの写真が並べられました。外では「平和の鐘」が鳴り響いていました。

私たちは昼食を終え、明鎮さんのお招きで明鎮家の地元、憲登命や系子さんが育ったお宅と一族の眠るお墓のある大和町上徳良へ向かいました。

広島市内を抜け山陽自動車道を北上し約一時間の運転でしたが、都会から徐々に日本の原風景に様変わりする風景は私たちを八〇年前へタイムスリップさせてくるに十分なものでした。収穫を終えた田んぼに、野焼きの煙。落ち損ねてしわしわになった柿や少し色あせた竹林。かつて憲登命が見た風景の中に私たちは身を置いたのです。この山深い集落からお国の為と下山し海軍へ入隊され、遠く南国のペリリュー島へ向かわれたのだと思うと頭の中で唱歌「ふるさと」が流れてきました。

まず向かったのは明鎮家のお墓です。細い農道の横に一本の細い道が山腹に続いておりました。くるぶしまで積もった枯れ葉を鳴らしながら皆が手を取り合って五分ほど山に入ったところに墓地はありました。眼下に茅葺屋根の古民家を望む見晴らしのよい場所でした。江戸の昔からこの地で暮らされた明鎮一族とその家に仕えた使用人さんたちのお墓だとの事です。古いものはもう名前も分からぬほどに朽ちかけておりました。蝋燭を灯し、お線香を焚き皆で手を合わせ、憲登命の日章旗が故郷に帰還した事をご報告申し上げました。ジョンソン親子は初めての日本のお墓参りに「これは二礼二拍手。。??お線香?神道?」ってなってましたが、八万の神々を敬い、仏様に手を合わせる日本の風習にも理解を示され皆と同じように手を合わせておられました。

日没も迫る時間帯になり、私たちはいよいよ明鎮さんのお宅へ。明治の時代に建てられたこの家は140年近くこの場所で憲登さん含め多くの子供たちを育んできたそうです。系子さんやご親族の方々が代わる代わるにこの家での思い出を語ってくださいました。「ほら見えますでしょう?築山にある大きな木の、ほらそこに。あれは憲登さんの一番下の弟の保(タモツ)が小さいとき悪ガキどもといたずらをして木に彫ったんです。ほらここにも。昔はよくここであそんだわ。。」

お宅へあがると真っ先に目に入ってきたのは高い床。土間からゆうに1mはあがったところに床がありました。なぜこのような高床なのか誰も分かりませんでしたが、昭和の頃にはこの床下で鶏を飼っていたそうで、鶏の世話は子等の仕事だったと仰ってました。ご主人が奥のへと招き入れてくれたので中へ入るとそこにはびっくりするほどに大きく立派なお仏壇があり、職人の手業が光る逸品でした。欄間の透かし彫りは西本願寺の壁のしつらいを模して彫られたもので7人の職人がそれぞれの工程を担当し作り上げたお仏壇だとのお話でした。まずは帰還した日章旗をお仏壇に供え、お線香をあげさせて頂きました。皆が順にお線香をあげるものだから部屋はいつの間にか雲の中に入ったかのような煙にまかれてしまいました。これがリチャードさんには堪えたらしく、せき込み、涙を流しながら紅葉まんじゅうを食べていらっしゃいました。

笑いが絶えないとても貴重な時間をすごさせて頂きました。明鎮家からはジョンソン親子にそして恐縮にも私たちOBONにもお土産を頂きました。私は早速に自身の母親と日頃お世話になっている方へのお土産にと渡してしまい不覚にも写真を撮るのを忘れてしまいましたがそれはそれはとても心のこもった贈り物でした。

お部屋に飾れていた憲登命の父母様のお写真が朗らかにこの団欒を見守っていらっしゃいました。きっと今は憲登命も他の9人の兄妹(憲登命は12人兄妹の長男、内 系子さん含む2名がご存命)も同じようにこの集まりを見守っておられる事だと思いました。

私たちは持ちきれないほどのお土産とたくさんのありがとうを頂き帰路につきました。街灯もない集落は曲がり角さえ分からぬほどの暗闇に包まれていましたが、帰りの車内は皆興奮冷めやらぬ思いを言葉にしながらキラキラの笑顔を湛えて広島市内に戻っていきました。

また思い出す事があれば追記で書きたいと思います。
この度の返還、誠におめでとうございました。

返還式は三原市遺族会とOBONのジョイント共催で行われ、本当に多くの方々にご協力頂きました。この場を借りて三原市遺族会の岡本会長、広島護国神社の藤本宮司はじめ松下、佐伯禰宜、またお忙しい中、広島まで足を運び式でご挨拶を頂きました、有村治子参議院議員、日本遺族会市來副会長に御礼を申し上げます。他にも広島県内支部遺族会の会長さんたちも多く参列して頂き、そしてご寄付を頂き感謝してもしきれないほどです。本当にありがとうございました。

※多くの写真を撮影しませんがブログに載せきれませんでした。
こちらからどうぞ → https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid0bDXCKucVWRZBCbbgKeQ6XABUSmTXznbj9dcVXzuNoaoNXZgUZys6AS1KjyNg6e98l
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【動画】RCC中国放送/旧日本兵の日章旗がアメリカから遺族のもとへ「遺骨の代わりに帰ってきた」 77年ぶりの帰国…(Former Japanese Soldier's Japanese Flag Returns from U.S. to Family "in …)

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https://newsdig.tbs.co.jp/article... https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/222299?display=1 遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士... 遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士の遺品です。太平洋戦争で戦死した広島県三原市出身の男性の遺品となる「日章旗」が、アメリカから遺族の元に戻りました。 返還されたのは、三原市出身で、... 返還されたのは、三原市出身で、旧海軍の兵士としてパラオのペリリュー島で戦死した明鎮憲登さんの日章旗です。

日章旗は、アメリカ軍の元海兵隊員、リチャード・ジョンソンさんの家族が保管していました。受け取ったのは、憲登さんの妹・広田系子さんと、甥の明鎮俊成さんです。
日章旗は、およそ縦70センチ・... 日章旗は、およそ縦70センチ・横80センチ。「武運長久」など勝利と無事を祈る言葉とともに、家族や地域の人々の名前が記されています。多くの日本兵は、寄せ書きの日の丸をお守りとして身につけていたとされます。

一方、アメリカ軍などにとって日章旗は、敵軍のシンボル。当時は戦利品としての人気が高く、戦地から持ち帰ったものが今も世界中に残されたままだといいます。
リチャードジョンソンさん 「父... リチャードジョンソンさん
「父から日章旗のことを聞いたことはありませんでした。他のものと一緒に自宅に保管されていて、戦争体験について多くを語らない人でした」
日章旗の存在に気づいたのは、孫... 日章旗の存在に気づいたのは、孫のクリスさんでした。日章旗など遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に連絡を取り、憲登さんの遺族とコンタクトがとれたのです。

明鎮俊成さん
「(初めて連絡が来たときは)びっくりした」

激戦地・ペリリュー島で戦死した憲登さんは、遺骨すら日本に帰ることはありませんでした。

明鎮俊成さん「遺骨の代わりに形あるものが帰ってきた」
年の離れた妹の系子さんは、国を... 年の離れた妹の系子さんは、国を離れて戦地に向かった兄の記憶はほとんどないそうです。

広田系子さん
「6歳の時です、わたしが。一日、帰ってきたことがあるんです。あれだけ覚えている」

― 77年ぶりにお兄さんの遺品が帰ってきましたが、お兄さんは帰ってきたかったと思いますか?
「ええ、そう思います」
リチャードジョンソンさん 「遺... リチャードジョンソンさん
「遺族に日章旗を返還することができて幸せです。日章旗は御霊の象徴だとも聞きました。故郷に返すことができて感激しています」
「OBONソサエティ」によりま... 「OBONソサエティ」によりますと、これまでに日本兵の遺族などに返還できた日章旗はおよそ500枚…。団体は、今も故郷への帰還を待つ日章旗およそ2400枚を保管しているということです。
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #共同記者会見 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #広島県 #広島護国神社 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊 #護国神社

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STARS & STRIPES/Families of former WWII foes meet in Hiroshima for ‘good luck flag’ return

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A U.S. Marine’s... A U.S. Marine’s family returns a “good luck flag” to the family of a Japanese sailor during a ceremony Sunday, Dec. 4, 2022, at Gokoku-jinja, a shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead. Akari Terahara, 11, holds a ph... Akari Terahara, 11, holds a photo of her relative, Norito Myochin, during a flag-return ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japan, Sunday, Dec. 4, 2022. (Jonathan Snyder/Stars and Stripes) Chris Johnson returns Norito ... Chris Johnson returns Norito Myochin's "good luck flag" to the late Japanese sailor's relatives, nephew Toshinari Myochin and sister Keiko Hirota, during a ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japa
Families of former WWII foes meet in Hiroshima for ‘good luck flag’ return

HIROSHIMA, Japan – A U.S. Marine’s family returned a “good luck flag” Sunday to the family of a Japanese sailor who carried it with him in battle during World War II.

Richard Johnson, 79, and Chris Johnson, 54, the son and grandson, respectively, of the late Richard Wanlass Johnson, a Marine veteran of World War II, returned the flag, or yosegaki hinomaru, to the family of Norito Myochin. The return took place at the Gokoku-jinja, a Shinto shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead.

The Obon Society, an Oregon-based nonprofit that helps U.S. veterans and their families return old war trophies like flags and swords, organized the ceremony.

Japanese troops often carried with them a small national flag signed in ink by their friends and family as a token of good luck. The flag was folded and carried securely beneath their clothing onto the battlefield, according to the society.

Myochin died at the Battle of Peleliu, fought from September through November 1944 and marked by savage combat, according to the U.S. Naval History and Heritage Command. Nearly 11,000 Japanese troops were killed. U.S. casualties numbered 1,544 killed in action and 6,843 wounded in a fight many later considered unnecessary.

“Norito Myochin died when he was 22 years old in Peleliu,” Haruko Arimura, a member of the upper house of the National Diet, Japan’s parliament, said during the ceremony. “He was born on Sept. 21, 1923, and would have been 99 years old if he were still alive.”

Richard W. Johnson, of Lehi, Utah, served in the Marine Corps for 20 years and retired as a sergeant major. He joined the war in early 1943 and fought in New Guinea, Okinawa and Peleliu.

“When he came back from the war, I was about 2, 2 ½, and then he resumed his life and he never spoke of this flag,” the Marine’s son told Stars and Stripes on Friday. “Only once that I ever got him to talk about his wartime experiences was about a year before he was killed in an airplane crash.”

Richard W. Johnson died at age 60 in 1978, his son said.

“When my father died, I inherited this flag and, frankly, another one,” he said.

He said the flag was kept in a drawer and taken out periodically by the Marine’s curious grandson, Chris Johnson.

“About two years ago Christopher asked if he could have the flag, which I was happy to give to him,” Richard Johnson said.

At the time Chris Johnson didn’t know how meaningful the flag is to the Myochin family.

“I found it fascinating, and I knew it was historically significant,” he told Stars and Stripes on Friday. “I didn’t know what to do with it, but I just asked if I could have it and I just had it in the storage until I found out about Obon Society.”

Chris Johnson sent photos of the flag to the society and in April it discovered the flag belonged to Myochin and contacted his family.

“I’m very happy” that the flag was returned, Myochin’s sister, Keiko Hirota, 84, said at Sunday’s ceremony.

Myochin volunteered to join the Japanese Imperial Navy, according to his nephew, Toshinari Myochin.

His family is happy to have something that stands in their memory for the missing sailor himself, his nephew said at the ceremony.

He said the family will offer it at a Buddhist altar.

“Hopefully this brings some closure to the family,” Chris Johnson said.


By JONATHAN SNYDER AND HANA KUSUMOTO
STARS AND STRIPES • December 5, 2022

https://www.stripes.com/theaters/asia_pacific/2022-12-05/hiroshima-good-luck-flag-obon-society-8305992.html?fbclid=IwAR0jIDSBoZlMdNyDXlNI18hGyXS9S98yRiiSioJ3wVV2fxF9eyqflSpGvjw
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中国新聞/「武運長久」110人が寄せ書きの日の丸返還 遺骨は戻らずとも涙の妹・広島(The Japanese flag signed by 110 people.Even though her brother's remains were never returned, her sister …

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中国新聞/「武運長久」110人... 中国新聞/「武運長久」110人... 中国新聞/「武運長久」110人...
 太平洋戦争の戦地に赴き、21歳で戦死した三原市出身の旧海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登(のりと)さんの日章旗の寄せ書きが4日、遺族の元に返された。米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」の仲介で、旗を保管していた米兵の遺族が来日。この日、広島市中区であった返還式で手渡した。

 縦約70センチ、横約80センチ。明鎮さんの名前と「祈 武運長久」などの言葉が大きく記され、古里の親族、住民たち約110人の寄せ書きがある。明鎮さんは海軍に志願し、1944年に南太平洋パラオのペリリュー島で亡くなった。遺骨は戻っていない。

 広島護国神社であった返還式には、約30人が出席。米兵の息子リチャード・ジョンソンさん(79)、クリスさん(54)の父子が、明鎮さんのおいの俊成さん(56)=南区=に旗を手渡した。同席した明鎮さんの妹広田系子さん(84)=東区=は「兄は幼い私と遊んでくれた」と涙を流して喜んだ。

 クリスさんが、他の日章旗の返還に関する記事を読み、NPOに協力を求めたという。リチャードさんは「米海兵隊員だった父も、返還を喜んでいるはず」と話していた。https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/245580
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読売新聞/戦地の日章旗 遺族に返還 明鎮憲登さん 米から パラオ出征男性の遺品 (Japanese Newspaper featured Flag return in Hiroshima Prefecture )

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読売新聞/戦地の日章旗 遺族に...
米から パラオ出征男性の遺品

太平洋戦争中、パラオ諸島で戦死した旧神田村(現三原市)出身の 明鎮憲登みょうちんのりと さん(当時21歳)が戦地に持参した日章旗が4日、米国側から遺族に返還された。

旗は縦約70センチ、横約80センチ。「祈武運長久 明鎮憲登様」の文字とともに、親族ら110人の名前が寄せ書きされている。明鎮さんは、日本軍の航空基地があった同諸島南部のペリリュー島で死亡したとされるが、遺骨は戻ってこなかった。旗は元米軍海兵のリチャード・ジョンソンさん(1978年に60歳で死去)が米国に持ち帰り、保管していた。遺品を返す活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」が調べたところ、今年4月に明鎮さんの所持品とわかった。


この日、広島市中区の護国神社で返還式が開かれ、明鎮さんのおいの俊成さん(56)(広島市南区)や妹の広田系子さん(84)(東区)ら親族14人が出席。来日した元米兵の長男、リチャードさん(79)と孫のクリスさん(54)から直接、旗が手渡された。

旗を受け取った系子さんは「兄の日章旗が返ってきて本当にうれしい」と涙を浮かべ、俊成さんは「伯父が肌身離さずお守りのように持ち歩いていた寄せ書き日の丸は遺骨と同じ。実家の仏壇に供えて供養したい」と話した。https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20221204-OYTNT50191/?fbclid=IwAR1gXXIcPm00qaosL-PNOFINb_aC4LXkc07cB-BmS1KaQukv7bedJXDVyGA
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NHK/戦没者が携えた日の丸の旗 77年ぶりに故郷へ(Hinomaru Flag Carried by War Veterans Returns Home after 77 Years)

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NHK/戦没者が携えた日の丸の...
戦没者が携えた日の丸の旗 77年ぶりに故郷へ

太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵が持ち帰った日の丸の旗が三原市出身の男性の遺品とわかり、70年以上の時を経て4日、遺族に返還されました。

返還されたのは、太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島からアメリカ兵の男性が持ち帰った日の丸の旗で、ペリリュー島で22歳で戦死したとされる三原市出身の明鎮憲登さんのものとことし4月に分かりました。

4日、広島市中区の護国神社で返還の式典が開かれ、明鎮さんの妹やおいなど親族14人が出席し、旗を持ち帰ったリチャード・ジョンソンさんの息子と孫から直接、旗を受け取りました。

旧日本兵の遺留品の返還活動に取り組むアメリカの団体を通じて返還が実現したということで、旗には、「武運長久」という文字や、家族や友人などと見られる110人分の名前が寄せ書きされています。

返還式の中で、ジョンソンさんの息子のクリス・ジョンソンさんが「旗をご家族に返還できることを光栄に思います」と述べました。

旗を受け取った明鎮さんのおいの明鎮俊成さんは「アメリカから返還に来てもらい、感謝でいっぱいです。77年の時を経て戻ってきたことは奇跡としか言いようがなく、本人もふるさとに戻って来られて喜んでいると思います」と話していました。

https://www3.nhk.or.jp/hiroshima-news/20221204/4000020490.html?fbclid=IwAR0zqUP0ZtyJ9gj-a4t2-NGre2B7ekH_y45TaMu6a7jTDnwdMnlASSvmwjk

※動画内で旗の返還者で米国人のが「クリス・ジョンソン」さんとテロップされておりますが、正しくは「リチャード・ジョンソン」さんです。クリス氏はリチャードさんのご子息です。
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東海新報/平和の尊さ 次代に伝えて、神原さんの日章旗寄贈、太平洋戦争で戦死、遺族が市立博物館へ(Killed in the Pacific War, bereaved family donated a Japanese flag to the City Museum.)

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東海新報/平和の尊さ 次代に伝... 東海新報/平和の尊さ 次代に伝...
陸前高田市高田町の市立博物館(松坂泰盛館長)に、太平洋戦争で戦死した市民の名前が記された日章旗が遺族から寄贈された。東日本大震災で被災し、再建工事を終えて先月開館したばかりの同館。遺族は「恒久平和の尊さを市内外からの来館者に伝えてほしい」と思いを託した。
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朝日新聞/日章旗の返還に取り組む米団体 残る2400枚「1枚でも返したい」(ASAHI Newspaper featured Our Stories)

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朝日新聞/日章旗の返還に取り組... 朝日新聞/日章旗の返還に取り組...
出征した旧日本兵が戦地に持参し、寄せ書きがされた日章旗を遺族に返還する活動に取り組む団体がある。米オレゴン州の非営利団体「OBON(オボン)ソサエティ」。その代表レックス・ジークさんと妻の敬子さんが来日し、2日に記者会見を開いた。夫妻は「できるだけ早く、1枚でも多く返還していきたい」と語った。

団体が創設されたのは2009年。ビルマ(現ミャンマー)で戦没した敬子さんの祖父の日章旗がカナダに住む人から返還されたのがきっかけだった。

夫妻によると、米国に持ち帰られた旧日本兵の遺品は、旧米兵の家族がそのまま保管していたり、オークションに出されたりしているという。

誰も見向もしなかった活動 貯蓄切り崩し……
日章旗には持ち主の名前のほか、寄せ書きをした多くの人の名前も記されている。こうした手がかりから遺族を探し出しているという。レックスさんは「遺骨も遺品も戻らない遺族がいる。そうした遺族に発見された日章旗を届けたかった」と話す。

当初は夫妻自らの貯蓄をもとに活動していたが、19年度以降は国の遺留品調査事業を担う日本遺族会からの委託をうけ、日章旗などの返還に取り組む。敬子さんは「最初は誰も見向きもしなかったが、一枚一枚返していくことでようやく活動が広がった」と言う。

これまで遺族のもとに返還できた日章旗は427枚(22年10月末現在)。ただ、遺族らが不明で未返還のものが約2400枚あるという。

戦後77年が過ぎ、遺族の高齢化も進む。「できる限り早く返したい」と話すレックスさんはこうも訴える。「(戦没者を知る)世代で終わるわけではない。孫やひ孫の代になっても続け、次の世代に伝えていくことが大切だ」

4日には、日章旗を所持していた米国人とともに、広島県の遺族に対面して返還する予定だ。(朝日新聞・石川友恵)

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米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還 (Sankei Newspaper featured Our Stories)

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米NPO法人「OBONソサエテ... 米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
米NPO、旧日本兵の日章旗240枚を遺族会に返還
2022/12/2
米NPO法人「OBONソサエティ」が所持していた日章旗=2日、東京都千代田区
先の大戦で元米兵らが戦場から持ち帰った日本兵の遺留品を遺族に返還する取り組みを行っている米NPO法人「OBONソサエティ」(本部・オレゴン州)は2日、東京都内で日本遺族会とともに記者会見し、同法人が所持する240枚の日章旗を公開した。今後、遺族会が所有者を調査し、遺族への返還を目指す。
記事の続きは下記リンク先をご覧ください。
https://www.sankei.com/article/20221202-IR7CSCNEFVLCDLXHH7PAXUH2LM/?
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #共同記者会見 #大東亜戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊

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OBON SOCIETY Newsletter December 2022

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This Yosegaki Hinomaru had b... This Yosegaki Hinomaru had been kept in the New Mexico National Guard Museum in Santa Fe for years.
#OBONSOCIETY #flagreturn #pacificwar #peace #veteran #ww2 #yosegakihinomaru

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