勝ち負けにこだわらないければ、より楽に生きていけます。逆に勝っても負けてもいいのだと感じる者が逆に最強な気がします。絶対に負けられないと気張っても負けるときは負けます。また、盛者も必衰であり、勝っていても必ず最期は負けるわけです。ただし、勝ち負けの意識自体がなければ、負けという概念は存在しなくなりますね。でも、わかっていても出来ることではない。こういう心理の獲得も努力なんて一切関係ない。こういったものは努力で身につくものではなく先天的なものです。何とも救いようのない話ですね。自分を変える、性格を変えたい、という主張は普通のやり方を用いていれば未来永劫一生不可能です。交通事故にでもあって、脳がやられない限りは(笑)変えられると主張する自己啓発系の人間たちがいますね。それはそういわないと商売にならないから、そういう人間たちはそういう嘘を吹聴しているわけです。 沖仁宏
四国遍路の62番札所が訴訟を起こされたらしいです。
四国遍路協会うんぬんの会費72万円が未払いであったとかどうだとか・・・
四国遍路に昔行ったとき、印が欲しい人は納経してもらうのですが、納経代が300円でした。普通の寺院に比べれば、遍路の零場(札所)になっているお寺は経済的に楽だとは思いますが、まさか会費を取られているとは知りませんでした笑四国の札所に限らず、日本の寺院は、コンビニエンスストアよりも多いそうですが、本来あるべきところから相当にずれており、檀家のご機嫌取りや葬式に東奔西走している感じですね。
東北大震災について
多くの方々が亡くなったわけで、未だに被災者生活を強いられている人もおられ、悲惨な人生を歩まざるを得なくなった人々もおられます。過去の私であれば、過度に同情したかもしれませんが、「人生とはそういうもの」だと今では自然と感じるので、特に同情はありません。同情したところで、死者が蘇るわけでもありませんし現状苦汁をなめている被災者が救われるわけでもありませんね。もしするとすれば、今現在、平和な国で不自由なく生きられることに感謝することくらいでしょうか。
スウェーデンやニュージーランドのような老人に対する手厚い福祉政策を行なっている国では、いまはどうかは知りませんが、お年寄りの自殺者が急増して社会問題になりました。過剰保護で手厚く守られ、必要な当人の仕事を奪うことは、人間の楽しみを奪い、QOLを低下させていると考えられます。適度なストレスはヒトを元気にするようです。
【2つ以上のモノに意識を集中させる】
と人間の心は思考が強制的にできない状態になりやすいです。できれば3つ以上のモノに同時に意識を集中させると良い。
マインドフルネス瞑想の一番簡単なやり方です。
①自分の意識しない自然な呼吸を数える(数息観を行う)
②同時にお腹の感覚(縮み、膨らみ)に意識を集中させる
③線香の先端に軽く意識を置く
この①②③を同時に行うと、無になります。
マインドフルネス瞑想で深い瞑想状態ンはいるには、初心者の人は20分間から始めると良いです。
時間帯は起床直後、また就寝前が適しています。
注意点としては、心が極めて落ち込んだ人、雑念、考え塗(まみ)れの人は座って行うマインドフルネス瞑想はやらない方が良いです。このようなタイプの人は、有酸素運動や筋トレのような動的なマインドフルネス瞑想をやると良いです。
マーシャリネハンという米国の心理学者は、日本の禅の思想をその治療の根幹部に置きましたが、境界性人格障害やアダルトチルドレンの問題解決にあまり芳(かんば)しい評価が上がっていないのはこういう理由によります。本格的な精神疾患の場合、むしろ運動の方が有効です。
https://www.youtube.com/watch?v=HeYPxrBbBPQ>マインドフルネス瞑想の基本
心の病気と運動不足
~運動不足を解消しよう~
必要最低限度の運動が不足していると気分が落ち込んだり、頭の回転が鈍くなります。人間の脳が最も活性化しているときは体を動かしている時がその一つです。使わない脳神経は衰えることを考慮すると、運動をすることによって、脳全体をまんべんなく使用し活性化させることで、BDNF(脳神経の成長、修復を促進する誘導タンパク)を増やすことが可能になり、運動によって認知機能を向上させることができるわけです。
逆に言えば、
運動が極度に不足するとBDNFレベルは下がります。
【運動の方法】
具体的な方法としては、
ジョギングをするのであれば、3秒程度全力疾走(全力でなくてもよい8割くらいでも)を交えて、全ジョギングの工程たとえば10分のうちに全力疾走を2回くらい組み入れるだけで良いです。
それすらもやる気がない人は、片足カーフレイズを行ったり、スクワットを30回くらいやればよいでしょう。
他には、私がYOUTUBEで実演したような腿(もも)上げ運動を50回行うようにするなど、です。
筋肉痛がでてきたら、やらずに数日待ち、治ったらまた続けるようにします。(筋肉痛があるうちはハタヨガを行うと良い)運動は心の病気を治すのにマインドフルネス瞑想よりも有効なので無理のない範囲からぜひ試してみてください。
沖仁宏
本当に頭がおかしい人とは?
本当に頭がおかしい人というのは自分の性格の問題に気づけない、気づかない人。こういう人は治りようがない。問題解決は問題の自己認識の後に存在するものなのだから–––。
狂っているかいないかは、自己省察能力の可否如何(いかん)で簡単に判別可能です。狂人が「俺は狂っている」と気づいたら既にその人は狂人ではない。
沖仁宏
マインドフルネス瞑想についての実演動画を撮影しましたが、Youtubeの15分間縛りのせいで、投稿できなかったので、アプリを使って投稿しようと思います。例の運動の方法についての動画ですが、ご好評のようで、あれだけで大分良くなったというお話を最近よく耳にします。もともと陸上自衛官でしたので、肉体訓練は極限までやってきましたので、この手の話は非常に得意分野です。
敬具
沖仁宏
Bloguruって
5日以上記事の掲載をしないと削除されるんですか?
新規メンバーの方って言われても、新規メンバーの定義ってなんなんですかね?3か月くらい投稿し続ければ新規メンバー脱して削除されないようになるのですかね?
性格を変える?(後編)
性格はセラピーや自己啓発の分野の利用では変えることはできません。また、いくら自衛隊のようなスパルタ教育(肉体的、精神的)を施してみても変えることはできません。性格の一番根底にあるものは、気質です。気質とはその人の先天的な物事の受け取り方、感じ方を左右する最も深い部分です。気質により暗い性格、明るい性格・・・・・・と人間の人格は多き左右されています。そして、これは遺伝的なものです。こういった遺伝的な「脳の機能゠気質」を変えることは、上に述べてきたような普通の手法を用いていて変わるものではありません。
交通事故で凶暴な反社会的な性格だった人が、穏便な性格になったうえ、藝術の才能に目覚めてしまうこともあります。
また、逆もしかりです。
こういったことから明らかになるのは、脳の機能が性格を生んでいるという事実が大前提であるということであります。
交通事故のような物理的外傷により性格が変わってしまう・・・・・・という実例からこの事実は明らかです。
また、認知症という精神障害は、脳神経を構成するタンパク質が変成していまい生じる病気です。認知症においても性格の大幅な変容が知られています。以前は頭の回転の速い社交的な人物が、一変した性格になってしまうことは、より身近な実例である認知症の患者さんのことを思慮すればやはり同様に理解できることかと感じます。
脳というのは要するにプリズムのようなものだと理解するのが早いです。プリズムに侵入する光は、その屈折率により周波数が変わり、その周波数によって屈折後の色が変わります。
光が、プリズムを通すと、赤になったり、青になったり、紫色になったりすることは、高校の物理の実験で皆さんもやったことがあると思います。
これと同様の話で、性格もどういう脳(プリズム)を通すかによって、出力される人格(物事の受け取り方、感じ方、考え方)が変わるわけです。ですから、衝動的になりやすい脳(プリズム)を持っている人は、衝動的な性格にならざるをえないし、そういった脳の状態の人に無理に精神論を説いてみたり、認知療法を行ってみても実は無駄なのです。こういったことは誰も教えてくれません。
しかしながら、これが現実なのです。
過去の私は、過度に繊細な性格で、しかも瞬間湯沸かし沸騰器のように、衝動的で誰かと口論になると、すぐにけんか腰になり相手と敵対してしまっていました。また、嫌なことがあると、いつまでもその時その場で起きた嫌なことが頭から離れず、そのことでイライラしたり不安な衝動にかられ続けたものでした。そういったことで、結果的に非常に多くの方々に大変なご迷惑をおかけしてしまいました。
けれども、こういった衝動性も次第に消滅していきました。
今となっては、逆に反対の方に行き、極度の繊細さから鈍感さ、過度な衝動家から冷静な方へと性格が変わったわけです。
自衛隊に入隊して体を鍛えたり、座禅や瞑想を長時間毎日行っても解決できなかった私の性格上の問題が明確に解消されたわけで、正直驚きました。
今までの私はやる気が過度にある性格で、それが災(わざわい)いして、いわれのない不安、恐怖、夢想癖を生んでいたのだと述懐しています。やる気がありすぎるのも問題だと思う次第です。ただし、過度に不安や恐怖が少ないと藝術性が喪失される可能性はあります。
それが証拠に、過去、私は読書好きだったのですが、読書が嫌いになりました。(必要な書籍以外読む気がしない)繊細さがなくなった代償として、感性の世界が乏しくなった実感もあります。そういったことを考慮すると、物事は一長一短なのだと感じています。
ただし、私の場合は、過去のあんな状態に戻るくらいなら死んだ方がマシだと本気で思っているので、今のバランスが取れた状態の方がはるかに幸せだと思っています
沖仁宏
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