三重県にはかつて海軍工廠および海軍予科練施設が点在していたようで、当時相当な空襲があったらしい。今となっては、そんな面影は全く見当たらないのだけど。そんな予科練施設の広大な跡地に、資料館があるというので見に行ってみたっすよ。
予科練施設だけに、てっきり航空機製造技術や海軍の訓練内容の展示が多いのか?と思いきや、いざ足を踏み入れると、半分は特攻隊に関する遺影、遺書、などの生々しいものばかり。
当時の航空機製造に関する技術を観覧する気満々で赴いたのだけど、先人の息吹に圧倒され、感謝の念と切なさで胸がいっぱいになり、そんなどころではなかった。知覧へ行った時は息が詰まる思いだったけど、本当に儚い。
展示物のなかには航空機のエンジン、主翼などもある。朽ち果てゆく鉄の塊。ジュラルミンの金属屑。でも、そこからは、工業技術(量産技術)の限界のなかで必死にマンパワーで乗りきってきた先人の、根性や工夫を見て取れる。
アルミと鉄を駆使するレーシングカーを何百台と量産してきた身としては、限られた工作機械しか無いなか、よく人力であそこまでの製作精度を保てたものだなぁ、と、率直に感服する。知識でしか知らないけど、婦女子も生産労働者として動員されていた筈。金属加工には、力も要る。不慣れな者もいた筈だろう。
戦地、前線で散った命、空襲、訓練で散った命、非日常の戦時で駆り出された一般人の命。尊い命があったから今がある。
ビッシリと規則正しく打たれた鋲、軽量化と強度両立のためのフランジ加工された翼桁。腐食した主翼を見て、改めて想う。