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人の心配
人の世話
人助け
は、すべて後回し
自分が泳げないのに、溺れている子供を助けることはできない。
自分が泳げないのに海に飛び込んだら、他の人に助けてもらわなければならない。
だから、まず自分が泳げるようになる。
私は、自分が泳げないことを知らずに、または泳げないことを認めずに、海に飛び込んでいたことが過去に数多くあった。
その結果、助けるはずが逆に人を傷つけ、また自分が溺れそうになって人へ迷惑をかけた。
まず、
自分の足元を固める
ひとりひとりが自分の幸せへ責任を持つ
それができて初めて、
人の心配
人の世話
人助け
ができる。
そこを履き違えると、
せっかくの善意が、無責任な行為となってしまう
この大海原で、自分がしっかりと泳げるようになる
身体や精神の障害がある場合を除き、
それが、この社会の一員となる責任
我々は、助け合いながら生きてゆく
できる人ができない人へ助けの手を差し伸べる
それは、自分第一主義の前提での助け合い
自己犠牲は続かない
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
スピードや効率が重視される現代の社会。
電気機器やシステムにおいても、速さ、便利さが極限まで追求されている。
ふと考えると、
速さを重視して、かえってプロセスに時間がかかっている
便利さを追求して、どんどん時間がなくなっている
と思った。
何故だろう?
速さを重視するばかりに、優先順位が疎かになっている
便利さの追求の結果、逆に”もっと”が要求されている
機器やシステムへの過度の依存で、それらが故障するとすべてが大混乱
これ以上のスピートや効率は、本当に我々が幸せになるために必要なのだろうか?
速さや便利さを求める本来の目的が、本筋から大きく脱線しているのではなかろうか?
文明の進化とは、
人々の心を豊かにするものであるはず
今の動きは文明を退化させているように感じる
そろそろ空虚との競争から脱皮して、
スローダウンする時代が来なくてはならない
優先順位を取り戻す時期がきている
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
ニュースで飲酒運転の車がFreewayを暴走しているライブが映っていた。
数分後に、その車はコントロールを失い、猛スピードで壁に激突し、スピン横転で炎上。
飲酒運転で周囲の人たちの安全を脅かすのはとんでもない。
Freewayもこの事故で閉鎖になり、大迷惑。
この人はアル中で、家族や友人たちに迷惑をかけてきた人生の落伍者なのだろう。
と、ほとんどの人は思う。
私もニュースを見ていてそう思った。
しかし、その一方で、
この人はどうして、こういう人生の結末になってしまったのか?
この人だって、ハッピーな時間を過ごしていた過去もあったはず。
もしかしたら、とても辛いことがあって自暴自棄になってしまったのかも知れない。
という考えが頭を横切った。
決して、この人の無謀な行動を正当化しているのではない。
でも、このニュースの数分間の映像だけで「ダメ人間」とレッテルを貼ることはできない、と気付いた。
もし、自分が同じ環境で育ち、同じ状況にいたとしたら、、、
これは自分であったかも知れない。。。
私たちは、
他の人たちの身なりや立ち振舞を見て、
この人はOOだ。あの人はXXだ。
と決めつけようとする悪いクセがある。
その人の育った環境、その人の身に起こった様々な出来事など
何も知らずにレッテルを貼るのは、果たしてどうだろうか?
その心無い”レッテル貼り”が、もっと人を追い込んでしまうこともあるはず。
人に対して、
世の中の出来事に対して、
真相を知らずに、勝手な決めつけをするのは辞めようと思った。
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
私は中学生のときにお年寄りの介護施設でボランティアをしたことがある。
中学生から大学生まで20人くらいの有志が一週間ほど泊まりこみ、施設のお掃除、修繕やペンキ塗り、コンクリートの散歩道作り、毎日お年寄りとお話しの時間、最後の晩には演芸会の開催、など様々な活動を行った。
お年寄りとお話しをする時間では、寝たきりのおばあさんがよく聞き取れないほどの弱々しい声で若いころの話をしてくださった。私はただ横へ座って、半分くらいしか理解できない話へ相槌をうっているだけだったが、私が話を聞いていることを心から喜んでいるのが伝わってきた。
夜はボランティアの学生同志で討論のような活発な意見交換があった。
その中で、大学生のメンバーが
「我々は、お年寄りの方たちへお世話をしているのではなく、させていただいているのだ」
ということを熱く論じていた。
私は、
「“させていただいている”とへりくだらず、”お世話をしている”と考えて何が間違っているのか?」
と反論をしたことを覚えている。
できる人ができない人へしてあげる
そしていつの日か、自分ができなくなったらしてもらう
それが自然な助け合いなのではなかろうか?
それをへりくだって
「させていただいている」
と考える必要はないと感じた。
我々が滞在を終えて帰るときに、お年寄りの方たちが別れを惜しんで涙を流していた。
ボランティアの学生もみんな泣いた。私の目にも涙が溢れてきた。
子供心にも、魂に響く経験だった。
私は今でも、
できる人がしてあげる、
できなくなったらしてもらう
が自然でいいと思っている。
してあげるチャンスは周囲に沢山ある
だから、気付いた時にできることをしてあげる
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
うまくいく人は、いつも答えの一部。
うまくいかない人は、いつも問題の一部。
うまくいく人は「私にやらせてください」と言う。
うまくいかない人は「それは私の仕事じゃない」と言う。
うまくいく人は、どんな問題にも答えを見つける。
うまくいかない人は、どんな答えにも問題を見つける。
うまくいく人は「私が間違っていた」と言う。
うまくいかない人は「私は悪くない」と言う。
うまくいく人は、何かを起こす。
うまくいかない人は、何かが起きるのを待っている。
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
思考はエネルギー
言葉もエネルギー
頭で考えていることは周波数を作り出し、宇宙へ発信されている
ひとつひとつの言葉に魂が宿っている
これらは、絶えず無意識に起こっていること
信じようが信じまいが、引力と同じように宇宙の法則として存在している
そして、いつもそれに応じた結果を引き寄せている
この法則は万人に対して平等に作用する
頭で考えている思考、
口から出る言葉、
嫉妬、怒り、恨み、
損得、利己、排他、
称賛、喜び、愛、
感謝、利他、許容、
などの思考や言葉は、
この瞬間も宇宙へ願いとして発信されている
そして、宇宙はその願いへ従順に答える
とてもシンプルで普遍的な法則
自分の頭の中で何を考えているか、
自分の口からどういった言葉が出ているか、
自分の希望する生き方と、それらを同調させると
すべてがシフトされる
これは、強調してもしきれないほど大切なこと
絶対にわかってなくてはならない原点
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
誰でもスマートな生き方をしたい。
できれば失敗も、挫折も、非難も経験したくない。
だから、
人と違ったことはせず、
冒険は避けて無難に、
当たり障りのない生き方、
そうすれば、
転ぶリスクは最小限、
大きな失敗もしないはず、
周囲からも非難は受けない、
でも、
新しいものは生まれない、
現状維持で、何も良くならない、
夢や希望は、いつまでも夢や希望のまま、
それなら、
今年は勇気を出して
かっこう悪く生きてみようと思う
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
今までぼんやりと感じていたこと、
「人生とは自分探しの旅」
それを2012年に確信できた。
生まれ育った環境、
様々な人間関係、
様々な出来事や状況、
を通じて、
私たちは、最初に
「自分でないこと」
を沢山体験する。
えっ、自分でないこと?
自分のことを棚に上げて他を非難したり、
傲慢、強欲になったり、
利己や損得に走ったり、
自尊心を失ったり、
自分のそういった言動にハッとして、
これは自分ではない!
と気付く瞬間がある
私は過去を振り返り、
「あのときの言動は自分ではない」
と今になって思うことが数えきれないほどある。
今年も、少なからずあった。
「自分でないこと」
が少しずつ見えてくる
それは、タマネギの皮を一枚ずつ剥いて行くのと同じ
自分でないことを一枚ずつ脱ぎ去り、
本当の自分へ近づいて行く
それが自分探し
そのプロセスが人生
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
最近、ある人の話を聞いていて、
我慢には2つの種類があることに気付いた
すべき我慢
すべきでない我慢
日本の文化では、
我慢(辛抱)を美徳とする意識がある
辛いことがあっても、
“耐え忍ぶ”
“我慢、辛抱、耐え忍ぶ”
に値することと、値しないことがあるように思う。
そう考えていたら、以前学んだ下記のこととつながった。
人間を行動へ駆り立てるモチベーションは、大きく2つに別れる
1)欲求を満たすため
2)痛みを回避するため
例えば、
「困難な契約だが、全力で完了させる」
という目標があったとして、
そのモチベーションが、
社内でもっと認められたい! という欲求を満たすためなのか、
成績を上げないと首になる、 という痛みを回避するためなのか、
我慢や辛抱も同じはず、
よりよい未来へつながるための「我慢」
現状を維持するだけの「我慢」
“すべき我慢” は自分を成長させる
“すべきでない我慢” は自分を奴隷化させる
すべき我慢ができない人は、言い訳の人生を歩む
すべきでない我慢から脱却できる人は、自分の人生を切り開くことができる
今、あなたのしている「我慢」はどちらですか?
夢や希望へのものか、
諦めの結果か、
すべきでない我慢から脱却するには大きな勇気と決断がいる。
その報酬は、
束縛からの開放
希望
新しい可能性
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
通常「年齢」と言うと、
我々が“この世に生を受けてから経過した時間”を指すことが多い。
同じ時間が経過しても、健康管理によって“肉体年齢”に大きな差が生じるのは衆知の事実である。
同じ時間が経過しても、その人の生き方や考え方によって“精神年齢”に顕著な違いが表れることは皆さんも感じていることと思う。
これら3つの「年齢」の存在については、一般的に理解されている。
実は、
もうひとつ大切な「年齢」がある。
今生で経過した時間とも、
肉体的な若さとも、
精神的な落ち着きとも、
一線を画する年齢。
私は、それを
「魂の年齢」
と呼んでいる。
これは宗教的なコンセプトではなく、哲学的コンセプトである。
(私は宗教の信仰はしていません。同時に宗教を否定もしていません)
私は宗教とは関係なく、哲学的に輪廻転生を信じている。
また、輪廻転生なしに人生を根底から理解することはできないと感じている。
魂の年齢は、
その人が持っている“利己と利他の割合”で計ることができる。
いつも自分のことばかり、
目先の損得で行動する、
許容力も包容力もない人、
これは今生の年齢とは関係なく、輪廻転生が少ない=魂がまだ幼い人たち
一方で、
いつも他人のことを思い、
損得勘定でなく、
他を許容し、包容できる人、
これは今生の年齢とは関係なく、輪廻転生が多い=魂が成熟している人たち
どちらが偉いということではないんです。
小学校一年生と六年生を比較することに意味がないのと同じ。
誰でも一年生を経たから六年生になれている。
今生の年齢とは関係なく「魂の年齢」という観点で、
自分の周囲の人たちを見回してください。
なるほどぉ。。。
と気付きますよね。
今生の年齢が若いのに立派な人。
逆に、いい年をしていつまでも子供じみている人。
親より子供の方が確実に魂の年齢が高いケースも多々ある。
「あの家族は親がダメなのに、子供は立派だ。トンビがタカを生むとはこのことだろう・・・」
魂の年齢があることを理解できれば・・・
3才の子供に何をされても大人が激怒しないように
“魂の幼い” 自己中心的な言動に感情的になることも少なくなる。
「自分も以前はそうだったはずだ(今でも?)」、
と思えば怒りも収まり、冷静に対応できるようになる。
それは自分の精神年齢を高め、
結果として今生を過ごしたことによる魂の年齢もさらに成長することにつながる。
わかったような口調で書いている私こそ、
平均値より優れているのは肉体年齢だけ(汗;)
まだまだ利己が多く、利他が足りない・・・
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
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