誰にでもある
傷つけられたこと
騙されたこと
裏切られたこと
すでに終わった過去のことなのに
今でも時折思い出して
落ち込んだり、怒ったり、悲しくなったり、
過去の嫌な体験を
何度も何度も繰り返し
自分の頭の中で再現している
それらの嫌な出来事が自分の中で生きつづけている
過去に起こった出来事を変えることはできない、
でも、それをどう受け止めるか、は自分次第で変えることができる
“わかっているけど、それができないから苦労しているんですよ”
なるほど・・・
それでは、あなたが忘れていることをひとつお伝えしましょう。
過去に自分が受けた、許せない他人からの行為、
同じようなことを、あなたは他の人にしています。
“えっ?”
あなたの過去の行為を「許せない!」と、
今でも何度も何度も、繰り返し繰り返し、
落ち込み、怒り、悲しい思いをしている人がいる
心当たりありませんか?
“・・・”
人間関係では、
現世、そして過去世に自分がしていないことは体験しない、という法則があるそうです。
そして、自分がそれを体験し、経験に変え、許せたとき、
初めて、その“業”が消えるそうです。
ここでの、
「許す」
とは、
相手を許すこと、
そして、同じことをした自分を許すこと、
「許す」とは、
過去の“業”を浄化させること
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
Basic assumptions, ways of thinking
と辞書にある。
物事や出来事の一般的な受け止め方である。
“パラダイム・シフト”
という言葉を聞いたことがあると思う。
物事や出来事の受け止め方が大きく変わること。
これは世界的なベストセラーとなった「7 Habits of Highly Effective People」でも触れている。
バスの中で子供たちが騒いでいる。
同伴している父親がいるのに何もしないのを見かねて、そこにいた人が
「あなたの子供たちが迷惑をかけている。注意しないのか?」
それに対して、その父親が沈んだ声で、
「申し訳ない。先ほど子供たちの母親が病院で亡くなったんです。
子供たちはそれをどう受け止めていいのかわからない。
そういう私も妻を亡くしてどうしていいのか・・・」
“子供たちが公共の場で周囲の人たちへ迷惑をかけているのに、父親が注意しないのはけしからん!”
という一般的な受け止め方。
しかし、実情を知った途端にその状況の受け止め方が大きく変わる。
それどころか、自分に何かできることはないか?とすら考えるようになる。
これがパラダイム・シフトである。
宗教によって、
身近な人の死によって、
自分のとても辛い経験によって、
他人のとても悲惨な状況に遭遇して、
想像を絶する素晴らしい体験によって、
それまでの価値観や人生観が大きく変化(シフト)することがある。
自分の中で、受け止め方が180度変わる。
これは自分で希望して起こるというよりは、
“天から降ってくる”場合が多い
それが“天から降ってくる”と、
知性も感情も大きく揺さぶられる
その揺さぶりが落ち着くとき、
今までと違うところに落ち着く
それにより、
新しい自分になる
これがキリスト教で言う“Born Again Christian”なのだろう。
この大きなパラダイム・シフトは、
いつ、誰に降ってくるかわからない。
その人が「準備できているとき」にしか降ってこない。
それが起こったときは運命のとき
しばらく経って、
運命であったことがわかる
しばらく経って、
その意味が理解できる
すぐにはわからない、
しばらく経って、
生き方が大きく変わってから、
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
背中には、その人の生き様が出ていると思う。
表向きは、つくろうことができるが、
背中はつくろえない。
“そのときの自分”、ではない。
“今まで積み重ねてきた自分”、がでている。
力強さ、弱さ
落ち着き、怯え
自信、不安
背中が伝える自分を築くのには、長い年月がかかる
だから、ごまかしがきがない
自分の背中は自分で見れない。
誰が見ているのか?
背中を見ているのは、子供たち
言葉でなく、
背中が伝えることがある
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
あなたは使命を持ってこの人生を始めた。
誰でも、この人生で取り組むべき課題がある。
自分が熱くなること
三度の飯より好きなこと
心が共鳴すること
自分の置かれている状況や育った環境
周囲の出来事や人々
自分の感情の動き
を、その観点から再度じっくりと見つめ直してください。
自分に与えられた役目は何なのか?
他の誰でもなく、自分がすべきことは?
この人生はどんな課題へ取り組むためにあるのか?
自分の使命に気付いた瞬間から生き方が変わる
使命へ向かって動き始めると、天からの大きな応援がある
試練が来ても、必ず乗り越える力が与えられる
また、
自分の使命は、
時として、
自分が“最大の抵抗を感じていること”の場合がある
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
“あなたの人生で最も大切なことはなんですか?”
と問われたら、
家族、
健康、
信頼、
などといった答えをする人が多い。
それなのに、
慌ただしい毎日の生活で、、、
結婚記念日を忘れてしまった
子供のスポーツの試合へ応援に行かなかった
運動不足で太ったり、血糖値やコレステロール値が上がったり
最も大切なことなのに、後回しにされていることはありませんか?
大切だけど緊急でないこと、
それが本当に重要なこと
家族がいなくなってしまったら、、、
健康を害してしまったら、、、
大切な人たちとの信頼関係を失ったら、、、
どんなに仕事を一生懸命頑張っても、
いくらお金を稼いでも、
どれだけ他の人たちから喜ばれても、
完全な本末転倒
今一度、自分の優先順位を見つめ直してください。
そして、自分の今日の生き方をそれに合わせてみてください。
最初のうちは、ちょっと違和感を覚えるかもしれません。
それは、最も大切なことを疎かにして生活習慣が出来上がっていることの証明です。
その違和感を乗り越えて、First Thing First!に変えて行く。
優先順位を間違えたら、人生は後悔で終わります
例外無く
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
On the road of life, it's not where you go
but who you are with that matters most.
自分一人で生きている人はいないんですよね。
だからこそ、誰と一緒にいるのか?がとても大切。
一緒にいる相手によっては、
励まし合い楽しめる道にも
辛い行き止まり道ともなる
「人生の9割は、伴侶で決まる」
とある人が言った。
誰と一緒に人生のデコボコ道を手をつないで歩いて行くか?
自分は相手と一緒に人生のダンスを踊れているか?
人生のパートナー
最も大切なことかも知れない
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
人の心配
人の世話
人助け
は、すべて後回し
自分が泳げないのに、溺れている子供を助けることはできない。
自分が泳げないのに海に飛び込んだら、他の人に助けてもらわなければならない。
だから、まず自分が泳げるようになる。
私は、自分が泳げないことを知らずに、または泳げないことを認めずに、海に飛び込んでいたことが過去に数多くあった。
その結果、助けるはずが逆に人を傷つけ、また自分が溺れそうになって人へ迷惑をかけた。
まず、
自分の足元を固める
ひとりひとりが自分の幸せへ責任を持つ
それができて初めて、
人の心配
人の世話
人助け
ができる。
そこを履き違えると、
せっかくの善意が、無責任な行為となってしまう
この大海原で、自分がしっかりと泳げるようになる
身体や精神の障害がある場合を除き、
それが、この社会の一員となる責任
我々は、助け合いながら生きてゆく
できる人ができない人へ助けの手を差し伸べる
それは、自分第一主義の前提での助け合い
自己犠牲は続かない
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
スピードや効率が重視される現代の社会。
電気機器やシステムにおいても、速さ、便利さが極限まで追求されている。
ふと考えると、
速さを重視して、かえってプロセスに時間がかかっている
便利さを追求して、どんどん時間がなくなっている
と思った。
何故だろう?
速さを重視するばかりに、優先順位が疎かになっている
便利さの追求の結果、逆に”もっと”が要求されている
機器やシステムへの過度の依存で、それらが故障するとすべてが大混乱
これ以上のスピートや効率は、本当に我々が幸せになるために必要なのだろうか?
速さや便利さを求める本来の目的が、本筋から大きく脱線しているのではなかろうか?
文明の進化とは、
人々の心を豊かにするものであるはず
今の動きは文明を退化させているように感じる
そろそろ空虚との競争から脱皮して、
スローダウンする時代が来なくてはならない
優先順位を取り戻す時期がきている
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
ニュースで飲酒運転の車がFreewayを暴走しているライブが映っていた。
数分後に、その車はコントロールを失い、猛スピードで壁に激突し、スピン横転で炎上。
飲酒運転で周囲の人たちの安全を脅かすのはとんでもない。
Freewayもこの事故で閉鎖になり、大迷惑。
この人はアル中で、家族や友人たちに迷惑をかけてきた人生の落伍者なのだろう。
と、ほとんどの人は思う。
私もニュースを見ていてそう思った。
しかし、その一方で、
この人はどうして、こういう人生の結末になってしまったのか?
この人だって、ハッピーな時間を過ごしていた過去もあったはず。
もしかしたら、とても辛いことがあって自暴自棄になってしまったのかも知れない。
という考えが頭を横切った。
決して、この人の無謀な行動を正当化しているのではない。
でも、このニュースの数分間の映像だけで「ダメ人間」とレッテルを貼ることはできない、と気付いた。
もし、自分が同じ環境で育ち、同じ状況にいたとしたら、、、
これは自分であったかも知れない。。。
私たちは、
他の人たちの身なりや立ち振舞を見て、
この人はOOだ。あの人はXXだ。
と決めつけようとする悪いクセがある。
その人の育った環境、その人の身に起こった様々な出来事など
何も知らずにレッテルを貼るのは、果たしてどうだろうか?
その心無い”レッテル貼り”が、もっと人を追い込んでしまうこともあるはず。
人に対して、
世の中の出来事に対して、
真相を知らずに、勝手な決めつけをするのは辞めようと思った。
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
私は中学生のときにお年寄りの介護施設でボランティアをしたことがある。
中学生から大学生まで20人くらいの有志が一週間ほど泊まりこみ、施設のお掃除、修繕やペンキ塗り、コンクリートの散歩道作り、毎日お年寄りとお話しの時間、最後の晩には演芸会の開催、など様々な活動を行った。
お年寄りとお話しをする時間では、寝たきりのおばあさんがよく聞き取れないほどの弱々しい声で若いころの話をしてくださった。私はただ横へ座って、半分くらいしか理解できない話へ相槌をうっているだけだったが、私が話を聞いていることを心から喜んでいるのが伝わってきた。
夜はボランティアの学生同志で討論のような活発な意見交換があった。
その中で、大学生のメンバーが
「我々は、お年寄りの方たちへお世話をしているのではなく、させていただいているのだ」
ということを熱く論じていた。
私は、
「“させていただいている”とへりくだらず、”お世話をしている”と考えて何が間違っているのか?」
と反論をしたことを覚えている。
できる人ができない人へしてあげる
そしていつの日か、自分ができなくなったらしてもらう
それが自然な助け合いなのではなかろうか?
それをへりくだって
「させていただいている」
と考える必要はないと感じた。
我々が滞在を終えて帰るときに、お年寄りの方たちが別れを惜しんで涙を流していた。
ボランティアの学生もみんな泣いた。私の目にも涙が溢れてきた。
子供心にも、魂に響く経験だった。
私は今でも、
できる人がしてあげる、
できなくなったらしてもらう
が自然でいいと思っている。
してあげるチャンスは周囲に沢山ある
だから、気付いた時にできることをしてあげる
ロサンゼルス不動産 出相 ◎DEAI TEAMのホームページ
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account