インターネットの掲示板等に詩を投稿するようになり、私の詩環境がすこぶる変わった。これは自身を活発すりるカンフル剤となり、なおも詩を書くことが有意義な時間となるわけである。ひとりでない。詩の世界がひとりではなくなったというのは、刺激があり、やり甲斐となり、喜びであったりする。 さてさて、飛び出した世界ならもっともっと高く飛びたくなるのは、自由をもっと味わいたいからなのだろう。それなら詩には似合わないかもしれないが、目標なんてものを掲げても良いのではないか。変化のない詩生活なんて、成長を止める日々のようなもの。 とはいうもの、何をすればよいだろうか。うーん、数字的でなく肩書き的なことではなく、閉鎖的なことではなく……。なら、外に出よう。デジタル的な活動ではなく、足を使い何か出来ないだろうか。芭蕉や山頭火のように放浪しながら歌うというのも、素晴らしいなあ。しかし、まだまだ仕事をしなければ家族も養えないし生活がある。近場にて、お得意の公園や図書館に行き、目に入るものに刺激を受けながら詩を書く。うーん、あまり普段と変わらないかなあ。なら…。「あなたなら、どうする ♫」なんて、歌っていても仕方ない。何か何か、変化はないんか〜い! 山手線のすべての駅に足を運び、そこに纏わる詩を書く鉄ちゃん詩人。この目標なら達成できるかも。県庁所在地をまわり、そこで感じた風を詩にするとか。これは、つまらない。日本地図を広げ、ダーツを放ち当たったところへとダーツの詩旅とか。いや、時間とよさんが……。発想を変えて、同じ場所に出向きそこで同じ景色を見て詩を書き、微妙な詩の変化を楽しみ、百作品を書く。これはきつい目標だ。 やはり、ひとと関わりあっての詩創作がよいのだろう。とりあえず、来週に詩人会の集まりがあるので、そこで刺激されてこよう、そんなところに落ち着き全然、目標は立てれない日曜日である。