若気の討論
Mar
13
友と「本物」の存在について
ああでもない、こうでもない、と
討論になった
彼は本物なんてない派
私は本物あり派
けっきょく、どっちでもいいじゃないか
そんなところには落ち着かなかった
彼は本物も偽物もないだろう
音楽でも詩でも受け手次第なのだから
ましてや上手い下手より
好みの世界なのだから、と
私はこりゃ凄えなあ
そう思うものが本物で
それ以外は偽物だ、と
意外と表現の作品位置というか
価値観が違っていると勝手に感じた
たぶん彼の懐は広く浅く
私は狭く深いのだろう、と
違うから面白かったのかもしれない
だけど彼はそれから私と絡まろうとはしなかった
自分の世界を構築して行きたかったのだろう
そう思ったに違いない、と
そして三十年がたち
本物について考えてみたが
「偽物」と言ったのは若さだったのか
傲慢な考え方をしていたようだ
彼は「好み」という言葉を使い
私は「本物」という言葉を使った
ただそれだけのことを今さらながら気づく
熱き若さは時に恥ずかしかったりするものだ