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詩は元気です ☆ 齋藤純二

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読まれることを念頭に置く詩人

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売れている詩人の詩を読む。とはいえ、小説に比べれば売れていない本。それは淋しい気もするが、仕方ない、これが日本での詩の姿なのだから……。どうにかしたいと思っている詩人はきっとあちらこちらにいるはずだ。

とにかくひとに読まれる詩を探ってみたくなり、少し齧る程度にパラパラページをめくる。そんな態度でそれらの詩について語れるのか、となってしまうが私なりのそれらの表現の傾向を考察してみる。

まず、売れている詩集を読んで感じたのは上手に書かれていること。まあ、当たり前か。そして、なんとなく電車や駅などで書かれている宣伝文句のように説得力がある。すんなりと書かれていて内容がわからなくても頷けてしまう。詩の創作はどんどん自分の深い世界に潜り込むのと同時に、その詩が読まれるための技術、発想、そして思いやりが挿入されてやっとひと様に喜ばれる作品となるのだろう。詩だけではなく、文芸でも商売でも同じことが言える。ただ、詩の場合はその客観に抵抗を持つ者が多いと感じている。しかし売れる詩集は、やはり「サービス精神」を強く持っている詩人が書いたものということだ。

詩にサービス精神なんていらない、と感じている詩人でも少なからずひとに読まれるため、言葉を整えているに違いない。ただ、詩を生業とするなら、読者がいなければ成り立たない。サービス精神は過大に必要不可欠となるのだろう。詩に携わる場合、そこを躊躇する傾向があるわりには、詩は読まれない、なんて嘆いている言葉を活字で目にするのが現状だ。読まれるために書いていないのだからその言葉は、ループするジレンマでしかない。

この話の行き先はどこへ行くかというと、やはりひとに読んでもらおうとするならサービス精神のない詩は我儘な作品となってしまう、ってことだろう。ただ、この「サービス精神」という私の概念を語るともう一コマ必要になるので、本日はここまでとさせていただこう。

尻切れ文章、御免。
#雑記

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